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第四章 砂漠の薔薇


 収穫祭のメイン会場であるこの国最大の広場に着いた。広い空間に大規模な市が開催されている。向こう側の端が人混みで見えない。
 ヤートは懐かしい光景に思わず笑みを浮かべた。状況は限りなく深刻だが、故郷の大地をまたこうして踏むことはないと思っていたからだ。
 クリスは店が並ぶ場所から少し離れた噴水の近くで立ち止まった。全員が近くに来るまで待ってから口を開く。
「ここがこの国の中心だ。ここからは各自、夕方まで自由に行動するが、本当に……目立つ行動は謹んでくれよ?」
 行き交う人々は皆、店に気を取られている。ヤートはそこまで計算してこの場所を選んだクリスに感心する。彼はこの国に入るのは初めてと聞いていた。
「んじゃ、僕は抜けるわ」
 ロックが片手を上げてさっさと人混みに消えていく。短い期間の付き合いだが、彼にしては珍しい行動に思えた。
 その証拠に、残されたフェンリルの三人も一瞬だけ彼の背中に視線を投げた。瞬く間に気温が下がったように感じる。まるで殺意を垂れ流しにしているような……とにかく、仲間に対しての目ではない。
「……俺は食後のデザートでも買いに行くかなぁ」
 微妙な間を空けて、明らかに不自然な声のトーンでルークが「それじゃ」と言って人混みに消えた。その態度にレイルは溜め息をつき、クリスは眉間に寄ったシワを指で解している。
「リーダーはどうするの?」
 レイルがクリスに問い掛ける。
「俺は、いろいろやることがある」
「女?」
「……お前の用もある」
 クリスがこちらを一瞬見てから、ぼかしたように言う。
「……あー」
 レイルも何か気付いたようで、「それじゃ、私はヤートさんとデートしとく」と笑顔で言った。
「……!?」
 あまりにその言葉が自然だったので、ヤートは意味を理解するのに時間が掛かった。意味もなくむせる。
「ああ、これで楽しんでおけ」
 クリスも真面目な顔でレイルに軍資金を渡す。
「お前なら大丈夫だろうが、あまり変な物は買うなよ」
 クリスの、まるで子供に小遣いをやる親のような台詞に、レイルは笑って何回も軽く頷く。早く金を渡してやれ、とヤートは思った。
「……ヤートさん、レイルをお願いします」
 数枚の紙幣を嬉しそうに握り締めるレイルを優しい表情で見てから、クリスはヤートに向かって言った。
「善処させてもらうよ。お嬢さんにとっては退屈かも知れないが」
 ヤートの言葉に、レイルが笑顔で腕に絡んできた。柔らかい感触が当たってヤートは顔が熱くなるのを感じた。
 クリスはそれを見て小さく笑うと、そのまま背を向けて人混みを縫うように歩いていった。





 微妙な空気から逃げるようにして、ルークはメイン会場である市場を離れた。
 人の少ない裏通りまで避難して、漸く一呼吸置くことが出来た。建物に阻まれて、少し影が出来ているので涼しい。目の前に壊れた屋台らしきものがあるだけで、人がいないのも涼しさの原因だろう。日陰から市場の人垣に目をやる。
 皆が皆、幸せそうな表情で歩いていた。まるでこの国には貧しい人間なんていないかのように、沢山の紙幣が飛び交っている。ルークは溜め息をついた。
 反対側に振り向いたら、そこには悲惨な光景が広がっている。この場所はスラムに近い。
 裏通りの向こうにはヘドロのような汚染物質が垂れ流しにされており、奥まった所に隠れるようにして汚い格好をした人が座っていたりする。生気の無い淀んだ瞳は、どこか遠い所を見ているようだった。
 その瞳がなんとなく嫌で、ルークはレンガの壁――おそらく一般の住宅ではない――に背中を預ける。ぼんやりと空を見上げるが、気分は全く晴れない。
「お兄さん、何か見て行くかい?」
 いきなり声を掛けられて、ルークは周りを見渡した。屋台らしき物から老人がこちらを見ていた。商売人特有の人懐っこい笑みを浮かべている。それまで壊れた屋台だと思っていたが、よく見ればちゃんと商品が並んでいた。
 ただ、その商品は全て駄菓子だった。値段を見てもおそろしく安い。そういえば先程から妙に甘い匂いがしていた気がする。
「……」
 ルークが返答に困っていると、店主が小声で言った。
「こっちも客商売なんでね。店の前に誰もいないってのはマズイんじゃよ」
 そう言いながら彼は横目で路地の方を見た。ルークもそちらを見ようとして――危うく拳銃に手を掛けそうになった。嗅ぎ慣れた臭いが近付いてくる。
 路地の向こうから金髪の少年が現れた。ボロボロの服を身に纏い、両手で大事そうに布に包まれた何かを持っている。ルークは近付いてくる少年から目を離せない。
 少年からは強い死臭が漂っていた。ついに少年がルークの横に立つ。にこやかな笑顔だが、その瞳はデタラメな方向を向いていた。
「おーおー、また来てくれたのかい。ほら、好きなのをお選び」
 店主が屋台から出て少年の目の前にしゃがみ込みながら言った。
「……でもおじいちゃん、ボク……お金持ってない」
 少年は泣きそうな声を上げる。だが、やはり視線は合っていない。
「構いやしないよ。おじいちゃんの屋台は繁盛してるんだ。ほら、このお兄さんもお客さんなんだよ」
 突然そう指を指されて、ルークはたじろぐ。ただでさえ対応に困っているのにこの不意打ちは反則だ。
「さぁ、沢山お選び」
 少年は大きく頷くと、駄菓子を三個だけ選んでお礼を言った。どれも強い香りがする種類だった。保存料がべったりと着いている。少年がお菓子を取る時も沢山腕をぶつけたので、彼の腕にもべったり着いた。
 そこでルークはある可能性に気付いた。少年は片手に駄菓子、もう一方の手に布の塊を持っている。にこやかに笑う店主に、少年が丁寧にお辞儀をした。
 その大きな動きに耐え兼ねるように、少年の手から布が滑り落ちる。その瞬間、店主は明らかに顔を引き攣らせ、ルークは自分の悪い予感が当たったことに舌打ちをする。
 少年は人間の身体を抱えていた。ただし、壊死が進みほとんど原型を留めていない死体だ。
 おそらく元は赤子だったのだろうが、今は頭蓋骨に微かに残った肉と肩だったであろう部分がかろうじて繋がっているだけだ。そこから下の部分はずり落ちてしまっている。目玉もない、ただの暗い穴に向かって少年は微笑みを落とす。
 店主が震える手で落ちた布をその死体に巻き付けた。ヘドロの塊のような物がその布には着いていた。よく見れば死体にも付着しているようだった。
 ルークは居た堪れなくなり、店の駄菓子を少年が持てる分だけ取り出してやる。それを少年に手渡すと、少年も店主も驚いた顔をした。
「金は俺が払う」
 ルークがそう言うと、少年は微笑み店主も安心したように屋台に戻る。少年は「ありがとう」と無邪気に言い残し、危うい足取りで歩いていく。少年が路地を曲がって見えなくなったところで、店主が言った。
「あの子は目が見えなくてね」
「……そうみたいだな」
 焦点が合ってなかったのはそのせいだ。
「親もいない、お金もない。おまけに唯一の肉親はアレじゃ」
 店主は絞り出すように言う。壊死した死体など、一般人には何度見ても辛いだろう。死体を綺麗に保つことが趣味なルークにとって、あんな腐敗死体に興味はないが。
「あの子は弟が死んだことに気付いていないんじゃ。他人のワシに出来ることは、せめてあの子が餓えないように残った駄菓子を売り続けることくらい……」
 売れ残りだから保存料があれだけ塗られていたのか、とルークは納得した。ルークは店主の震える手に札を握らせる。驚いてこちらを見る店主に、ルークは歩きだしながら言った。
「あの子もそうだが、あんたも身体大事にしろよ」
 代金以上の札を渡して、ルークは気分良く市場に戻る。良いことをした後なので、自分も笑顔で人混みに混ざることが出来そうだ。
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