第十章 異に接する都
昨夜、この問いには答えは貰えなかった。不安も疑問も恐怖すらも吹き飛ぶような快楽は与えられたが、そこにその問いに対する答えはなかった。いや、答えに密接に結びつくであろう感触は、この手に何度も貰った。
レイルの左腕には継ぎ接ぎがあった。場所としては肘の下辺り、そこにぐるりと、まるでそこから下が一度切り落とされたかのような傷跡があったのだ。
「女の身体まじまじと見て……サクってば、童貞みたーい」
昨日の今日でふざけたことをニヤニヤ笑いながら言うレイルに、無言でサクは抗議の目を向けた。すると彼女もすっとその笑みを消し、真面目な顔で、今度こそその問いに答えをくれた。
「悪かったって、怒るなよ。私のこの腕は、見た通り一度切り落とされている。これは特務部隊に入る前のことだから、軍内でも知っているのはフェンリルと上だけだ。新人も、お前以外には言ってない」
「ということは……ヤートさんも?」
「ああ。ヤートさんに至っては、まだ見せることすら出来てなくてよ。ひでーよな」
真面目な顔でそんなことを言いながら、しかしレイルの声には穏やかな響きがあって。
彼女はわかっているのだ。それだけヤートがレイルのことを大切にしているということが。本当に愛されているからこそ、抱き合うだけの夜を越えるだけでも満足なのだ。
「それは……レイル先輩の腕、ですよね?」
継ぎ接ぎの下部分を指差しながら、サクは確かめるように問う。するとその問いには反対側から返事がきた。
「僕も初めて見た時は驚いてよ。話を聞いたら昔、“色々”あって腕を切り落とされて、その時に繋ぎ直したんだと。神経繋ぎ直した医療班の技術がヤベエよ」
勘も鋭ければ頭も良い金色の瞳が、しかし今回ばかりは事の本質を理解していなかった。それもおかしなことではない。この腕が“不自然なこと”は、きっとサクのような人間にしかわからないのだから。
「……その腕……“人のもの”ではないですよね? いや、えっと……言い方が悪かったです。その……極めて生き物に近い機械の義手というか、生物としては死んでいる腕<パーツ>というか……」
深紅の奥でエメラルドグリーンが妖艶に微笑むのが見えた。背後でゾクリとする程の殺気がするが、その瞳からサクは目を離すことが出来ない。背後に刺さる視線は、サクを飛び越してその瞳を見ているというのに、彼女の口元は満足そうに笑みを湛える。
「人の性癖ってのは恐ろしいな。この腕を見て一発で見抜いたのは、お前とルークくらいだぜ」
そこまで言ってレイルは立ち上がり、向かいの席にどっかりと座り直した。全裸のままの彼女は、目のやり場に困るサク等無視して、継ぎ接ぎのある左腕を掲げて言葉を続ける。
「この腕は私の腕であって私の身体じゃない。切り落とされた元の腕は損傷が激しくて、そのまま繋げられなかったんだ。そこで本部の頭のイカレた連中が、“繋ぎ”としてある帯電体質者の腕<パーツ>をぶち込んだ」
「……レイル先輩のその特異体質は、生まれ持ってのものじゃないんですか!?」
「当たり前だろ。こんな体質で生まれる奴なんか、今じゃほとんどいねえよ。呼吸を始めた瞬間から発電する身体は、赤ん坊の段階で身体の方が限界になるからな。私は世にも珍しい体質の“ストック”を受け継いだだけの“まがい物”だよ」
最後は皮肉のようにそう締めくくった彼女にかける言葉をサクが考えていると、少し広くなったスペースを楽しむように身体を伸ばしながらロックが言った。
「特異体質や珍しい魔力特性ってのは、代々受け継がれるものなんだけどよ。それって、なんでかわかるか?」
今はもう、先程感じた殺気はない。問い掛ける金色の瞳にはいつもの気だるさはなく、向かいに座るレイルと同じく、真剣な空気を孕んでいる。
「いえ、俺にはわかりません」
「強過ぎる力に耐えられる身体を、代々永い時間をかけて作り上げていくからだ。レイルの腕だってただ帯電体質の腕<パーツ>をぶち込んだだけじゃない。拒絶反応を捻じ伏せるなりなんなり出来た、数少ない成功例ってやつだ」
それを聞いてサクもようやく理解出来た。確かに移植するだけで強力な兵士が作れるのならば、きっとあの本部のことだ。いくらでも非人道的なことを行うだろう。それを本部がしていないことが、その解答なのだ。成功確率は相当に低く、その為に有能な兵士を消費したくないというのが本音だろうか。
「……やっぱサクって賢いよな。さ、自分の所属している組織のクズさ加減を再確認したところで、昨夜の続きといこうか」
「え? いや、ちょっと、それは……」
「なんだーサク? 若いくせにもうへばってんのか? んなことねーだろ? レイルの腕、継ぎ接ぎから下は死んでるんだぜ?」
「バーカ、ちげえよロック。死んではねえよ、息してねえだけ」
「そりゃ死んでるのと変わりねえだろ淫乱バカ女」
「てめっ、私はそこまで言ってなかっただろうがよ!」
妖艶な気配で誘ったくせに自分を無視して取っ組み合いを始めた先輩二人を止めるべきか悩みながら、サクは随分と高く昇った陽の位置を確かめ、目的地にはあとどれくらいで着くのだろうかと思いを馳せるのだった。