第一章 城塞都市
ガラスの向こうで爆炎に包まれた少女を見て、科学者の一人が溜め息をついた。
「これで、ようやく一人、ですね」
「こんな奇襲、一回こっきりの大道芸ですよ」
「それでも、相手はあの“ブラッドミキサー”。昔はスラムの切り裂き魔などと新聞を賑わせていた女ですから、これでも不十分なくらい……」
そこまで言って、科学者の笑顔が引き攣った。激しく燃え上がる火の手の向こうに、小さな人影が立っている。
「まさか……」
人間など一瞬で燃え尽きるような爆炎だった。にも関わらず目の前の少女は、薄く晴れていく視界の中、余裕の笑みすら浮かべている。
いつの間にか両手に持った剣からは、ときおり稲光が迸る。次の瞬間にはスライド式のドアが、でたらめな方向に崩れ落ちた。
スラムの切り裂き魔――五年前、大陸中央部のスラム街に現れた猟奇殺人犯。連続殺人犯としては珍しい女性で、彼女は男を切り裂くことに最高の喜びを感じていた。軍隊も出動した大掛かりな逮捕劇の後、軍の裏側に入ったことは、この業界では有名な話だ。
「ヤートさん……」
「レイル……」
レイルが言葉を続ける前に、ヤートは反射的に呼び掛けていた。
ドアの瓦礫の上に立つ彼女は、女神のような美しさだ。血まみれのジャケットの赤と黒の色合いが、彼女の二面性を象徴している。
情熱的で、狂暴。
彼女のエメラルドグリーンの瞳には、諦めの光があった。少し高い鼻とは対称的な、小さな形の良い唇が言葉を紡ぐ。
「貴方は私を助けてくれた。敵味方関係なく、私は恩を大事にしています。私は、貴方を傷付けたくない。どうか、降伏してくれませんか?」
「……傷付けたくない、とは本心か? それとも命令か?」
「……」
黙って肩を竦める彼女の顔は笑っていた。相変わらずその眼には諦めの光があるが、ニヤリと笑う口元には、城壁内で感じた恐怖――戦いを求める狂気があった。
「どうやら、交渉決裂らしいな」
ヤートは静かに言い切り、腰の鞘から大剣を引き抜いた。レイルの真っ正面に立ち、科学者達はその間に部屋の奥――といっても逃げ道は一番奥の窓からの死のダイブしかない――まで避難する。
「貴方、実はお堅い人なんですね?」
レイルがクスクス笑いながら言う。その瞬間、目の前の少女から出たとは思えない殺気が放たれる。
「君こそ、その猫かぶりはやめたらどうだい? そんなことをしなくても君は……」
――戦う姿まで美しい。
スラム生まれの切り裂き魔で、口の悪いサディスト。それでもなお、ヤート――“男”にここまで想わせる。彼女は本当に、優秀な殺し屋だ。
「なんだ……バレてんのかよ」
つまらなそうに呟きながらレイルは両手の剣を構える。おそらく我流だろうが、無駄の無い構え。
「女ってのは確かに嘘をつく生き物だ。でもな、嫌いな奴には猫なんて被んねーよ」
そう言い終わらないうちに、レイルが一気に距離を詰めてきた。素早く四回切り掛かられ、ヤートはなんとか凌ぎきり離れる。科学者達を巻き込めないので、あまり距離は開けられない。
先程の彼女の攻撃に、ヤートは愕然とした。彼女の踏み込みが全く見えなかったからだ。スピードでは絶対に敵わない。
ならば――
急に動きの止まったヤートに、レイルも警戒して動けなくなる。動きが止まり静寂が訪れた空間に、ヤートの低い声が微かに流れる。
それが術の詠唱だとレイルが気付いた瞬間、足元に散らばっていた瓦礫が一斉に襲い掛かってきた。レイルは剣を振るい、全てを叩き落とす。
先程の爆発を防いだこの物質は、おそらく城壁と同じく対魔合金を使用している。魔力を通さない、現代科学が作り出した最硬の物質だ。そんな物質を打ち落とすには、こちらも物理的に攻めなくてはいけない。
レイルの手に痺れが走る。とにかく岩のように重い瓦礫を弾くのは、雷撃のコーティングを施した剣でも骨の折れる作業だ。
最後の瓦礫を片付けたレイルの横から、ヤートが剣を振るってくる。振り下ろされた大剣を、レイルは飛び退いて避けた。床に打ち付けられた剣撃で、床だった対魔合金が弾け飛ぶ。そしてその破片達が、真っ直ぐレイルに向かって飛んでくる。
このままでは防戦一方になる、とレイルは強引にヤートの間合いに入った。飛んでくる瓦礫を最小限の動きで避けたので、所々かすり傷を負ったが仕方がないと割り切る。
おそらく敵が操る魔術は地唱術。岩や土といった物質を思うままに操ることが出来る。いくら操れる質量が少ないといわれる魔術だといっても、隊長クラスの魔力なら驚異的な質量になる。
レイルはヤートの喉元に向かって剣を突き出す。普通の敵ならこれで終わりだが、見切られる。ペースを崩さず更に連撃を繰り出し、その全てに手応えはなかった。
――こんなに強い敵は久しぶりだ。
知らず知らず、レイルは笑っていた。レイルは自分より強い男が大好きだ。だからフェンリルにいるのは居心地が良い。自分を壊せるような男に、犯され、殺されたい。顔も腕も痺れるくらいに好みだった。
「さっさと捕まってくんねーかなぁ」
戦いの中で性的な興奮を覚えてしまう。先程からレイルの攻撃はヤートに入らない。彼は、レイルの動きについてきている。レイルのスピードに引き上げられるように成長している。これからも更に伸びしろがあるなんて、最高だ。
その時レイルは、ヤートの表情に違和感を覚えた。素早く離れて観察する。彼は追ってこない。違和感の正体はすぐにわかった。
表情ではなく、頭の中。ヤートの左の眼球の向こうから、青い強い光が洩れ出ている。洩れ出たその光のせいで、彼のグレーがかった美しい瞳が、オッドアイのように鮮やかな青色に染まっている。
「……うっ」
ヤートが小さく呻いた。彼は追って来ないのではなく、追って来れないのだ。片膝をついて痛みに耐え、苦悶の表情を浮かべている。
その間も光が止むことはなく、状況の説明を求めるように、レイルは科学者達に目を向けた。
彼らは、笑っていた。ヤートの額には脂汗が滲む。
「おい、どうなってる? てめーらの飼い犬が死にそうだぜ?」
レイルは問う。自分で思っていたよりも、低い声が出た。
「何も不具合は起こっていない。ゼウス計画、始動だ」
冷静に答える科学者の横――いきなり部屋の左右の壁が液晶画面のようになった。それは一面の大画面のように見えたが、よく見ると小さな異なる画面の寄せ集めだった。虫の複眼のように外の景色が沢山映っている。
レイルは映っている映像に驚いた。その映像のほとんどに、クリスとロックの姿が映っていたからだ。
「どうやら下の暴走機械達は、君達の逃走経路を遮っているようだな。この中央塔は完全に包囲されている」
「まさかそれで勝った気でいるのか? 暴走してるってことは、お前らも立場は同じだぜ?」
「確かに君達の動きは完璧だったよ。遠隔的にバグウイルスをメインシステムに打ち込むだけじゃなく、物理的に破壊までしてしまうとはね。こちらとしては止めようがなくなった」
「私らはあの機械共を突破出来るが、あんた達は出来ないからな」
「否定はしないさ。だが君は一つだけ間違っている」
科学者は笑みを――どんな笑顔よりも冷たい笑みを浮かべながら言った。
「君達でも突破出来ないさ」
「なぁ、今何体だ!?」
「俺は七十一」
「僕も同じくらいだ!! ウジャウジャ湧いて出てきやがって!! なんで全部虫みたいな形してんだよ!?」
「……女型だったら良かったのか?」
「……まだマシ、な程度だな」
大量の虫型機械に包囲された状況で、クリスとロックは怒鳴り合いながら戦っていた。向こうの人工知能が馬鹿なおかげで、逃げ場のない蜂の巣状態は免れていた。
「ルーク!! まだか!?」
ロックが自分の後ろの大型車に向かって叫ぶ。
「今電力を復活させてる!! もうちょいだ!」
車の運転席からルークが叫ぶ。彼は今、逃走用の車の電力を回復させるために無数の配線と格闘中だ。無防備な彼を守るために、二人で突破されないように牽制しながら戦う。
数で圧倒的に負けている分、耐久戦には限界がある。ロックは弾を無駄遣いしないために相手のセンサーを撃ち抜くことに集中しているし、クリスは一人で多数を相手に鋭い切れ味の刀で応戦している。
「かかった!!」
ルークの声と共にエンジンの掛かる音が響く。ロックは口笛を吹いて荷台に飛び乗った。壊れた機銃に寄り添うようにして弾を交換していく。ちなみにこの機銃は突入の時にも盾にした機銃だ。クリスも札を大量にばらまいてから荷台に飛び乗る。
その瞬間、激しい光が三人を包んだ。