第四章 砂漠の薔薇
クリス達と別れ、レイルは右の通路を進んでいた。
位置的に、中庭を円形に挟み込む形になっている廊下の右側。中庭に接する左の壁越しに沢山の気配が動いているのはわかるが、窓が無い為目視で確認することは出来ない。
エントランスと同じ豪華なシャンデリアが、長い廊下を照らしている。エントランスと違うのは、シャンデリアの数が五個なのと、壁に無数の絵画が飾ってあること、そして血のように赤いカーペットが床に敷き詰められていることだ。
「ほんとにここ、軍部なのかよ? 金ばっかむしり取ってやがんな」
レイルはぼやきながら進む。
壁に掛かっている絵のほとんどが、カラーの少ない荒んだ色合いの物だった。なんとなくレイルにはわかってしまった。ここにいる人間は、ほとんどが戦いによって心が荒んでしまっているのだ。そう思い至ると、この絵達にもまた違った感想が生まれてくるのだから不思議だ。
レイルは一つの絵に足を止めた。例に漏れずモノクロのその絵には、裸の女性達が描かれていた。美しい、けれど色のない女性達。
「エロい絵だよな」
廊下の向こうから下品な男の声が響いた。レイルは舌打ちをしてそちらに向き直る。先程住宅街で、レイルに対しても同じようなことを言った男が立っていた。
顔つきも身体つきも、獣を連想させる男だった。
獰猛な肉食獣――彼の場合はハイエナのようだ――を思わせる淀んだ赤い瞳は、レイルと絵の間を泳いでいる。何かの薬の中毒者らしく、カギ爪を装着した両手が細かく震えていた。だが、彼の細身だが筋肉質な身体は本物だ。軍用のベストとボトムに身を包んだ彼の色黒の肌に、薬によるダメージは見えない。軍用の服装には露出が少ないが、服の下の身体全体がしっかり鍛え上げられているのは想像出来る。おそらくは精神面をハイにする薬物か……
短い茶髪がシャンデリアの光に明るく照らされている。
――見た目だけなら好みなんだけどなぁ。
心の中で残念がっていると、相手は逆に嬉しそうに言葉を続けてきた。
「あんたはオレの獲物になった。オレの名はエイト! 覚えとけよ」
「……覚える必要なんてねーよ」
指を指しながら言うエイトに、レイルは鼻で笑いながら返す。見た目が良くても腹が立つ相手はいるし、それだけで殺したくなる。
「覚えなきゃダメだ! オレに飼われてからは、オレがご主人様になるんだからな!!」
「きめーんだよ。さっさと来い。殺してやるから」
レイルがそう言って剣を両手に構えた次の瞬間、エイトの攻撃が視界に入った。
有り得ないスピードで距離を詰めてきたエイトは、強烈な打撃をレイルに振り下ろす。それを紙一重で避けたレイルはひゅぅっと口笛を吹く。驚いた。フェンリル最速の自分でも避けるのが精一杯だった。
――あーあ、マジでイラつくな。
エイトの的確な攻撃に、レイルは防戦一方だ。たまに顔面に爪先が掠って腹立たしい。
相手はおそらく薬によって身体能力が爆発的に向上している。精神だけでなく肉体へのドーピングも行っているようだ。そうでなければ自分のスピードについてこられるはずがない。
エイトのカギ爪がついにレイルを捕らえた。身体を捩って避けたレイルは、そのまま後ろに飛び退いて距離を取る。切り落とされたのは髪の毛数本だが、レイルは既に沸騰寸前だ。
「ふっざけんなよてめー!! ゲスが、商売道具に傷つけんじゃねー!!」
レイルは叫ぶと同時に剣に雷を纏わせる。薄い紫の稲光が剣だけでなくレイルの身体にも走り、ピリピリと神経が刺激される独特の感覚が身体中に広がる。
「薬と雷、どっちのドーピングが早いか勝負しようぜ」
剣を構えて不敵に笑うレイルに、エイトも欲望に満ちた表情で答える。
「へへへ……オレが勝ったらお前は、オレの奴隷になるんだな」
「てめーは負けてバラバラになるんだよ」
レイルとエイトは同時に飛び掛かった。お互いの激しい動きに、いくつもの火花が散り、稲光が輝く。お互いが最高速度を維持しながら、長い攻防が続いていく。
そして、いきなりエイトの体勢が崩れた。口から涎が垂れており、目の焦点も合っていない。
――薬が切れたか?
レイルはニヤリと笑い、エイトの首筋に向かって剣を振り下ろす。