第十二章 古の記録
稲光を纏ったコメイを見て、ヤートは反射的に背中に手を回して大剣を抜き放った。既に槍を構えているサクと共に、じりっとコメイから距離を取る。
「俺達がリティストさんの部屋で話していたことは聞いていたんだろう? わざわざここまで連れてきたのは、ルツィアから俺達を引き離すため、か?」
結局勢いを殺されたまま、敢えてコメイの誘導に乗ったヤートだったが、隣に並んだサクは「あっ! そうだった!」と声を漏らしていて、頭を抱えそうになってしまう。そんな男二人にコメイは、余裕の表情を崩さずに言った。
「やーね。あたしはむしろ、あの子のことも救うために、ゼウスである貴方をここまで連れてきたのよ? この銀の鏡で雷神を召喚することが、リティストとフォックスの『復讐』なの。それを加害者であるあの子に見せて、薄っい表情筋でニヤニヤするのが楽しみなのよリティストは! ほっんとムッツリで嫌になっちゃう」
「……その復讐には、どれだけの人間が巻き込まれる?」
「この都の“生きている人間”はもう、駐屯している外部の軍人だけよ。一般人はみんな水の底。古の記録よろしく、みんな沈んでいったわ。そして、都の命を引き換えにして、少なくとも“ひとつの地方”が破壊されるわね」
「特務部隊は本当に……手を下してはいないんだな?」
悪夢のような事実は、この際諦めることにした。水底に揺れる命の残骸達は、既に原型を留めていなかった。死後数日ということはない。沈んだ都の伝説になぞらえての集団自殺は、ヤート達が到着するよりももっと前に行われている。
だからこそ……そうだったからこそ、ヤートはまだ、諦めることが出来た。これもフェンリルと行動を共にしていなければ出来なかったかもしれない。あまり自覚はないのだが、間違いなく自分も彼等の流儀に染まりつつあるのかもしれなかった。
彼女は言った。この悪行は自分達ではないのだと。そしてこうも言った。沈んでいったと。
それはつまり、集団自殺に間違いない。召喚の為の生贄として、この都の人間達はその命を差し出したのだ。だが、何故?
「ええ。そもそもこの都自体、一般人と呼べる人間はほとんどいなかったのよ。ほとんどが南部と東部から派遣されている駐屯軍人で、各々が国境……今時こんな言葉使ってるの南部と東部だけらしいわよ? 笑えるわね。とにかく国境を警備するために派遣された軍人と、それらを相手にしていた施設の人間だけだったの」
「南部ではまだ、地方のことを国とも呼んでいる。それは“どこも”一緒だと俺は思っていたがな」
「ふふ、否定はしないわ。本部にも間違いなくその風潮はあった……ごめんなさい、話を戻すわね。衣食住を提供していたこの都に昔から住んでいる人間が、もれなく行動するって異常でしょ? そんなおかしな動きは、よそ者のあたし達でもわかるくらいだった。急いでここにあたしが来た時には、最後尾の人間が沈む瞬間だったのだけど、その時あたし、聞いたのよ。『魔王様の命令だ』って」
隣でサクの息を呑む気配がする。それはヤートだって同じ気持ちだった。この都の地下に魔王の死体があるのであろうことは聞いていたが、これではまるで……
「……魔王というのは、実在するんだな? 死体、というのも本当か? その話じゃ、まるで魔王が――」
「――魔王の身体は確かに死体よ。それは間違いない。ここからはあたし個人の推測なのだけど……魔王とこの都に昔から住んでいる人間達は、なんらかの……例えば魔力による繋がりがあるんじゃないかしら? そうじゃなかったら百人程度の人間が生贄になったところで、雷神ディアスを呼び出すことなんて出来ないもの」
「確かに人間の、ましてや非戦闘員の魔力では、召喚のための犠牲としては少ないが……」
神と呼ばれる存在を呼び出す召喚は、莫大な魔力を消費して行われる。文字通り命すらも削られる召喚の代償は、千人規模の被害が出た記録もあったはずだ。確かにコメイが言うように、犠牲の数が少ないようにも思える。
「魔力の繋がりがなかったとしたら、それこそ“血”の……“種族”の繋がりかもしれないわね。伝承では魔王は人とは違う、魔族。人間なんかよりよっぽど高い魔力を有する種族の都だったとしたら、この数の生贄でも召喚の準備は整ってしまうのかもね」
「……仮にそうだったとしても、だ。もう住人は皆死んでしまって、召喚の準備は完了しているのだろう? なら、今優先すべきは、ルツィアの救出と召喚の阻止だ」
「そうですよ! コメイさん! ルツィアはいったいどこにいるんですか!? リティストさんと一緒なんですよね!? 大丈夫なんですか!? それに……こんな時に先輩達はいったい何をしてるんですか!?」
敢えてヤートが触れなかった優先事項に、サクの大声が触れた。
フェンリルの姿が見えないのはきっと、彼等の思惑通りに事態が動いているからだ。何故ならば、その狂犬達のリーダーがヤートに言ったのだ。出歩くならば特務部隊と行動を共にするように、と。
「フェンリルの子達は別の場所にて行動中よ。もちろん、あたし達の目的は共通してる。だからここに案内したの。あたしの身体の自由は正直、いつリティストに奪われてもおかしくないの」
「……それって、レイル先輩の腕と関係ありますよね?」
「あーら、あの子ったら、こんな無垢なオトコノコにまで見せてるの?」
「……なんのことだ?」
コメイから目を離すのは“危険な気がして”、ヤートはサクへは視線を投げることをしなかった。サクの方も一歩下がったのが気配でわかる。目の前で狐がにぃっと笑ったのがこの上なく不快だった。
「あの子の雷の秘密よ。簡単に言えばあの子とあたし達の魔力はリンクしていて、それが召喚の鍵となってるの。だからレイルがこの場所に来て、“あたし達”が揃わない限り、雷神が召喚されることはないわ」
「あたし達って……ここにもう、リティストさんとフォックスくんがいるのか!?」
驚いたヤートの声に、コメイはふふっと笑って、背後の水面に身体を向けてある一点を指差す。
そこは湖の中に沈んだ、屋根の崩れた神殿のような造りをした建物だった。崩れた部分から内部が見えていて、そこに半分埋まったような水底で白い椅子に座らされたルツィアの姿があった。
「ルツィア!」
気付いたサクも大声で同期の名前を呼ぶ。その声が届く距離でも隔たりでもなかったが、それでもこちらを向いたルツィアがしっかりと反応したように見えた。どうやら縛られているようで身動きが取れないようだが、幸いなことに水の中でも呼吸は出来ているらしい。しっかりと椅子に座っているところを見るに、水底は空気のある空間になっていそうだった。
「水中の通路を開けてあげるわ。これでもあたし、水流系の魔法は得意なのよ」
「恩に着る。あそこにはリティストさんもいるんだな?」
「ええ。おまけに魔王の死体もあそこよ」
「何!?」
「お人好し過ぎてわからないようだから教えてあげる。貴方、誘われてるのよ。リティストはゼウスの力で魔王の電力を制御したいの。そうしないと、呼び出した雷神が機能しないから」
「……誘いに乗る程フェンリルは馬鹿じゃない、か」
自嘲気味に出たその言葉に……意外なことに、寄り添ったのは狐だった。
「貴方はまだ、違うでしょ?」
「ヤートさん! 行きましょう! 俺、ルツィアのこと助けたいです」
いつも頼りない印象を受けるサクにしては珍しい強い主張に、ヤートは思わず彼に目をやる。
先程まで浮かべていたであろう狼狽した表情なんてものはそこにはなく、ただ強く強く槍を握り締める軍人の顔がそこにはあった。
「これ以上あいつを傷つけるなんて許せません。絶対に」
「ああ。もちろんだ。行こう」
そう頷いたヤートにコメイも頷き返し、静かに魔法の詠唱を始める。