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第二章 脱出、船


 ロックが物心ついた時、母親は夜、常に外出していた。今から思えば、自分と息子の二人分の食い扶持を稼ぐ為に、必死に身体を売っていたのだろうと安易に想像出来る。
 朝帰りだろうが出勤前だろうが、母親は常に美しく化粧していた、とロックは記憶している。露出度の高い派手な下着のようなドレスの母親に、いつも昼間は抱きしめられるようにして眠っていた。
 母親は、帰る家がある父親のことを本気で愛していた。だからこそ自分も育児放棄されることもなく、大切に育てて貰えたのだと思う。
 母親はいつも会えない父親のことを、毎日幼いロックに話して聞かせた。「あなたのお父さんは、とっても偉い軍部の隊長さんなのよ」とか、「今は奥さんがいるけど、なんとか私と一緒になる方法を考えてくれてるのよ」だとか、「早く三人で住みたいわね」と毎日。
 スラムで生まれ育った母親は、男の嘘に騙されるような女ではなかった。しかし、恋は盲目。
 彼女は頭ではわかっていても、心が拒否していたのではないか、と思う。働いていた店で偶然出会った父親に、見てはいけない夢を見てしまったのだ。
 女のプレッシャー程、男にとって怖いものはない。いや、これは今なら自分もよくわかるのだが、とにかく結婚を迫る母親に、父親はついに手をあげてしまった。母親を口論の末殺してしまったのだ。
 ロックはその時眠っていたので、母親の遺体は見ていない。ただ、隠蔽工作を終えた父親と、寝起きにリビングで鉢合わせしてしまった。
 自分とよく似た茶髪に褐色の肌。金色の視線が一瞬ぶつかり合い、父親は急に笑顔を浮かべてこう言った。
「やぁ、初めまして。君はこれから私達と暮らすことになったんだ」
 おそらく、小さな罪悪感が彼にそう言わせたのだろう。ロックは彼に似過ぎていた。
 歳はいくつかと父親に聞かれたロックは、母親に誕生日を祝ってもらった回数を答えた。
「なら今日からお前は七歳だ。明日からはジュニアスクールに通いなさい」
 父親の住む家は、スラムの小さな家しか知らなかったロックには、まるで一国の城のように感じられた。沢山のお手伝いの女性達と、彼の本妻、そして本妻の息子がいた。
 父親は身寄りの無い子供を引き取ったとだけ説明した。普段から亭主関白だったようで、特に意見をする者はいなかった。ただ一人、本妻の息子――定められたロックの年齢より二歳上の兄だけは、嫌悪の感情をその茶色い瞳にたぎらせていた。
 そこからはまるで、早送りのように時間が経過した。ロックはジュニアスクール、続いてミドルスクールも問題無く卒業し、軍部への特別入隊が決まっていた。
 生まれついて身体能力や理解力が高かったロックは、金持ちや軍人の子供が通う学校でも抜きん出た成績を残していった。
 ロックは父親の血をしっかりと受け継いでいた。『戦いの才能』と『好色』。成績優秀、スポーツ万能、そして父親譲りのルックスで、ロックは学校中から注目される存在になっていた。
 ミドルスクール在学中、初体験を終えた頃から、ロックの中である大きな感情が芽生えた。科学の教本を読みながら、ロックは本の通りに爆薬を制作していく。
 ロックにとって学校は、獲物を見付けるだけの退屈な場所だった。だが科学の授業だけは、とても楽しい時間だった。特に科学反応の起こる実験は、最高にスリリングでたまらない。あとは実際に火を着けるのみとなったところで、ロックを呼び出した張本人が現れる。
 放課後の教室でわざわざ呼び出して話すことなんて、見当が付いている。案の定告白だった。今月は五人目。そのうちの二人は男だった。
「良いよ。その代わり僕に逆らったら殺すから」
 さらりと笑いながら話すロックに、みんな騙された。後からみんな、泣き叫ぶ。
 ロックは告白してきた女子生徒をその場で犯しながら考える。よがる彼女を見るだけではつまらない。机に置きっぱなしになっていた爆薬に目を向ける。性欲より強い欲求の正体に気付いたロックは、それを手に取り確信する。
 最高の気分で情事を終わらせたロックは、女子生徒など無視して家に帰った。しかし自室に直行しようとしたロックを、兄が制止する。
「えらく嬉しそうだな?」
 優しさの中に強さを感じる、軍人にピッタリの声に苛立ちを覚える。リビングで家族同士が出くわすことはあまりない。
「今日の授業、おもしろかったから」
「ふん……お前、女を何だと思ってる?」
 簡単な質問過ぎて、ロックは答えるのを放棄した。
「奔放な弟と真面目な兄。お前は褒められる。それで良いじゃねーの」
「お前を兄弟だと思ったことはない」
 強く言い放つ兄に、ロックはそれでも笑ったままだ。
「それでも僕はあんたを兄弟だと思ってる」
 成長期に入りもともと高かった身長が更に伸び、今では見上げるくらいに高くなったくせに、相変わらず細いウエスト。母親譲りの白い肌、筋肉質な手足。
 ハイスクールでは既に校内一のモテっぷりらしい。だが、犯したい等これっぽっちも思わない。これを兄弟以外の何の言葉で表せば良い?
 兄はそれ以上は何も言わずに出ていった。ロックも自室に向かい、自分の作品を作り出すことに尽力した。
 この作業はミドルスクール卒業まで続き、ロックはまたリビングで呼び止められた。今度は本妻だった。
「あら、お出かけ?」
「……ちょっと花を買いに」
 ロックが面倒くさいのでデタラメを言うと、本妻は目を丸くした。
「……今の返し、あの人にそっくり」
 そう言って、すっとロックを静かに見る。
 薄い緑のセミロングの髪に、柔らかい茶色の瞳。色白の頬は少し赤みを帯びている。本当に兄にそっくりだ。剣術ではこの国トップだと言われる師範の妹である彼女から、兄は沢山の知識や技術を吸収していた。
「お父様が花?」
「……後ろめたいことがあるとね、そう言って出て行っては、後で花がこのリビングに飾ってあったわ」
 どこか遠い目をして、彼女はロックを見ている。
「あなたを拾ってきたあの日も、あの人はそう言って出て行った。持って帰ってきたのは花なんてものじゃなかったけど」
 そこまで言って、彼女はふわりと笑った。その瞳に、ロックは全てを理解した。
 彼女は全てをわかっていた。わかったまま、知らないふりをして生活していた。知らないふりをして、ロックの世話をし、剣術を教えた。
 ロックは何も言わずに玄関を出た。もうダメだ、と直感した。
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