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第十章 異に接する都


 目の前で突然、エイトが意識を失った。ヤートがそう気付いた時には、横から強い力で籠の窓に顔面から押さえつけられていた。
「っ!? ク、クリスっ!? なんだ!?」
 咄嗟のことにヤートはそう大声を上げることしか出来なかった。愛刀を荷物と共に置いていたことが油断の原因と言えば嘘でもないが、そもそも仲間である自分に対してこんな真似をする男だとは思っていなかった。彼は狂犬で、暗殺者ではあるが、少なくともヤートのことを助け出してくれた存在だ。
 籠の窓は吹き付ける砂嵐対策のために防弾ガラスを採用しており、人間が顔面から叩きつけられたくらいではヒビの一つも入らないが、それでも叩きつけられた側としては痛みもあれば衝撃もある。手に持っていた容器こそ食べ終わっていたので空だったが、今も尚押さえつけられている右目の上が痛む。
 確かに鍛えられている身体ではあるが、それでも美しさというものに特化されたように感じるクリスの腕が、その見た目からは想像も出来ない程の強い力でヤートの動きを封じている。見た目からは想像も出来ない腕力を持っているのは、どうやらロックだけではないようだ。狂犬達には本当に驚かされる。
 ガラスに接触したままの頬が擦れて、つーっと間抜けな音を立てた。暴力の強さを表したような激しい物音を立てたにも関わらず、エイトの目が開かれることはない。
――毒? それとも、睡眠薬か? だとしたら、俺はどうなる?
 隣でグラタンの封を開けたクリスは、しかし食べることはしなかった。それはつまり、そういうことになる。だが、理由がない。
――今更敵軍であるエイトの抹殺? いや、クリスならもっとスマートに行えるはずだ。そもそもルナールへの侵入のためにもエイトの助けが必要なのに、それは絶対に有り得ない。
 身動きの取れない身体で、仕方なく頭だけでも動かそうとしているヤートに、クリスが顔を近付ける。
 その表情には、いつもの無表情だけが貼り付いていて。この精悍な男の顔が、こんなにも得体の知れない恐怖となるとは今では思いもしなかった。初めて車上で相対した時を思い出す。
「……手荒になってしまってすまないな。ヤートさんの“ココ”が、どれだけの刺激に耐えられるか興味が湧いた。俺に、今夜は付き合ってくれないか?」
 ゾクリとする程の低い声に、抵抗する勇気は湧かなかった。獲物を前にした獣の気配を、彼からは冷たく感じ取れた。
「せっかくの“二人きり”だ。俺が“その気”になるのは珍しいんだ。もうわかってるだろ?」
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