第十章 異に接する都
三つの籠にそれぞれ乗り込んだことを確認し、クリスは砂走の緑の血液が流れる“血流”に命令を下す。ひと昔前の見た目の電子機器が籠の前方に取り付けられており、そこから砂走の血液に直接命令を伝えるのだ。頭を潰された生き物を走らせるのは、科学の電流だった。
新しい“脳”が機械なので籠の中は当然、砂嵐を完全にカットしている。内部は四人掛けのゴンドラのような造りで、砂嵐しか見えないガラス窓からは、他の二つの籠の様子すら確認できなかった。荷物を置く場所は空いたスペースに適当にというところが、唯一の問題だろうか。あまりにスペースが足りない為、三匹用意してもらう破目になった。
クリスが乗り込んだこの籠が三匹のリーダーとなる個体なので、他の二匹はこの籠に追従する形で移動することになる。砂嵐の関係上、違う籠の仲間達とは無線で連絡が取れない。乗り込む前に出来るだけ“危険がない”分け方をしたつもりだが、それでも視界すらも遮断された他の籠のことは気に掛かる。
朝早く出発した砂走の籠は、数時間もしないうちに南部特有の砂嵐に飲み込まれた。砂漠に適応している“足”らしく、南部に入った途端にその速度も増したようだ。これからは南部の砂漠地帯を経由して東を目指していくことになる。本当に、目的地の目と鼻の先までこの砂漠と砂嵐は続き、突然視界が開けるのだ。
――視界も無線も無効化された空間のことを、今更ここで考えても仕方ない、か。
クリスは自然についてしまった溜め息もそのままに、同じ籠に収まった面々に目をやる。
乗り込む前のルツィアの記憶は正しく、この籠は四人乗りだ。しかし各自の装備や食料等のせいで、この籠にはクリスの他にヤートとエイトしか乗っていない。もう一匹にはロックとサクとレイルが乗り、最後の一匹にはルツィアとルークが乗っている。
ルークにはそれでなくとも食料という大荷物がついてまわる為、籠には一人放り込んでやるつもりだったが、どうやらロックとの関係が怪しいルツィアが彼を避けたようで、クリスも敢えてそこには気が付かないフリをして二人の同乗を許可した。
機嫌が悪いであろうロックと逆に妙に上機嫌なレイルに挟まれて、おそらくサクには常々苦労をかけることにはなるだろうが、それも“いつものことだ”と慣れてもらうしかないのだろう。
それよりも、だ――
「エイトは、サクと一緒じゃなくて良かったのか?」
原因等わかり切っていたが、一応、知らないフリをして聞いてやった。四人乗りの籠は二人掛けの座席が対面するように設置されており、残りのスペースも広くない。足を伸ばせば対面する相手に当たってしまうため、夜を越すには適しているとは言えない造りだ。
クリスは進行方向に背を向けた席に座っており、その隣にヤート、対面にエイトの並びだ。苛立ちを隠そうともしない赤の瞳が、クリスに遠慮なく注がれる。
「オレもさすがに馬鹿じゃねぇ。狂犬共のリーダーが、あいつの“好み”を知らねぇってか?」
「……対物性愛、か……」
クリスより先に隣のヤートが呟いたことが気に食わないのか、エイトの瞳がキッと鋭くなる。その肉食獣のような瞳でヤートを睨み「お前も他人の性趣向でソイツを笑うのか?」と威嚇するようにして唸った。
興奮した猛獣のようなその反応に、しかしヤートもクリス程ではないにしても、それなりにはもう、“猛獣”の扱いには慣れてきている。初めて出会った頃からは、もう別人のように逞しい。
――頼りにしている。本当に。
クリスが見守る横でヤートはエイトに向かって真っ直ぐ伝える。
「俺は、相手の性趣向を悪く言うつもりはない。エイトくんがデミちゃんのことを大切にしていることも素晴らしいと思っているし、サクが俺の“機械の部分”に対してそういう目で見てきても、仲間として受け入れている。さすがに恋愛は、俺には出来ないが」
愚直なまでの、真っ直ぐな言葉だ。こんな言葉は、クリスには言えない。何も飾らない、本心からの言葉は、何よりも獣の心には突き刺さる。もちろん獣のフリをした狂人にもだ。
「……そうか。サクも、不憫だよなー。オレに言ってくれれば、いつでも相手してやるのに」
優しさ、温もり、信頼、愛情。それらは獣達の手からは遠く離れたものだった。それはもちろん、獣のフリをした狂人の手にも。幼き頃、多少与えられた獣もいたが、この狂人はどうだったのだろうか。
一回り近く年上の男のこの笑顔は、クリスから見ても反則だと思う。優しく、それでいてどこかに微かな諦めも漂う。こんな色気は、クリスにもまだ出せないだろう。
「あー……オレってさ、本当は年上の男ってのが一番クルんだよなー。やっぱ、初恋だからかな? 男の」
先程まで見せていた自嘲のような笑みが、一転して欲望に満ちた笑みに変わった。しょげていた犬が突然狼になったような変わり身の早さに、ヤートは眉間に皺を寄せ、そんな彼等の様子を見てクリスはついに噴き出してしまった。
――ダメだ。やっぱりコイツは可愛い。あのエドワードも、こんな気持ちだったのか?
陸軍で戦っただけの関係の老人を思い出す。赤の瞳がクリスに釣られたのか悪意なく笑った。ヤートも空気の変化に安心したように笑みを落とす。
「エイト。良かったらお前のこれまでのことを教えてくれないか? 俺はお前に興味が湧いたよ」
「そりゃ嬉しいね。オレも男前の過去には興味があるぜ。どうせメシを食うぐらいしかやることもねえんだ。子守唄のつもりで聞かせてくれよ」
「俺は、人喰いと呼ばれた鬼だ。人を喰う為に殺して、喰った。鬼と呼ばれるだけ喰った。それだけしか、話せることがないんでな。それよりも、もっと有意義な話をしてやろう。それが済んだら、お前のことも聞かせてくれよ?」
「ま、特務部隊の人間の過去なんて、簡単に聞けるとは思ってねえよ。イイぜ。頼む」
そう言いながらエイトはぐっと身体全体で伸びをして、座席にだらける。わざと足をクリスの足と当ててくる。誘われているのはわかりきっているので、無視。
「……これから行くルナールには、ある『召喚の伝説』があるんだが……」