第十三章 フェンリスヴォルフ


 お楽しみのところを狙うのは気が引けたが、しかしこの瞬間が一番油断しているというのも事実だ。
 扉越しの発砲は当たればラッキー程度の感覚で、追撃のために更に引き金を引こうとしたロックの耳に、聞き慣れない金属音が響いた。
 一瞬、室内からの反撃かとも考えたが、続けての音も衝撃もなにもない。木製の扉に銃弾が空けた穴からは、室内の様子など見えるはずもなく。
 室内からの攻撃がないことこそが敵意がないことの意思表示だと受け取ったロックは、ライフルは構えたまま扉を開けて部屋に入った。
「あんたも任務の仲間か? いきなり撃ってくるから焦ったよ」
 そう言って笑う男の表情からは、言葉のような焦りは何も感じられない。ベッドに押し倒した女の上で、彼は片手に構えた拳銃をこちらに向けた姿勢のままだった。
 そしてロックは先程の金属音に察しが付く。どうやらこの男は、信じられないことにロックが発砲した銃弾を、己の銃から撃ち出した銃弾で弾いたのだ。
――信じらんねー。こいつ人間技じゃねえよ。
 スナイパーとして既に凄腕だと言われているロックだが、この男の命中精度は拳銃の射程圏内ならば自分よりも上だろう。この男とやりあう場合は、扉越しなんてものではなく、超遠距離からの狙撃しかあり得ない。
「そーだよ。つーか、あんたじゃなくて『ロック』な。僕は南部支部から。お前らは?」
 未だベッドに横になったままつまらなそうにこちらを見上げる美女――さすが特務部隊所属と言える、とんでもない美人だ――も含めて、ロックは二人に対してそう問い掛ける。そんなロックに、何故か二人は噴き出した。
「その返し方、レイル……この子と全く一緒だよ。俺はルーク。東部支部から。よろしく。ほら、レイルも」
「中央部のレイル。あーあ、あんたのせいでせっかくのお楽しみがパーだよロック。責任とって三人でヤらねー?」
「お楽しみもなにも、こいつ勃ってねえだろ?」
 とんでもない美人の口からとんでもない言い掛かりを受けて、ロックは口元の歪みを抑えきれずにそう答えた。全ての男を虜にしそうな華憐な少女だが、どうやら口も悪ければ貞操観念も終わっているらしい。おそらく尻も軽いだろう。なんだ、最高の女じゃないか。
 そんな最高の女の上で、ルークは興奮とは程遠い苦い顔をしている。この空気は知っている。男としては絶対に避けたい地獄の空気の入り口だ。
「いやー、イイ女だし正直ヤれそうな気もしてたんだけど、やっぱゲイには女は抱けねえなーって……」
「はぁ? お前ゲイかよ!? だったら先に言えよ! 無理させるつもりなんかなかったっての」
 ベットから起き上がりながらそう言ったレイルの言葉には、嘘はなさそうだった。同性愛には偏見がないようで、おまけに自分相手に勃たなかったルークのことを責めることすらしなかった。本当にイイ女だと感心させられる。
 そしてそれ以上にロックは、自分のセクシャリティを大っぴらに話すルークにも好感を覚えた。
 そもそも好青年らしい彼の見た目はロックの好みだが、それ以上に真っすぐで素直な言葉に強く惹かれる自分がいる。まるで暗がりにいる自分を救い出す光のように見えたと言うのは、少し大げさ過ぎるだろうか。だが、それくらいの衝撃を受けた。
「だったら尚更混ざれるんだけどー? 僕は女も男も大好きだからさ」
 にっと笑ってそう提案してやると、二人の熱を帯びた視線がすぐに突き刺さって来て――血生臭い気配を背後に感じて、ロックはすぐさま二人が座るベッドの横まで飛び退った。
 開いたままの扉の外で、この世のものとは思えない程の美しさを湛えた男が、深紅の瞳でこちらを見据えて立っていた。




 危うく呼吸をすることを忘れて見入ってしまう程の美青年を前に、ルークはただただ生唾を呑むことしか出来ないでいた。
 流れるような金髪は目元が隠れるギリギリの長さで揃えられており、その隙間から時折覗く鋭すぎる深紅の瞳が、見る者を魅了し、そして凍り付かせる威圧感を放っている。
 すらりとした長身はよく鍛えられていて、無造作に持たれた刀からは血生臭さの原因であろう鮮血が滴ったままになっていた。
「……あんたも、任務で?」
 恐る恐る、といった様子でレイルが男に問い掛けた。ベッドに座り込んだままの姿勢だが、しかしその瞳は油断なく男を見上げている。飛び退ったままのロックなんて、その手がライフルに伸びていた。
「俺はクリス……北部支部にいた。だからお前達より先に任務を始めていた」
 整い過ぎた口元から、氷のような声が流れた。冷気すらも孕んでいるようなその声音は、恐ろしくて、だからこそ強烈なまでに心を掴まれる。
「……クリス、ね……僕達の任務って、そんなに血生臭いもんだっけ?」
 ライフルに手を掛けたまま、ロックがクリスに向かって嘲笑混じりに言った。この言葉からロックが受けた任務の内容も、ルークと概ね同じだろうと理解できた。
 ルークが受けた任務の内容は、この村に眠る召喚獣『フェンリル』の無力化だ。この場合の無力化は、本部に敵対させないという意味合いになる。ニュアンス的には召喚の鍵となる人物だけを始末すれば問題ないのだろうが、召喚のための神具だったり場所だったりを破壊することでも解決しそうではある。もしくは召喚獣自体を消滅させるか。とにかく荒事からは離れられないため、特務部隊に話がまわってきたのだろう。
 この任務の内容を聞いて、『それなら召喚の鍵となる人間を殺すのが一番早い』と考えるのが特務部隊の人間だ。
 古来から召喚を行える人間というのは、特別な血筋の者達で、尚且つ高い魔力と強靭な精神力を併せ持っているものだ。こんな人間はそう簡単には現れないので、鍵となる人間を殺すだけでも当面の間は、本部が考える『平和』というものが約束されるだろう。
 つまり、任務の対象者は多くても数人の規模のはずだった。
 ここが特務部隊の特務部隊たる所以でもあるのだが、人数や武力で全てをなぎ倒すのではなく、あくまで潜入からの暗殺によって任務を遂行する。つまり、クリスの刀が既に血塗れになっていることは、特務部隊としての流儀に反するのだ。だが……
「……俺には、皆殺ししかできない……」
 だから、誰よりも先に来た。言葉にこそしなかったが、何故か彼の思いがルークには理解できた。それはどうやら残りの二人もそうであったようで、ロックはライフルから手を放し、レイルは「北部出身の刀使い……ね」と呟いて、それから笑顔になって「よろしく。私らの名前は、聞いてたんだろ?」と言った。そういえば扉は開いたままだったか。
 クリスの返答は頷いただけだったが、その口元には薄っすらと笑みが浮かんでいるような気がした。
「それで? 進行度合いはどうよ? ハンサムな人殺しさん」
 くくっと笑って挑発的な言葉を敢えて選んで話すロックに、ルークとレイルは思わず大笑い。刀から漂う血の匂いから、そんなものだいたいは予想がつくというのに、わざわざこいつは本人から言わせたいのだろう。自分が何人斬り殺したのかと。当の本人は顔色一つ変えずに「百人はいってない」と真面目に答えていた。
 村の規模から考えて、本当に皆殺しし兼ねない勢いで“仕事”をこなしていたクリスに拍手を送りつつ、ルークはその勢いのまま「その刀についてる血で何人目の村人なんだよ、殺人鬼さん?」と笑って言った。
 だが……
 その瞬間、明らかに空気が変わった。
 そして隣で紫電の光が瞬いたかと思った瞬間、ルークの目の前で双剣を構えたレイルが、刀を振り下ろしてきたクリスの斬撃をその刃で抑えている。
「俺は……人間、だ」
 込めた力を緩める気配もないまま、クリスはただ、そう零す。ギリギリと押されつつあるレイルの苛立った表情とは対照的に、その顔にはなんの感情も浮かんではおらず、ただただ零された言葉には、人としての意思の気配すらも感じられない。
「んなもん見りゃわかんだよっ!!」
 さすがに我慢の限界だったか、防戦一方だったレイルが怒鳴りながら刀を押し返す。紫電を纏わせた双剣の魔力で吹き飛ばすようにしてなんとか距離は離すものの、クリスは数歩後退っただけで、ほとんどダメージは受けていないようだった。
 だが、小柄な女性に押し返されたのが余程意外だったのか、深紅の瞳が驚きに丸くなっていた。
「……見たら、わかる?」
 零れるような言葉を吐きながら、信じられない、という表情を浮かべるクリスに、レイルは更に言い放つ。
「お前っ、最近噂になってる食人鬼だろ!? そんなに人間かどうか気になるんなら、私がはっきり言ってやるよ! 人なんて不味くて不快な生物を好んで食らうなんて馬鹿は、人間しかいねえんだよ! ちょっと数百人殺したくらいでイイ気になってんじゃねえ!」
 彼女の言葉に、今度はルークが驚いた。
 食人鬼と言えば最近本部で噂になっている北部所属の異常者だ。頭が完全にイカれたヤバイやつで、鬼のように強くて人を食らい人肉以外のものを口にしないと聞いていた。だから北部の伝承になぞらえて鬼だと呼ばれているはずだった。そんな存在が目の前に……どうりで血生臭い殺気だったわけだ。
「そうだそうだー! 僕達だってれっきとした連続殺人犯なんだぜ? 自分ばっかり特別だなんて思うなよなー」
 ギャハハと笑ってロックもそう同意して、「姿形は百点満点の美男子で、その内面は偏食気味のメンヘラちゃんなんて最高ー」と続けて自然な動作でクリスの肩に腕を回して抱き寄せた。ロックの方が身長が低いので、クリスの肩に回した腕によって、あたかも上目遣いにねだるような姿勢になる。
「……」
「こういう時、男は相手の腰に手を回して、相手の言うことを聞いてやるもんだぜ」
 とんでもない嘘を平然と言ってのけるロックに――いや、嘘ではないんだが、この状況でそれを実行するべきなのはゲイかバイの男だけだ――、おそらく対人関係スキルの乏しいクリスはその言葉を鵜呑みにしてしまう。ロックの腰に手を回したクリスを見て、ルークはうっはと声にならない声を上げそうになり、目の前の赤髪が「うっは」と全く同じ反応をしていることに安心すらしてしまった。
 目の前で抱き合う男二人の情景は、まるで名画のように美しい。ここまで完璧な造形美はなかなか見られるものではないと思う自分がいる一方で、どうにかこうにかこの二人の時をこのまま“止めてしまいたい”と考えてしまう自分もいる。そんな自分に気付いてどうにも興奮してしまい、ルークは仕方なく空気の中和にかかる。「ちなみに一般的には女の腰に手を回すんだぞー」と。
「……そうなのか?」
 腰には手を回したまま、クリスが馬鹿正直に問い返してきた。それをルークとレイルは肩を竦めて肯定。そんなどうにも天然の気がある美青年の腕の中で、ロックがフェロモン駄々洩れの笑みを浮かべて「自分が何者かを決めるのは、自分だけだ。あんたが自分のことを人間だと言い張る限り、僕はあんたは人間だと断言してやるよ」と言った。
 彼の言っている意味はわからないが、彼がとてつもなくモテることだけは、ルークにもわかった。そして、そんな彼にクリスの瞳が釘付けになったこともわかった。
 なんだかとても、腹立たしい。
8/11ページ
スキ