第十章 異に接する都
サクが愛用しているこの槍は、神話時代に魔将が使っていたと言われる槍の模造品だ。それは南部出身のロックだけでなく、出身者ではない他のフェンリルの人間も一目で見抜いていた。それ程までに、あの“模造品”は血の匂いを発していたのだ。
目の前のメス犬の宝剣リキュアールと同じ時代に振るわれていたというこの地竜の槍は、『魔将』と呼ばれる魔力のとても高い人間が使っていたものらしい。
今の時代とは異なり、その“神話時代”とも呼ばれる時代は、『高い魔力』の“次元”が違う。大陸一つを一人の人間の魔力によって動かしただとか、天空を割っただとか、国一つを吹き飛ばしたなんて話はザラで、今の人間の魔力がいかに衰退したかがよくわかる。
――資質を問われる魔力とは違って、科学ってのは誰でも使える便利なものだからな。
これはロックの持論だが、戦争の絶えなかった神話時代、人々は生き残るために魔力を高めざるを得なかった。魔力の高い者達が生き残り、そしてその間で子孫を育む。
そうやって高いレベルの魔力保持者が増えたわけだが、時代が変わり、台頭してきた科学の力は魔力の資質を問うことはしない。それまでは自然淘汰的に排除されてきた魔力の低い者達も、科学によって生かされる機会が増え、その血は少しずつ紛れ込む。
そして今は――
「本物の地竜の槍は、大陸を動かす程の魔力があったって聞くけどよ、“その”模造品はどうなんだろうな?」
ロックは敢えて“意地悪な質問”をサクに投げ掛けた。この問いへの返答によって、ロックの中での――否、フェンリルの中での彼への対応が変わる可能性がある。
自身の命が関わった重要な問いに、サクはどう答えるだろうか。
「……“これ”には……そんな力はないです。ほんの少しだけ、地唱術の力を強めてはくれますし……」
「強めてくれるし……? それで?」
健気な後輩は、言い淀んだ。
己の身を守る意味では、この反応は正しい。だが、それは相手がその模造品のことを“何も知らない”場合に限る。本部がフェンリルのことを詳しく伝える気がないのはわかっているので、ここからはサクの“勘”が全てになるのだが……どうだろうか。
「他には……?」
彼の横でメス犬が妖艶な笑みを見せる。いくら“生物”に恋愛感情が湧かないと言っても、彼女の色気<武器>はそんなに甘いものではない。甘さすらも含ませたその問いに、顔を向けてしまったサクは固まってしまう。笑みに目が釘付けになる一方、しかしその口は続き<真実>を紡ぐために動き出す。
「……この槍を持った時から……性欲が増した気がします。その……物に対してだけですけど」
「あー、そりゃ“正常”だぜ。安心しな」
先程までの笑みから一気にその表情を崩してレイルが笑った。その途端ひりついていた空気が一気に和み、サクははぁっと大きな溜め息をついている。
「僕達はもう一本……いや、二本か、その槍の模造品を見たことがあってな。そいつの持ち主も、『この槍を持つと獣の欲望が大きくなる』って言ってたよ」
昔の任務で同行した“同僚”を思い出して、ロックはふっと目を細める。目の前のレイルも奴を思い出しているのか、「イイ男だったな。今も幸せなら良いんだけど」と小さく零した。
彼の持つ模造品にも大地の魔力は渦巻いていたようだが、レイルと同じく自身の属性とは合っていなかったので魔力を引き出す使い方はしていなかった。ただ、“混ぜ合わす”力だけはとても馴染んでいたようだが。
「そう、だったんですか。その……男性? は今は?」
「もう通り過ぎた南部の街で、嫁さんと元気に暮らしてるだろうよ」
「ご結婚されているんですね。えっと……特務部隊、ですよね? 辞めてる、んですか?」
サクが疑問に思うのも無理はない。機密情報を扱う特務部隊は、基本的には一度配属されたが最後、後は『仕事が出来なくなる』まで居続けることになる。片足が無くなったぐらいでは抜けることの出来ない職場なので、ほとんどの人間とはお別れイコールあの世行きだ。
「籍はまだ特務部隊だが、現地の見張りが正しいな。潜入調査中、ってやつだ。向こうに家庭がある方が動きにくいかもしれないが、反対に警戒もされないしな」
「なるほど……でも、任務中だとしても、愛する人とずっと暮らせるのは幸せですよね。どんな形でも……」
愛欲等燃え尽きたような灰色の瞳が揺れて、思わずロックはサクを見詰めていた。彼の隣のレイルも“ソレ”を感じ取ったのか、横目でロックと同じようにサクに釘付けになっている。
「……南部の伝説に、こんな話があるんだ。二人の少年の、『引き裂かれない愛の話』なんだけどよ……」
「それ、俺も知ってます。この模造品が振るわれていた時代の話は、『骨董品好き』と言われるくらいには興味があったんで」
「へー? 私は詳しく知らねえから、教えてくれねえか? やっぱ、その土地で育った人間に聞くのが一番良いしな」
こりゃ、退屈しないで済むぜと続けたレイルに、ロックは頷き話し始める。南部の人間なら知らない者はいないであろう、『哀しい愛の物語』を。