第九章 繋ぎ合わせたモノ
報告を済ませているうちに、いつの間にか夜になっていた。せっかく全員で集まっているので、このまま夕食を囲むことにする。何しろ、明日からはまた設備の整っていない場所での食事――つまり野宿が続く予定だからだ。
「レイル達には帰って来て早々で悪いが、明日の朝一『ルナール』に向けて発つ。ここから出て東にある広場に“足”が用意されているはずだ。それに乗って向かう。手の込んだ夕食はしばらく無しだと思え」
「それでリーダーも張り切ってご馳走作ってたのかよ。あ、このカレーは僕の自信作ー。辛くはしてねえから安心しろよ」
さすがにこの人数だと狭く感じるリビングにて、テーブルの上には留守番役であった男五人で用意したご馳走を並べる。
フェンリルの四人はそれぞれ異なる地方出身者なので、料理当番に任命された人間が自身の出身地の地方の料理を振舞うのが今までの定番だった。しかし今日ばかりは、いつもの手軽な料理だけでは少しばかり寂しい。なにせ今夜は、任務前夜なのだから。
これが文字通りの『最後の晩餐』なんてものにならない保証はない。それを理解しているからこそ、クリスが今夜は皆で晩飯の用意をしようと言い出せば、誰も意見するようなこともなかった。
何よりここに、『料理が苦手な人間』等いない。特務部隊に所属する人間は、その任務の性質上、任務対象の心に入り込む術に長けている。その武器の一つとして料理というものはなかなかに優秀で、相手の心を掴むだけでなく、その料理自体に毒を仕込むことすらも容易くなるので、皆それなりの技術を持っているのである。
あくまでプロ級の腕を目指すのではなく、『一般人が持っていてもおかしくないレベルであり、尚且つ胃袋を確実に掴むレベル』まで引き上げられた料理スキルは、こういった『少し凝ったご馳走レベル』の料理において無類の強さを発揮する。
元よりクリスは料理というものが嫌いではなかった。幼少期があまりにも“アレ”な食生活だったので、本部に保護されてからは“普通の人間の料理”が美味くて美味くて仕方がなかった。味付けだけでなく色合いまでをも気に掛ける繊細さは、常に臓物の香りを纏った血肉を啜っていたクリスにとって、カルチャーショック以外の何物でもなく。むしろショックを与えたのはクリスの方だったことなど、その当時は気付きもしなかった。
本部の食堂には北部の料理人も何人かおり、彼等にクリスは厨房での刃捌きを習ったのだ。北部伝統の包丁は、初めて握るクリスの手にもよく馴染んだ。
味もそうだが、クリスは赤い色の食べ物が大好きだ。トマトにパプリカといった野菜はもちろん、肉や魚の赤身も種類問わずに好んで食べる。北部の料理は丼と呼ばれる厚めの器に白米を入れ、その上に具材をそのまま盛る料理が有名だが、クリスは大好物である鉄火丼を用意していた。あり合わせの皿に盛ったので、丼というよりは『マグロライス』とでも言い出しそうな見た目になっている。
生で魚を食べる風習が他の地方にはあまりないようだったので、新人達にとっては文化を知る良い機会になるだろうと思った。ロックが鼻歌まじりに隣でカレーを煮込んでいたが、この際食べ合わせがどうなんてことは考えない。各自で、食べたいものを食べたいだけ食べれば良い。残りはどうせ、全部ルークが食う。
鼻歌まじりで作られたとは思えない出来に仕上がっているカレーの鍋からは少し離して、随分平たい鉄火“丼”を並べる。
ロックもまたクリスと同じく料理が嫌いではない。むしろ得意分野であろう。なんでも出来る天才だと評判の彼は、もちろん例に漏れず料理の腕すらもプロ級だ。そう、彼に至ってはプロ級なのだ。
辛い料理が有名な南部生まれらしく、ロックの作る料理は辛いものが多い。だが、食べ物全般が好物のルークはともかく、クリスもレイルもどちらかというと甘党だ。そのため彼は、スパイスの香りこそそのままに、比較的甘口な味付けを常に心掛けてくれている。
今夜のために作ったカレーも、ロックの得意料理の一つで、スパイスは彼独自の配合なのだが、食材自体は本部からまとめて送ってもらっているものなのに、そこからどうやったらこの味が出せるのだろうか。
ご飯ものをクリスとロックが作ってしまったので、ルークはヤートとサクも伴ってメインディッシュの肉と野菜を用意してくれた。といってもまだまだ新人の括りであるサクとヤートに料理スキルがあるはずもなく。
この数日の間にサクとヤートにももちろん料理を頼む日もあったが、料理の腕は二人とも、出来ないことはないが……という程度。基本的なスキルは持っていたので、あとは練習あるのみだろう。
食べ物をこよなく愛するルークは、食べることだけが料理の全てではないと思っているようで、ロック顔負けの料理スキルを持っている。欠点と言えば少しばかり味見が多いくらいで、それは最初から多めの食材を用意しておけば問題ない。
しかし今夜は二人の新人を抱えてなので、彼は敢えて簡単な品にしたようだ。出身地方もバラバラ――ヤートは南部で、サクは中央部だ――なので、それが一番効率的であろう。
炙った鶏肉にチーズを乗せた大皿の横には、色とりどりの野菜をあしらったサラダも用意されている。手で千切った乱雑な緑に濃い胡麻のソースが掛かり、それがまた良い味を出している。そこのところはさすがルークといったところか。
「こりゃご馳走だな。仕方ねえ、明日は私が作ってやるか」
「こんなの軍の食堂でも食べれねえぞ? 特務部隊は料理上手だとは聞いてたけどよ……」
ひゅうっと口笛を吹いてカレーを盛りつけたレイルが、触発されたのか明日の当番を買って出る隣で、エイトが感心したように呟いた。
「それって、イースにか?」
既に自身の力作を口に放り込んでいたロックがエイトに尋ねる。
ロックが言った『イース』という名は、『合成獣事件』の際に豪商であるスペンサー邸に侵入した特務部隊南部支部の人間の名だ。エイトの口ぶりから察するに、それなりに仲は良かったように感じられる。
「そうだよ。あいつも料理すげえうまかった。結局オレはあいつの作る料理はほとんど食べれなかったけどよ……」
「あいつはまだ生きてる。またどこかで会えるさ」
肩を震わせてしまったエイトがあまりにも不憫に思えて、クリスはついそう声を掛けてしまっていた。
クリス達よりは少し年下だろうか。身長のせいか幼い顔立ちのせいなのか、エイトを見ているとついつい甘やかしてしまいたくなる。狂犬達とはまた違ったフェロモンとでも言うものか。彼はどうやら、男を惑わせるには天性の才能があるようだ。薬をキメていた時の何もかもを切り裂く刃のような瞳も、今の哀しみを映した揺れる赤も、どちらも違う色気がある。
「……わりい。メシがマズくなるよな。もう、大丈夫だ!」
わざと大袈裟ににかっと笑ってカレーを食べ始めるエイトの頭を撫でてやってから、クリスは食事を始めた面々をざっと見渡した。
「……生ものは出来るだけ早く食べろよ」
そう言いながら誰も手をつける様子のない鉄火“丼”に手を伸ばした。やはり生の魚は皆、好き好んで食さない。文化の違いを感じながら、少し寂しい気持ちになったクリスだった。