第二章 脱出、船
悪意の無い笑顔になったレイルに、ヤートも安心する。こんなに美しい年下の女性と話す機会は、軍では皆無だった。
「君達……歳はいくつだ?」
ふと気になったので聞いてみてから、女性にする質問ではなかったと後悔する。
「さあね。いくつに見える?」
妙齢の女性特有のかわし方で返されて苦笑する。
「まだ若い……二十歳辺りか?」
「なら、そうしといてあげる」
「え?」
「私ら殺し屋にとって実年齢って重要じゃないから。重要なのは、相手に何歳に見られるかだから」
そう言って悪戯っぽく笑う彼女は、もしかしたらそれ以上に若いのかもしれないとヤートには感じられた。
「ヤートさんは? 何歳なの?」
「俺は二十九だ」
「もっと若いかと思った」
「それは、威厳が足りないという悪口か?」
「まさか」
ケラケラと笑うレイルに、ヤートは彼女から目を離せなかった。肩まで流れるウェーブがかった赤髪が、まるでヤートを誘惑するように揺れている。
殺風景な船室の中、彼女がいる場所だけが暖かく煌めいているようだった。ただ、白いシャツから透けて見える包帯が、痛々しく感じられたが。
「もう、傷は大丈夫なのか?」
「ああ、これくらい余裕。腕がぶっ飛んだり腹が開くより全然マシ」
「……そうか」
納得して良いのかわからなかったが、ヤートは無理矢理納得することにした。戦場に出た数は、彼女の方がずっと上なのだ。
「ただ、ずっと安静なのがつまんねー」
テーブルからベッドに座るヤートを蹴る動作をしながら話すレイル。
「それは俺もだ。どうか我慢してくれ」
まるで妹のような彼女の無邪気な動作に、ヤートは笑みがなかなか止まない。
「剣を研ぐくらいしかやることがねーんだ。ヤートさんのもやっとこうか?」
「それは嬉しいが……他に趣味、はないのか? いや、仕事中に趣味もないか」
言い出してから考え込んだヤートに、レイルは笑顔のまま言った。
「私の趣味は、殺しに……セックスだ」
その言葉にヤートはただ顔を上げることしか出来なかった。レイルを凝視する。悪い冗談にしか聞こえない。
「本気で言っているのか?」
「お人形さん遊びとでも言って欲しかった?」
「君達はまだ若い。日常くらい、普通に生きられるはずだ!」
思わず声を荒げたヤートの口をレイルが手で塞いだ。テーブルから立ち上がり、中腰のような体勢でヤートの口元に右手を添えている。
「騒ぐなって……」
彼女は大人しくなったヤートの口元から手を離し、覆いかぶさるようにして顔を近づけてきた。ヤートの目の前で魅惑的な唇が動く。
「あんたらの物差しで、私らは計れねーよ」
そう言う彼女の瞳だけは、感情がこもっていなかった。いつもは美しい光を燈すその瞳が、今は闇の中のように暗い。
「……それでも」
震える拳を握り、ヤートは声を絞り出す。この手の震えは、目の前の彼女に対する恐怖なのか、それとも彼女を狂わせた世界への怒りなのか――
「――それでも君達は、俺と同じ人間だ」
「あんた達と同じ?」
「そうだ。悲しみの絶えない環境に、職場にいる、普通の人間だ!!」
「普通の?」
レイルは小さく言葉を繰り返す。そして、その声はやがて笑い声に変わっていった。目の前でいきなり笑い出した彼女に、ヤートは背筋が冷える独特の感覚を覚える。
「普通の女がっ……殺しとセックスが趣味な訳ねーだろ」
笑いながら、だがどこか苦しそうに彼女は言う。
「普通の男が……自分の欲求のた為に人をいたぶり殺す訳がねぇ」
ヤートの顎に手を添えながら、レイルはまるでキスをするかのような動作で、その唇を彼の耳元へ寄せた。
「普通の人間が、他人の血肉を喰らう訳がねーだろ」
囁くようにそう言って、彼女は身体ごと離れた。扉に向かう彼女の背中は、冷たい空気を纏っている。
もう話し掛けられない。扉が開き、船室よりやや暗い闇に彼女が消えて行くのを、ヤートはただ見送ることしか出来なかった。
閉まった扉に密閉された空間には、彼女から漂っていた消毒液の香りが残された。
――彼女はいったいどれだけの数、自分の身体を傷付け戦い、そして相手を殺していったのだろうか。