第九章 繋ぎ合わせたモノ
ヤートはサクの要望に戸惑いながらも、彼の願いを聞き入れた。リビングで二人、立ったままで抱き合う。これが、サクが求めたものだったから、何の間違いもないし、問題もないはずだと何故か自問自答してしまう。
このフェンリルという集団には、ゲイもバイセクシャルもいるせいで、ついつい過剰に反応してしまっている。それが自分でもわかっているだけに、ヤートはそんな自分自身に嫌悪感を抱いてしまうのだった。
――彼等は何も、悪いことはしていないのに……意識し過ぎだ……
「ヤートさん?」
ヤートの鍛えた腕の中で、愛らしい灰色の瞳が遠慮がちに上げられる。思わずどきりとしてしまう表情に、その反応に気付いたサクもまた、ぎこちない動作でヤートから離れた。
「っ……すみません。俺から抱いてくださいなんて言っておいて、離れちゃって……」
「いや、最初にその言葉を聞いた時は驚いたが……『生身の人間の体温の“良さ”を経験してみたいから抱き締めて欲しい』と、ちゃんと言ってくれたから問題ないさ」
「……俺は人間相手は何から何まで初めてですけど、さすがに食わず嫌いというか、経験もナシに『対物性愛』だって決めつけるのは良くないかなって、先輩達を見てたら思えたんで……」
「確かに、彼等を見ていると俺も男相手でも大切な相手が作れる気がするくらいだからな。それが彼等のフェロモンとでもいうべきものなのだろうが……」
「今まで物にしか興味のなかった俺でも、ついつい顔が熱くなるくらい色っぽいですもんね、皆さん」
そう言ってふぅっと溜め息をついたサクにヤートも同意しながら、クリスから渡された端末を片付ける。項に繋いでいたコードのことをサクが熱心に見ていたことには、この際触れない。
「俺はクリスにコレを返してから部屋に戻る。サクはどうするんだ? さすがに早く寝ないと、明日の工程に差し支えるだろう?」
「ええ、そうですね。ちょっとエイトと話してから、俺も部屋に戻って寝ます」
にこっと笑ったサクから思いがけない名前が出たので、ヤートはあの陸軍での“孤独”を思い出しながら問う。
「対フェンリルの為の兵士か。レイルの“対”で彼女にえらく執着していたが、随分マトモな受け答えをしていて驚いたよ」
「ヤートさんはデザートローズにて接触しているんですよね? その時は薬物の影響があったと情報にはありましたが、どう……だったんですか?」
ヤートはあの狂人だった彼の言動をサクにどう伝えるか悩んだ。出会った場所は街中だったが、あの時交わした会話はどう考えても街中で交わす内容ではなかった。
サクはどうやらエイトとは友好的な関係を築けているようだ。その証拠に、彼の瞳には好奇心の色等なく、ただただエイトに対しての心配ばかりが滲んでいた。
「レイルに言わせれば『ジャンキー』と言うやつだろうな。俺は生憎、そういった人間とはこれまで接したことがないからわからないが、あの時の彼の精神は、とても……興奮しているようだった。色々な意味でね」
「……そうですか。エイトも、バイセクシャルなのか……」
「エイトくんとは、仲良くなれそうか? もちろん、性的な意味ではなくて、だ」
小さく呟いたサクに、ヤートは優しくそう聞いた。先程から気付いてはいたが、サクがエイトのことを呼び捨てにしているところからも、彼等の間にはこの短い時間でそれなりの絆のようなものが出来たのだろう。
やはり年齢が近いというのも大きいのだろうか。それとも、彼の持つ『愛しい彼女』のことが、サクは気になっているのだろうか。
「性的な意味では誘われましたけど、その……綺麗な培養槽を見せてって言ったら、怒られちゃいました……」
「……培養槽を、か……」
「……俺、何も間違ったこと言ってないのに……でも、俺の言葉がエイトを傷つけたなら、謝らないと! そうしないと――」
「――本心からの謝罪は確かに素晴らしいが、本質を見逃した謝罪には、何の意味もないぞ」
ついサクの言葉を、そう遮ってしまっていた。彼は本心から反省はしている。しかし、その意味を捉えることが出来ていない。
彼が謝るのは、エイトを怒らせたからであって、何故怒らせたかは考えていないのだ。とにかく、自分の言葉が悪かったから謝るだけで、何故それが悪かったのかがわかっていない。それだときっと、これからも不協和音は続いてしまう。
「でも……俺が悪いことを言ったから……っ」
「……俺がゼウスを埋め込まれたことは、俺自身、諦めがついている。一般の人間からすれば、俺が『人間ではない』側に見られることについても理解しているし、覚悟もしている。だが、エイトくんの彼女……デミちゃんは違うはずだ。エイトくんはデミちゃんのことを、『培養槽』ではなく、『人間』だと扱って欲しいんだ」
「……でも、アレは培養槽の中に入った、『細胞の断片』ですよ? 『鼓動をする』という反応こそ返していますが、あれには『心』は浮かんでいないんですよ?」
「……っ……それでも、それでも……人間なんだと、俺は言いたい」
そうでなければならないのだ。そうでなければ……ゼウスを起動した自分だって、人間ではないということになってしまうのだから。
周囲の見ず知らずの人間達に何を言われても気にはしない。しかし、どうか仲間にだけは、そう思ってはもらいたくない。それはきっと、彼女も同じ想いで……
――愛しいモノを抱えるエイトも、同じ想いを抱えている、か……
身を切るような想いの中で、エイトに対する嫌悪感が晴れていくことを感じながら、ヤートはサクに訴えるのだ。どうか、人間であることを、認めてやってはくれないかと。