第九章 繋ぎ合わせたモノ
陸軍の“後片付け”は、一週間もすればある程度の目途が立った。壊れた建物の修復はこの際、軍部らしいものへと建て替えることにして、それよりも難航したのが“犠牲者”の弔いだ。
死体だけでも相当な数だが、あの悪意の塊の塔から零れ落ちた“人型”達を形どっていた液体が、地面を腐らせる跡となって中庭の所々にこびり付いている。その中に濃厚な血の気配まで漂うのだから、余計に手が掛かる。
「“清掃”だけでもまだまだ掛かるなこれは……おまけに埋葬場所も確保しなければならない、か……」
もういっそのこと、この陸軍の中庭を『英霊達の墓』という形にしてしまうのはどうだろうかとリチャードが考えていると、背後の扉が開く音が酷く大袈裟に響いた。
エントランスから続くその扉を開けて入って来たのは、見たくもないアレグロの姿。彼はあの突入の夜と同じくサングラスでその目を隠したまま、あの夜と同じくふてぶてしい笑みを零す。
「血生臭い清掃作業をご苦労ですなぁ光将殿」
「……ここにはもうフェンリルの痕跡すらないぞ? 何の用だ?」
嫌悪感を隠そうともしないリチャードの対応に、アレグロはそれでも余裕の笑みを絶やさない。何よりもその面が気に食わないというのに。
「いや、なに……少しこちらの方で『気に掛けていた装置』がどうやら、本部に輸送されたようでしてね……光将である貴方に本部への橋渡しをお願いしたかったのですよ。“この”片付けのおかげで貴方は、どうにも本部の人間達と“仲が良い”ようですから」
「ふざけるのも大概にしろ。俺の立場では本部に掛け合うことは出来ない。バイオウェポンの後始末をしている時点で俺達は……デザートローズは本部よりも格下だ。何より、この地の浄化が完全でないこの状態で、俺が離れる訳にはいかない」
何を言い出すかと思えば、この男はまた水面下で怪しい動きを取っているようだ。それにしても、『気に掛けていた装置』とはいったい……? 彼が感知しているということは、この南部の地にあるということだろう。
サングラスの下の気配が、ひやりと突き刺すような空気を孕む。
「それではあの、召喚士様にお願いしましょうか」
「……ローズ殿は今、召喚による魔力の消耗によって休息を取っている」
「リチャード殿は、本当に……本部には『召喚の力』を見せたくないようですな。貴方まで召喚の力を隠しているとは思いませんでしたが、それよりもまさか……あの『蒼海の王』を生身で呼び出す者がいようとは」
アレグロの言いたいことを察して、リチャードは小さく溜め息をついてから答える。
「絶対にそう言うと思っていたから黙っていた。俺が呼び出せるのは元人間ばかりだが、彼女の力は本物だ」
「……確かに貴方の力は『人の編み出し秘術』ですな。対してあの力は、まるで――」
「――『神の力』、だろう?」
アレグロの言葉を先回りして、リチャードは敢えてそう言って笑ってみせる。その笑みの意味を見通せないような彼ではない。
「……やはりリッチ坊やは切れ者だな。伝説の中で語られるだけなら『願いを叶える水神様』だが、あの存在は“俺達人間”にとっては敵でしかない。そんなものを手中に収めて貴方は、いったい何をしようと……?」
古の神話の頃から語られるビスマルクの力は、その神話と同じく人間にとっての脅威そのもの。全てを押し流す水の矛は、常に人間にのみ向いている。水“神”は常々、我々人を憎んでいる。
「俺が望むのはこの国の繁栄だ。その為に水神の力が必要だった。ただ、それだけだ」
「さすがはあの色男の血を引いているだけはある。肌も瞳の色も違えど、その色香にはそそられるものがありますなぁ」
アレグロの“冗談”は聞き流すに限る。彼の心の中にあるものが愛でも信頼でもないことは、リチャードもさすがにわかっている。
彼はきっと、憎しみでしか人を見ることが出来ないでいる。この闇<憎しみ>の奥底に沈む感情には、未だ触れることは出来ないでいるが。
「……アレグロ殿。貴方はいったい、ローズ殿に何をさせるつもりだ?」
「おっと、それを聞いてしまっては、きっと貴方は戻れなくなりますよ?」
それまで冗談らしく大きな口を開けて笑っていたその表情が、途端に歪に歪められた。
心の闇すらを映し出しそうなサングラスを見詰めて、リチャードは静かに頷く。