第十三章 フェンリスヴォルフ
「っ! やっぱ召喚かよ!」
広場の様子を目視できるまで近づいたところで、ロックがそう悪態をついた。彼はそのまま傍にあった背の低い塀に身を隠してライフルを構える。レイルとルークも彼に倣って遮蔽物に身を隠した。
「僕はここから狙撃で支援する。無線の類はねえがお前らのアドリブに合わせる。背中をぶち抜かない保証はねえが……ま、お互い、信頼してるってことで」
口では軽口を叩きながらその瞳に本業の鋭さが宿ったところを見て、レイルは思わずゾクゾクと欲望が駆り立てられたが我慢。お楽しみは任務の後でたっぷりと、だ。
「今更何言ってんだよ凄腕スナイパーが。私が肉薄する。男二人で私の背でも追って拝んでな」
「うっはー、こりゃ頼もしい双剣使いさんだことー。おい、なんとか言ってやれルーク」
「レイルは自由に動いてくれ。俺の弾は絶対にお前に当たらないから。信頼して欲しい」
「掠りでもしたらそこからお前を盾にしてやるよ」
お互い小声で言いたいことを言い合って、全幅の信頼を伝えるだけ伝え合って、まるで愛し合う者同士の愛情の確認のように、三人でそれぞれに目を合わせ、視線を絡ませる。
今までこんなこと、したことがなかったし、これからもこの三人――いや、四人でしかすることはない。そんな信頼の確認だ。言葉も物も必要ない。揺るがざる絆ができていた。
「……」
名残惜しいなんて初めての感情を喜びつつ、レイルは塀から広場を見やる。
村の集会にでも利用していたのだろうその広場は、村の全員が集まっても余裕のあるスペースがあり、開けた空間には一切の遮蔽物がないだだっ広いだけの空間だった。
だが、その分足元は綺麗に整備された地面になっており、召喚の儀式が始まっている今では、血のように赤い召喚陣が無数に、まるで獣の爪痕のように所々走っていた。
召喚はもう、始まっている。
だが、終わってはいない。
それは何故か、レイルにはすぐわかった。
召喚を強行しようとしている召喚士――信じられないことに一人だけだったが、その背後におびただしい数の死体とその残骸が積み重なっていたので疑問はすぐに解消された――に、クリスが刀を振り下ろしている。
一撃で召喚士の身体など切り伏せてしまうであろうその斬撃は、召喚のために集められた魔力によって火花を散らしながらも受け止められている状態だった。
元来魔法士や召喚士達の装備するローブは、布切れ本体での防御は行わず、その布地に浸された魔力や装備者自らの魔力によって攻撃を防御する。従って物理的なダメージには些か脆いはずなのだが、これほどの魔力となると話は別なのだろう。だが、召喚自体の発動は、その物理ダメージの防御のために魔力が分散しているせいか、少々不足気味と見える。
崩すなら今だ。だが、それは同時に、魔力の暴走も孕んでいる。
召喚獣の具現には、大量の魔力が必要だ。それこそ暴走すれば町一つ吹き飛ばすくらいの魔力が。それだけの魔力が今、目の前には集まっている。このまま暴走させてしまえば、自分達の命も危ない。
「……援護、頼んだ」
それでも、このままじっとしていることはできなかった。このまま放置していれば、クリスの身が危なかったからだ。
召喚のための魔力の余波が、彼の身体を蝕んでいる様を見て、レイルは暴発の懸念をひとまずは後回しにした。
遮蔽物から文字通り雷光のごとく飛び出した自分に続いて、ルークが二丁拳銃を構えて飛び出す。その後ろでロックがスコープ越しにこちらを覗く感覚を覚えた。
一瞬後にはもう、レイルはクリスの傍らに到達している。そのまま切り上げるように双剣を振るい、召喚士のがら空きの腹から肩に掛けてを斜めから切り裂いた。既に召喚のために人間としての自我を差し出してしまっていたのか、召喚士からは悲鳴も反撃もなく、ただただその身に集める力を守るようにして放出されていた魔力だけが、危険因子と判断したクリスとレイルの斬撃を身体ごと吹き飛ばし――クリスの刀だけは手放すことをしなかった。
「っ!!」
刀を手放さなかったのはクリスも同じだ。もちろん武器ごと吹き飛ばされたレイルもそれは同じことだったが、吹き飛ぶことすらできなかったクリスは衝撃を殺すこともできずに魔力の爆発をもろに浴びた。
すぐに霧散した魔力のおかげで、吹き飛ばされたレイルも、すぐに駆け寄ってくれたルークも、冷静にスコープ越しに状況を観察しているロックにもそれはよくわかった。
魔力が――ひとつの形を作り出した。
身体を失ったローブがぱさりと地面に落ちて、その隙間から赤黒い血を纏いながら魔力が上空に浮かび上がる。それに続くように後方の死体の残骸からも魔力が浮かび、そして――クリスの手から放れずにいる刀からも、無数の魔力が浮かび上がった。
「……北部の、妖刀使い……」
噂は本部でも聞いていた。殺した相手の血を吸い強くなる、そんな呪われた刀を持つ男のことを。そして吸うのは血だけではないだろうことは、レイルにだって想像できていた。
血だけでなく、魔力すらも啜った血みどろの刀が、今正に、召喚に利用されてしまっていた。
そして、それは――あってはならないことだった。
『……神の魂が、汚され……た……』
それは、もうこの世にはいない誰かの声だった。血肉すらも残らず消えた召喚士の声だったのかもしれない。だが、それが誰かなんてことはもう、問題ではない。そんな次元の問題ではないのだ。
いつの間にか、音もなく……ただ不快なまでの血生臭さと狂気を孕んだ気配を持って、魔獣フェンリルは召喚された。
それは、伝説に語られる美しい毛並みとは雲泥の差――醜悪なる血の色のヘドロを纏った魔獣として具現された。
村のどの建物よりも高い体躯に、村にある噴水などでは比べられぬ程のヘドロを垂らす四肢、そして――まるでそんな自身の姿を映したくないかのように、窪んでしまった光のない瞳。
建物なんて一飲みにできるであろう、巨大な顎が開く。
『何ガ……望ミダ……』
神と崇められる存在に、人は叶わぬ願いを託す。
悪意を、絶望を、孤独を、恐怖を、理不尽に、ただ理不尽に詰め込まれた“神”は、そう問うた。
目の前に膝をついた、孤独と狂気に潰されようとしている存在に。
鬼と呼ばれた存在に。
“人間を夢見た”存在に。
「俺の……望み……?」
状況が理解できないのであろう、クリスはそう問い返した。まるで初めての言葉をその口でなぞるような、そんな純粋さすら感じる声音。それを――
『――本部への復讐だ!! 奴らの息の根を止めるのだ!!』
忌まわしいまでの合唱が、遮った。
今度はわかる。紛れもなく、召喚士の、死体の残骸達の声。本部への反抗を企てた、当事者達の無念の声が。
その声こそ、“人間の声”だった。神自身が問うた存在は、人間ではないから。だから、例え目の前にいようが、優先はされない。
召喚獣とは、召喚した“人間”の命をきくものだから。
大狼の気配が、戦いのそれになる――その刹那、レイルは雷の如きスピードで立ち上がり、そしてクリスに駆け寄って叫んだ。
「そんな人間“だった”奴らの言葉より、こいつの言葉を聴いてやってくれ! 人間に”なりたい”こいつの願いを、どうか叶えてやってくれ!」
任務の内容は、フェンリルの無効化。死に際――というよりは死して尚、と表現した方が正しいか――の怨念じみた命令をフェンリルが実行すれば、それは正しく任務の失敗を意味し、そして、本部は蹂躙される。対してクリスがこれから言葉にするであろう願いなんて、きっと……レイル達も願うことだと、どういうわけか確信できていた。
クリスは、人間になりたいのだ。
本部で聞いた北部の鬼の噂話。それは正しく、人ではなく鬼の存在で。
人の血肉を主食とするその存在は、血肉を求める刀から生まれた命<使い手>だった。刀から生まれた人格だから、刀をより使いやすいように人間の姿をとっていて、若い肉体を持った男で、そして――心を持ったが故に、人間になりたかった。
心が成長するにつれて身体も相応に成長し、己の置かれた状況を理解するに至る知性まで育った。
そして彼はこの地で、生涯の仲間を手に入れる。信頼という最高のプレゼントをしてやるのだ。これから、レイル達が。彼を、『人間』にしてやる。
「レイル……」
「俺からも頼む! こいつは俺達と同じ、人間だって! 俺達みんなで最高の仲間になるんだ! だから、その願いを叶えてくれ!」
いつの間にか追いついてきたルークもそう叫ぶ。
「大勢これから殺すより、そっちの方が簡単なんじゃねえの? 生贄もたんまり喰らうんだから、それくらいで満足しとけっての」
遮蔽物から出てきたロックも、そう聞えよがしに言う。
「……俺が、お前達の、仲間に……?」
目を見開いて、信じられないという表情でそう返すクリスの頭上で、どぷりと巨大な顎が開いた。
『オ前達ノ望ミ、叶エタケレバ……力ヲ見セヨ』
獣の口から流れ出たのは、地を這うような歪な声。だが、どこか獣ならぬ知性を感じさせる声音だった。
「お前を倒したら、僕らの願いを叶えてくれるってわけだ?」
ロックがニッと笑って、敢えて『僕ら』の願いと言ったことで、クリスの瞳から一筋の涙が流れた。これを人と言わずに何と言うのか。
そんなクリスの表情を見て「上等だ! 神殺しなんてなかなかやれることじゃねぇ」と満足そうにロックは続ける。そしてその言葉の通り、彼の構えるライフルと一体化している大型の銃口に、膨大な魔力が集まる気配があった。
「殺したら元も子もねえぞー」
「ばーか、殺す気でいかなきゃ私らがやられるだろうが」
呑気な顔でボケたことを言っているルークを𠮟りつけ、レイルはロックの“初撃”に合わせて地を蹴った。
一瞬の後、ロックの構える銃口から信じられない密度の魔力弾が放たれる。レーザーのように長く尾を引くその特殊弾からは、ロックの魔力を色濃く感じた。短い間でも散々見せつけられた自信や色気の奥底にある、深く抱いた冷え入るような情熱が、その熱さに現れているようだった。
空を割るようなその一撃は、フェンリルの左前足を吹き飛ばした。だが、魔力により具現されたその巨体は、バランスを崩すようなことはなく、重力等あくまで人間の戯言だとでも言うように、三本の歪さですら変わらず対峙している。
レイルはその残った右前足に双剣で切りつけながら駆け上がる。斬撃の衝撃をバネにして地を這う雷と化したレイルは、そのまま中空に飛び上がり、今度は雷そのものとも呼べる速度と威力で獲物の首元に向かって突っ込んだ。
11/11ページ
