第十三章 フェンリスヴォルフ
「自分が何者かを決めるのは、自分だけだ。あんたが自分のことを人間だと言い張る限り、僕はあんたは人間だと断言してやるよ」
この言葉はロックのお気に入りの言葉だった。
それは、この言葉を使うであろう状況が今のロックにとっての人生の目的になりつつあるからだ。唯一の肉親となった兄に対して、ロックはこの言葉をいつか贈りたいと考えている。
なんでもできる完璧な兄が受け継いだ“元人間”の召喚獣共に、ロックは対峙し、言ってやりたいのだ。肉体を捨てた程度で人を超えたと奢り、そのくせ僅かに残された人の性故か、己のことを最後まで人間だとのたまった男に、ロックは“もう一度”言ってやりたいのだ。息子に遣われる哀れな男に、もう一度、兄を通して言ってやりたいのだ。
「……食人鬼なんて、人じゃねえだろ」
その“瞬間”のことを考えてついつい悦に入りかけたロックの耳に、それは幾分不快に聞こえた。
ロックにとって、いや、きっと隣のレイルにだって、食人鬼も“自分達のような”連続殺人犯も同じ“狂人”だ。呼び方は違えど、分類は同じ。たくさん人を殺した犯罪者。それだけのはずだ。
自分が爆弾魔と周りから呼ばれていることはロックも知っているし隠すこともしていない。ちゃんと罪を償うという名目で命令の通り獲物を殺しているし、作戦終了後には真面目に報告書の提出までしている。任務の後のアフターフォローまでバッチリなのは、きっと自分が天才だからだという自負があった。
そんな、少しは“有名人”であることを自覚しているロックの耳には、違う地方の有名人の噂も入ってくるもので。そしてそれはおそらくお互い様であろうことも理解していて……
隣のレイルはおそらくブラッドミキサーと呼ばれた血みどろ女だし、食人鬼の噂だって飽きるほど聞いた。二人共、噂以上のそそられる外見に最高の同僚になれそうな素敵な予感がビンビンだ。それだっていうのに、だ。
不快な言葉の張本人であるルークは、心底怯えた表情で、そう言ってのけた。強い血の香りと、おまけに腐敗臭まで纏わせたこの男が、である。
「それは……人形使いのお前が言うことじゃねえんじゃねえの?」
爆弾魔の自分だって言わないのだから、東部で一時話題になった死体マニアだって口にすべき言葉ではないのだ。そんなことを当たり前に言っていいのは、紛れもない一般人だけである。それなのに……
「俺はっ……いや、俺だけじゃなくて、レイルやロックだってそうだろ? 確かに人を“黙らせる瞬間”は最高に楽しいし、飾るのも趣味だけど、“俺達”はそいつらを食ったりはしないだろ? そんなの、人間のやることじゃない」
人間じゃない。
人であることの否定。
きっと、その言葉こそがトリガーであり、彼の背負いし罪であるのだろう。
言葉が人の心を切り裂く瞬間というものを目の当たりにして、瞬間的に動けたのは加害者以外の二人だった。
引き裂かれた当の本人はぐっと唇を嚙みしめて、感情のない目を入り口とは反対側の壁に向けたかと思うと、次の瞬間にはそこを刀の一閃により破壊し飛び出してしまった。
そのあまりの勢いになんとか反応したロックとレイルは、吐き出した言葉の威力に呆然とするルークを庇うことに精一杯で、クリスの後を追うことすらできなかった。
刀の斬撃により崩れ落ちた壁の土煙が落ち着いた頃、ようやく呼吸をすることを思い出したかのようにルークが大きく息を吸った。
「っ……」
半分嗚咽のようなその息遣いに、ロックは彼の生い立ちをなんとなくだが理解する。おそらく、それなりに手間も愛情も掛けられて育てられたお坊ちゃんなのだろう。親子関係が歪んでいないからか、そんな自分自身こそが歪んでいるという自覚が育っていない。これでは東部支部でも浮いているに違いない。こんなに男前が、もったいない。
「おいおい、ルーク。こっち見ろ」
ロックが手を伸ばすより先に、レイルがルークの顔を両手でしっかりとホールドして、自らの方を向かせて固定して言った。
「レイル……」
「いいか、私はあんたの生い立ちや苦労なんてもの、一切知ったこっちゃねえし、あんたが人形使いだって知っても正しく『人間だ』って言ってやる。だけどな、それは狂った側の言動だってこと、あんたはそろそろ理解した方が良いんじゃねえの?」
「俺は……でも、人を喰うなんて、そんなこと、俺はしない……」
「喰わなきゃセーフ、なんて一般人共に通じるかよ。死体遊びで捕まったお前も、世間から見たら充分異常で『人でなし』、それはそれは恐ろしい『悪魔の所業』ってやつだ。だから、お前も同罪」
諭すようなレイルの言葉に、ルークの瞳が悲しげに揺れた。どうやら同じ括りにされるのが嫌らしい。だが、そんなルークの反応に、レイルはとびっきりの言葉を続けた。
「もちろん、私らも同罪だ。四人仲良く、『人でなし仲間』だ。どうだ? これならちょっとは……楽しめそうじゃねぇ?」
にっと笑って誘うように放たれた最高の言葉に、ルークの目に光が宿るのをロックは見た。
その言葉にはロックも惹かれた。言葉の内容は最低な程に残虐で、どうしようもない括りだというのに、どうにもその最高に甘い誘惑に、ルークはもちろん、ロックも手を伸ばしたくてしかたがなかったからだ。
――『仲間』なんて言葉、きっともう、死ぬまで本気にすることなんてないと思ってたけどな……
罪を犯してそれでも尚生かされている自分には、きっともう、本当の意味での仲間なんてものはできないと思っていた。
でも……こいつらとなら……
自然と、心の底からそう思えて、そんな幻想に等しい言葉を信じようとしている自分のことが、ロックは一番信じられなくて――嬉しかった。
自分にもまだ、人間らしいまともな部分が残っていることが感じられて。そしてそう感じていることが、決して自分だけではないということも、なんとなくわかったから。
それは正しく『絆』と呼べるにふさわしい繋がりの『始まり』で。
「仲間……俺もレイルも、ロックも……クリスも、仲間……」
口元に浮かべた笑みが何よりの証拠。自らの言葉を噛みしめ、己のものとするように口にしたルークに、ロックも頷く。
「さっさと仲間、追いかけようぜ。あの方向なら広場じゃねえか? どうせ召喚の儀式をするにもそこだろうし、一石二鳥だろ」
「へー? ロックは召喚の儀式、詳しいんだ?」
この空気のまま流して欲しかったのだが、さすがにそんなに甘くはないのだろう。レイルがわざと含みのある問い掛けをしてきたので、ロックは仕方なく白状する。
「僕は一度、召喚士を殺してる。召喚にはある程度の広さと相当の魔力、もしくは――」
己の親だとは言わなかった。親殺しを恥じている訳ではないが、血筋の説明が面倒だと感じたからだ。両親が揃って初めて召喚できる歴代当主の残骸なんて、いちから説明していたら日が暮れる。おまけに自分には召喚士としての資格がない。何故なら愛人の子だったからだとか、本当に面倒で仕方がない理由だった。
そんな気持ちでロックは白状し、その途中で――唐突に気付いた。
不自然に止まったロックの言葉に、レイルとルークの視線が突き刺さるのを感じる。
「なんだよ?」
「……大量の死体がいる」
鈍いルークの問いにロックはただ、それだけを答えた。答えたというよりは零したに近い。そんなパズルのピースのような状態の言葉にも関わらず、レイルがその続きを補足する。
「ここには死体が全然ない。クリスが散々暴れたのに、だ。つまり……誰かが死体を集めてるんだ。召喚の生贄にするために」
「っ!!」
「急ぐぞ! きっとクリスにフェンリルをぶつけるつもりだ。人には神は殺せねえ」
クリスが開けた空間に駆け出そうとしたロックとレイルに、ルークが制止を掛けた。
「でも、それって“人には”ってことだろ!? あいつは――」
「――仲間だろうが! とっとと行くぞ!」
至極当然のその返事に、ルークではなく――空気が震えた。
