第十章 異に接する都
レイルには睡眠薬の入った容器には印をつけておくように言っておいたのだが、大雑把でしかも勘の鋭い彼女は「変に印なんてしてたらバレんだろうが。各自“気を付けて”食べろ」と突っぱねてしまった。
その為クリスはせっかく温めた熱々のグラタンを食べ損ねることとなり、“二人”との“密談”が終わってから、冷めたものをいただくことになるだろう。密談の内、一人は今終わったところだ。
大柄なヤートの身体をちゃんと席に座らせてやる。ぐったりと座り込むようにして意識を失ったので、どこもぶつけていなさそうだ。大きな音も出なかったので、残る一人もまだ夢の中である。計画通りに事が運ぶことは素晴らしい。
少し手荒な真似をしてしまったので、謝罪の意味も込めて短い金髪を撫でる。まだ残っていた砂粒が落ちて、サラサラと音を立てた。
身長はクリスの方が高い。だが、ヤートは骨格から逞しい。本当に絵に描いたような軍人の身体つきなので、そういうところをとっても、自分達特務部隊は軍の中でも特異なのだなと実感させられる。クリス達だって鍛えてはいるが、やはり行軍の為の基礎体力には大きな差があるだろう。
固く瞑られた瞼の奥の青を想像し、クリスは自分の計画が上手くいくことを願い、それを遂行するために尽力することを意識のないヤートの前で誓う。
――神の名を冠したその力で、魔王の兵隊を無効化、か……いつかは俺達のこの戦いも、神話のように語られる時がくるのか。
既にフェンリルとしての戦いのいくつかは本部では伝説と化しているものもある。フェンリル結成当時の初任務が特に知れ渡っているようだが、それ以外にも戦場となった地方では禁句のようになってしまっていることもあるようだ。あまり興味がないので詳しくは聞いてもいないのだが。
『魔王』の力は電力だと推測しても、その『機械兵士』達が想像通りの“機械”だという保証もないのだが、それでも本部が自分達をルナールへ差し向けたのには理由があるはずだ。その理由を推測することすらも、クリスにとってはいつも楽しんで取り組んでいる日課に過ぎない。
さて、そろそろ守るべき人の寝顔を見るのは止めて、躾のなっていない狂犬もどきの相手をしなければならない。
クリスはエイトの前に立ち、その意識がまだ戻っていないことを改めて確認する。固く閉ざされた瞼はぴくりとも動かない。呼吸も整っているようだし、やはり意識はないようだ。筋肉の緊張まで目視するクリスには、狸寝入りは通用しない。
褐色の肌に誘われるようにして手を伸ばす。軽く頬に触れ、その愛らしさに思わず顔が緩むのを我慢。その手を首筋、南部の軍服へと下ろしていき、そして――懐からデミの欠片が入った培養槽を取り出す。
少し太めの試験管のようなサイズのそれには、薬液に浸された獣の目玉と脳細胞の欠片が申し訳程度の神経の塊と共に浮かんでいる。光に対しての『反射』はするが、液体の中に浮かぶそれからは『生きる意志』すら感じられない。
――こんな姿で生き残るのは、年頃の娘には酷だろうな。八つ裂きにされた身体で復活なんて、望む人間はなかなかいない。
そう、“なかなかいない”のだ。クリスが知っている『八つ裂きにされた身体で復活を望んだ人間』は一人だけ。その人間と実際に話したこと等ないが、“彼”は絶対に復活を願っている。その願いを“彼女”に託したのだから。いや、彼女だけでなく“彼等”にでもあるか。
己の野望のために人を動かす人間のことを、クリスはあまり好きではない。まるで軍部の上によくいる人間の思考とまるきり同じように思えて嫌悪感を覚えるのだが、そもそも人を殺して金を得ている自分達だって、相手からすれば同じように迷惑な存在なのかとも思い直す。
「俺達は人殺しだからな。今更、か……」
クリスは浮かんだ笑みを消すことはせずに、そっとその培養槽をエイトから引き離し、上部にある蓋を開く。“事故”を防ぐ為に固く締まっていた為、開けた衝撃に培養液がちゃぷんと揺れる。零れないように注意しながら、目線の高さまで持ち上げて、同じく揺れる中身を見詰める。
「この欠片の機能を止めることも、殺人になるのか?」
その問いに答えられる者は誰もいない。
足元の砂を片手で拾い上げ、握り締めるようにして培養槽の上に持っていく。細かい砂がサラサラと落ちる。指の隙間から零れた量なので、狭い培養槽の口に入ることはない。
「――何してやがる!?」
突然覚醒したエイトの拳が、クリスの手を撥ね退ける。クリスの手から離れた培養槽をエイトは危なげなく両手で抱き締めるようにして受け止め、その血に狂ったような赤い瞳でこちらを睨み付けてきた。