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第十章 異に接する都


 砂漠に夜が訪れた頃、ようやくルナールに到着した。
 視界の問題で遠目からは目視出来ていなかったが、近付いた今ならその姿がはっきりと確認出来た。
 ルナールは、まるで砂漠に突如生えた鉄製の森のようだった。町中――いや、少なくともこちら側から見える南部側は、森のように建てられた鉄塔がぐるりと市街地を囲むように広がっており、そこに見張りの姿はない。
 砂嵐が常時吹き荒れる南部側には、そもそも人間の目視による見張り等あまり意味はなさないのかもしれないが、それでもこの人気の無さは異常だ。
 無数に建てられた鉄塔からは、まるで木々が枝を伸ばすようにそのそれぞれに鉄線が伸ばされていて、それらが重なり合うせいで奥に栄えるであろう街並みを目隠ししてしまっている。
 鉄塔からの視線は感じない。それを確認したクリスは、砂走に停止の指示を出し、籠が砂漠に向けて降ろされる独特の浮遊感のなか、“装備”を整える。
 既に打ち合わせは終えているので、ヤートは座ったまま憂鬱そうな顔をしているし、対してエイトはボロボロになったデザートローズの軍服の汚れを手でなぞってご満悦だ。
「へへ、これだけボロボロならオレが南部の軍を逃げ出したってのも信憑性が増すってか?」
「そもそもお前が逃げ出したのは事実だ。そこのところの情報はルナールの特務部隊も掴むだろう。疑われた場合は、お前の演技の問題だなエイト」
「群れの頭は厳しいねー。あんたこそ、捕虜らしくする演技、出来んだろうな?」
「俺なりに善処するさ」
「うへー、スゲー自信」
 エイトが舌を出して笑ったところで、砂走の籠に衝撃が走った。籠が地面に着いたのだ。鉄塔の森の真ん中、この籠の真正面に門がくる位置に降ろされたことになる。
 森の正面には人の気配こそないが、出入り口のための門があり、そこ以外は鉄塔の間に張り巡らされた鉄線によって侵入を阻まれているようだ。おそらく目には見えないが幅のある鉄線の間には、人間の意識等一瞬で奪える程度の電気が通っているに違いない。
 エイトはすっと立ち上がると、軍人の表情をして籠の扉を開ける。捕虜という設定のクリスとヤートは、それなりに悲壮感を漂わせてエイトの背中を見詰めるのみ。
――荒削りながらも、凄腕だなあいつは。
 つい一瞬前まで舌を出して笑っていた人間とは思えない顔を、エイトはしていた。己の身を守るのではなく、国の未来に絶望した、愛国者故の苦痛の表情を、彼は見事に“演じて”いた。
 それは果たして演技なのか。それはクリスにはわからなかったが、その顔を見たヤートの口元が引き締まったことは視界の端に捕らえていた。生真面目なヤートのことだ、これでまた心を痛めてしまわないかが心配になる。
 鉄塔に挟まれた門の傍までエイトが来たところで、門の内側から兵士が二人駆け寄って来るのが見えた。門は開かれた状態で、不思議な事にその内側に砂嵐が吹き込んでいるようには見えない。現に兵士達の装備も武装のみで、砂嵐に対しての対策はしていないようだった。
 兵士達が門を踏み越える。その瞬間、突然人の気配が強まった。二人分の気配がまるで湧き出たようにクリスの感覚に現れたのだ。その感覚にクリスはヤートに視線を送る。ヤートも眉間に皺を寄せたまま頷き返してきた。
「気配を消していたのはあの門……いや、鉄塔の効果だな。砂嵐を退けるところを見るに、何か“力”の抑制を行っていて外部との“全て”を遮断しているのかもしれない」
「その遮断が外部だけで、内部でも効いていないことを祈りたいな。ゼウスの起動に問題が出そうだ。魔力にまで干渉してきたら手の打ちようもない」
 表情だけでなく頭まで抱えそうな勢いのヤートに薄く笑ってから、クリスは安心させてやるために敢えておどけて言ってやる。
「こればっかりは潜入調査が必要だな」
 もちろん、お互い声は抑えているし、姿勢も怯えるように縮こまることによって外からは死角になる位置取りを徹底している。
「ああ。他の籠も皆、わかっているんだろう?」
「もちろんだ。新人達はわからなかったとしても、俺達フェンリルがついている。『捕虜らしい振舞い方』だけで言えば、あいつらの方が俺より上手いくらいだ。おっと……噂をすれば、だ」
 門から出て来た兵士二人が、そのままエイトを伴ってこちらにやってくるのが見えた。二人共、装備は東部で採用されている銃を手に持っており、ルナール全域で砂嵐の問題は解決していることが窺える。あの鉄塔の周りだけではなさそうだ。
「南部からの脱走者って珍しいのに、しかも土産まで持参なんてよー。俺らツイてるな」
「おいおい、上玉なんだろー? 女より男の方が多いってのが残念だけどよ、それでも“機械”相手にするぐらいなら俺は男でも良いって思うね」
「ぎゃはは、お前やべー。軍隊っつっても人間が少なすぎるよなー。生身の女とかマジで久々だわー」
 砂嵐の中、ご苦労な事に大声で下品なことを話している二人の兵士に挟まれて、エイトが愛想笑いを浮かべている。あくまで脱走者という設定のエイトはキレることも出来ないので、相当ストレスが溜まっていそうだ。それでも投げ出さない辺りはさすがか。
 兵士の一人が籠の扉を遠慮もなく全開にした。途端に砂嵐が籠の中に舞い込み、わざと汚した服装――特務部隊のダークスーツを脱いでしまえば、一般人となんら変わらない服装になる――の上に砂がみるみる溜まり、より一層小汚さが増した。
「……こいつは、確かに上玉だな」
 クリスの顔を見るなり、兵士はそう言ったきり固まってしまった。その様子にエイトが訝し気な視線を送ってきたが、さすがに今はクリスも無視することしか出来ない。心配する気持ちはわかるが、少なくともこんな下っ端共に顔が割れているフェンリルではない。
「なんだなんだ? 男二人じゃな……あー、こりゃ……上玉だ。汚したくなる、美男子ってやつだ」
 兵士二人は、どうやらクリスの見た目が好みだったようだ。感触を楽しむように頬を触られたので、わざと縮こまって怯えて見せてやる。その様子に男二人の息が荒くなったところで、エイトがやんわりと制止に入った。
「兵士さん、籠はまだ二つあるんです。そっちも値をつけてくれないと、危険を冒して連れて来た意味がない。この上玉もこんな砂嵐の下じゃなく、もっと楽しみ方があるでしょうから」
 エイトの完璧な演技に欲望を更に刺激された兵士達は、さっそく興味の対象を別の籠に向けたようだ。
「へへ、そ、それもそうだな」
「おいおい。お前、まさかここへの逃亡中、楽しみまくったんじゃねえのか?」
 欲望を隠そうともしない笑いが遠ざかる。籠の扉はエイトによって閉められたが、それが兵士達からは『手土産の逃亡を阻む脱走者』の姿にしっかり見えたらしく、既に目先の興奮のために警戒心が薄れていることがわかった。この短時間でここまで信用させるとは、エイトはいったい何を言ったのだろうか。
 砂走の籠は三つ並んで降ろされており、籠自体の距離は近い。その為、他の籠に対する彼等の感想も籠の窓に耳を寄せていれば微かに聞こえた。
 案の定兵士達は、他のフェンリルの面々のことも大層気に入ったようだった。『下品な女だ』とか『男のくせにそそる身体だ』だとか一通り聞こえてから、「籠はそのまま台車で運ぶ。お前も籠に戻っておけ。入国を許可する」という兵士の声をバックにエイトが籠の中に戻って来た。
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