第四章 砂漠の薔薇
レイルは少年を追ってスラム街を奥へと進んでいく。ヘドロがいろいろなところに流れ出ていて汚いが、驚く程死体がない。
骸を抱えた少年が生きていける環境なのだから、道に死体がゴロゴロ転がっているものだと思っていた。
細い道を走っていたレイルは、大通りに差し掛かった所で少年に追い付いた。
少年は三人の男の子――見たところ不良のようだ――に絡まれている。骸を守るように屈み込んでしまった少年に、相手は数人で暴行をしかけようとしている。おそらく小さな手に握られた札が目当てだろう。
「てめーら何してんだ!?」
レイルは仕方なくそれを止めに入る。不良達は女のレイルを見て害はないと判断したのか、少年への暴行に戻ろうとする。
その態度に苛立ったレイルは、素早く不良の一人と距離を詰める。少年を殴ろうとしていた不良の手首を背後から捻り上げ、残りの不良達を睨みつけ殺気を放った。
人殺しの目は相手に充分恐怖を与えたようだ。不良達は腰を抜かしそうになりながら逃げて行く。
「大丈夫か?」
差し延べられたレイルの手を、怯えた様子で少年は見ている。
――本当に嫌なガキだ。
「いつまでも座ってたいならそうしろよ。私も伝えるもん伝えたら戻るから」
レイルはそう言いながら少年の前に屈んだ。視点の合わない彼の瞳をレイルが覗き込むと、少年は慌てて立ち上がった。
「よし、この辺りで一番綺麗な水場がどこかわかるか?」
「……多分、わかる」
「ならそこでそれ、洗おうぜ。ヘドロまみれだとお前の身体に悪いんだ」
レイルは笑いながら骸の包みを指差した。今もヘドロが流れているようだ。レイルの言葉に少年は戸惑った口調で答えた。
「場所はわかるけど……」
「なんだよ。何か問題あるのか?」
「さっき、殴ろうとしてきた人達のたまり場」
「……なるほどね」
どうやらあの不良グループは、綺麗な水場を拠点にしているらしい。
「私が一緒に行ってやるから、そいつら全員ぶん殴ってやるよ」
比較的女性客が多い店内の一角で、ルークは特大のマンゴーパフェと格闘していた。
アイスが三個も入ったこの店のスペシャルパフェに、ルークは一瞬で心を奪われてしまった。向かいの席でヤートが溜め息をついても気にならない。ちなみに彼はコーヒーを優雅に味わっている。
「レイルは大丈夫なのか?」
ヤートが飲みかけのカップを置いて聞いた。
「アイツが一人で行くってんだから、何か考えがあるんだろ」
――おそらく考え、ではなく直感だろうが。
『甘えと弱さは違う』。
あの言葉は、今でもルークの心を容赦なく傷つけている。まるで胸に針が刺さったかのように、チクチクと。
「だが、あまりあの子に猶予がないのは確かだ」
「……そんなに酷いのか?」
「汚染の問題じゃないんだ……死体処理の人間に見付かるのは、あの子には酷だろうからな」
「……死体処理?」
ルークは聞き覚えのない言葉に聞き返す。するとヤートは答える前に、まだ熱いコーヒーを一気に飲み干した。まるで、話し終えてからでは飲めない、とでも言うような……
「スラム街というのは、いつも死と隣り合わせの世界だ」
周りを気にしてか、ヤートは声のトーンを少し落とす。確かに、真昼間の喫茶店でする話ではない。
「この国では毎日何十人という餓死者が出る。いくらスラム街でも、死体が散乱するのは誰の得にもならない。そこで、その死体達を片付ける専門業者が生まれた」
「……そこまでやれる人間がいるのか?」
一般人の考えではない。
「政府が奨励金を出したんだ。安すぎる金だったが、それでも飛び付く人間はいた」
「上ってのは、どこでも手を汚さないものなんだな」
「……処理の仕事に就いた者の大半が、スラムでも最下層に位置する人間達だった。彼らは彼らだけのやり方で、死体を効率良く処理することが出来たからだ」
「一般人が死体を処理するには限界があるはずだ。必ずどこかは残る」
「それが骨すら残らない方法があった……あのヘドロに死体を丸ごと放り込むんだ」
「……」
想像してから、ルークはヤートがコーヒーを飲み干した理由がわかった。この話の後に黒い飲み物は、精神的にキツい。
「放り込む前に重さをきちんと量って記録に残す。そんな仕事が、もう五十年以上存在している」
「どうしてわざわざ記録する必要がある?」
「職務怠慢を防止するのと、後はスラムの実態を調べる為だろうな」
自分達で勝手に汚しておきながら、本当に頭にくる理由だった。
「とにかく、少しでも量を稼ぎたい奴らなら、きっと力ずくでも奪うだろう。そんなことになったら、あの少年が不憫過ぎる」
ヤートも苦い顔をして話している。
「死体を運びながら笑う奴らを見たことがある……奴らは自分の為に人が死んでいるとでも思っているんだろうか」
目を伏せて続けられたその言葉に、ルークは小さく頷いた。
「レイルも、絶対同じこと言うよ」
他人の命令で命を懸けて戦う自分達と重ねて。
――俺達も、クソ野郎共の下で働いている。