第十三章 フェンリスヴォルフ


 見落としていたわけではない。だが、今ここで自分が回避行動を取れば、フェンリルの注意が他に向く可能性があった。そのためロックは極めて合理的に、自分を囮にして攻撃を食らうという選択を取った。
 ライフルに一体化しているシールドを展開し衝撃に備えたまでは良かったが、巨体から繰り出された重量は到底殺しきれず、隠れていた遮蔽物ごと吹き飛ばされてしまった。
「くっそ……」
 悪態と共に身体に力を入れると、節々から激痛が走った。それを重力魔法により誤魔化しながらなんとか起き上がる。
 衝撃に舞った土煙はすぐに消え失る。視界が回復する前に移動しなければ、追撃をもろに食らう可能性が高まるだろう。視界には入らなかったが魔力の満ちる感覚があったので、ルークがなんらかの魔法の発動をこれから行うはずだ。そして、それに合わせてきっと、クリスも追撃を加えてくれる。
 信じられない程完璧に、彼らのことを信じていた。
 仲間のために囮になるなんて、今までのロックでは考えられないことだ。スナイパーとしては失格も良いところだが、それでも、仲間を守れる程誇り高いことはないと今では思える。
 力を込めても四肢が上手く動かない。どうやら右足が折れているようだ。他も少し怪しい。
 どうしたものかと一瞬で考えて、そして雷の気配に安堵する。
「大丈夫か!?」
 足からの流血をものともせず、レイルが駆け寄って来てロックに肩を貸してくれる。小柄な彼女に全力で寄りかかるわけにもいかないので、ここは男としてのプライドで痛みを我慢。痛みに呻いた視界の一点で、氷の魔力が発動する。
「足が折れた。それ以外も痛くてたまんねー。これでルークのバカが何もしてなかったら、あいつから先にぶっ殺す」
「それは大丈夫だぜ。あの野郎、なんて魔力だよ。召喚獣を押さえつけるなんて人間技じゃねえ」
「お前も充分人間技じゃなかったっての」
「そりゃどーも」
 ケラケラと笑いながら、しかし足は止めずにフェンリルから少し距離を取る。まだお互いの声は届く範囲だ。それでも二人の視線はそこにくぎ付けで。
 ルークの氷の魔力に雁字搦めにされた巨体に、ただ一人相対する――クリスの背。
 後ろ姿だけでもわかる。その瞳は精神の統一のために硬く閉じられ、ロックにとっての狙撃の瞬間の如く、呼吸を止め、生命としての役割を殺す。その一瞬、その時だけは、己の存在を、相手を殺すためだけの存在に変える。その瞬間に、全てが終わる。
 だから、終わった。
 息を呑むことすら忘れて見入ったその瞬間、クリスの持つ刃が閃き、不格好に氷によって立たされていた巨体が、一刀両断された。
「やっべー……最強過ぎ」
「でも……人間、だろ?」
 呆けたように零したレイルに、ロックはそう笑い掛ける。すると彼女もとびきりの笑顔で返してくれた。
「怪我した甲斐があるな、色男さん?」
「そりゃま、僕らのリーダーになって欲しい男には、恩ぐらい売るって」
 ここまで戦闘力の違いを見せつけられたのだ。この四人の中で誰が最強かだなんて、わからないはずがない。強き者に従うのは最高にそそるし、それが自分の好みの男なら尚更で。少々人間としての振る舞いには難があるが、それでもそれはこれからたっぷりと……楽しめそうで。
 真一文字に両断された巨体は、しかし魔力の繋がりによって倒れはしなかった。
 そんな大狼の姿に溜め息をつくように、クリスはその刃を鞘に戻した。この一撃によって全てが終わったのだと、彼自身が理解し、そして告げる。
「俺の願いは、人となることだ。だが、それよりも……お前を無力化しなければ、俺達の任務は終わらない」
 クリスの願いはロックの予想通りだった。だが、彼はロックが予想していた以上に真面目で、そして仲間思いで……
「何言ってんだよ!? 私らのことなんて気にすんな! どうせこの任務が失敗したって、ちょっと小言を言われる程度だっての」
 任務の内容は、フェンリルの無力化。もしここでクリスの願いをこの大狼が叶えたとしても、それには更に命という犠牲が支払われる。それはつまり、新たな犠牲が、それも町一つ吹き飛ばすような犠牲が必要ということだ。これを本部が知れば、反逆行為とみなすだろう。その対象はクリスだけではなく、おそらく四人全員となる。
 だが、それでも良いと思っていた。ロックだけでなく声を上げたレイルも、最高の仲間になると叫んだルークも、同じ気持ちだった。
 本部からのお小言――おそらく拷問や幽閉となるだろう――なんて、安いものだと心から思う。この男が真なる意味で人間となれる手助けができるのならば、足の一本や二本なくなったって構わない。さすがに両腕は、スナイパーとして残してもらえるだろう。
「そうだぜ! こんな機会、絶対ないって! 神と呼ばれる召喚獣なんて、この先会えたら奇跡だぞ!?」
 バカもバカなりに正論でレイルを援護するものだから、真面目一辺倒の無表情が、少し――崩れるのがわかった。
――うっわ、やば。
「俺にとっては、お前らと会えたのが奇跡だ」
 儚げな笑顔は、色白の彼によく似合っていた。
 穏やかに笑うクリスの姿に、ロックは瞬時に思考を回転させる。
 この笑顔は、失ってはいけない。この笑顔は、自分達のうちの誰かが犠牲になるだけでも消える。誰も犠牲になってはならない。この世の全てを犠牲にしても、この四人は共にあらなければならない。
 その瞬間、彼は全てを虜にしていた。
「おい、フェンリル! お前、何か考えがあるんじゃねえの? 涎垂らして笑ってんじゃねえよ」
 ロックは見逃さなかった。ヘドロを垂らした大狼の口が、微かに歪んでいることを。
 その獣の精神性が、いやにクリスに同情的であることを。
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