第九章 繋ぎ合わせたモノ
そんなことはないと思っていた。だが、それでも自分は案外心配性なのかもしれないと、クリスは無事に戻った仲間の顔を見て小さく息を吐いた。
相変わらずの拠点のリビングにて、やけに晴れ晴れしい表情のレイルに、その隣で少し顔を赤らめるルツィア、そして――デザートローズの陸軍所属である男の三人が立っている。
「僕というものがありながら、戦利品に男を連れて帰ってくるなんてなー」
ソファにてルークと談笑していたロックが茶々を入れるが、ルツィアの反応はここを出る前とは打って変わって落ち着いたものになっていた。
「デザートローズにてレイルが交戦した、陸軍所属のエイトさんです。洞窟内にてイグムスの生み出した敵と戦う際に、力を貸していただきました。エイトさんの目的はこちらと同じと判断し、同行してもらいました」
凛とした表情でそう話したルツィアに、ロックの目が細められる。途端に冷たい空気を宿す金色の目に――ルツィアはもう、怯えていない。
――これでようやく『お嬢様』も『対等』になったか。
クリスは相変わらずの視線を投げるロックに咳払いをひとつして、腰掛けていたソファから立ち上がる。真っ直ぐに、まずはルツィアへと歩み寄る。そんなクリスの動きを目で追い、ルツィアの喉がごくりと鳴った。
ここに戻る前のルツィアの態度では、今、もしくはそう遠くない未来に、確実にひと悶着あるだろうと確信していた。それはなにもクリスだけではなく、彼女と付き合っているロックもそうだし、レイルに至ってはわざわざ忠告もしていた。
彼女のあの態度の原因は、レイルに対する嫉妬心だけではなかった。
ルツィアの親は東部の貴族様だ。軍にも顔の利く正真正銘の富裕層。しかしその肩書は、どうしても敵も生み出しやすい。彼女は親を狙った暴動に巻き込まれ、その際警護を担当したのがロックだった。
依頼人である彼女の両親は、特務部隊に警護されることを喜んでいた。特に凄腕のスナイパーであるロックの警戒があれば、敵の狙撃は確実に無効化出来る。その安心感は親から彼女へと伝わり、ロックの“努力”もあって二人は任務を終えた時には恋仲となっていたのだ。
本来ならば特務部隊所属の男等、交際相手の段階で疎まれるものだ。しかし、彼女の両親は『狂っていた』。この感想は彼女に悪意を持って近付いたロックの言葉だが、彼女の両親は力にとても固執していたようだ。まるで、自分の身は自分で守らなければならないとでも言うかのように。
いけしゃあしゃあと両親の前ではコードネームのみを名乗り、その豪邸の異常さに目を細めたと言う。豪邸には貴族様が自ら用意するには過ぎる武装がなされていたらしい。
これはどうにもきな臭い。おそらく『あの証言』は事実なのだろう。同じくそう結論付けたのであろうロックは、それからも彼女の恋人を続けている。あらゆる場所へ忍び込む特務部隊の仕事には、年単位で己の居場所を確保するような仕事も多い。さすがにその戦闘能力を腐らせるのは勿体ないと、そんな仕事はフェンリルにはほとんど来ないのだが。
――偽りの好意には疲れただろう? これからはどうか、楽しんだら良いさ。ここには、いや……フェンリルにはそんな連中しかいないんだからな。
この関係を異常だと取る人間は多いだろう。しかし、クリスはこの関係こそがフェンリルにとって一番だと確信している。
お互いに貞操観念には縛られない、男女の域すら超えた四人の関係は、その間に恋人という呼び名を挟んだとしても変わらない。これこそがフェンリルの絆だ。
新たに加わった男性陣は、この関係には目を瞑る形で受け入れてくれたようだ。それで良い。さすがにあいつらも、受け入れてくれている相手に対してわざわざ波風を立てにはいかないだろう。
そして心配していたルツィアも、レイルが上手くやったようだ。
レイルは、ロックが与えていなかった『許し』を与えたのだ。彼女は出会った時からずっと、己の罪を胸に抱いていたのだから。
決してレイルだってその罪を許すつもりはないだろうが、少なくともルツィアの前では、己の激情を抑え込んだ。その金色の狭間に怒りを滾らせるロックとは違う。
「ご苦労だった、ルツィア。初めての実戦はどうだった?」
努めて優しい言葉で問う。質問こそシンプルだが、その中身は残酷だ。クリスは極めてシンプルに、『初めての殺し』はどうだったかと聞いている。
「……っ……対象はイグムスによって繋ぎ合わせられたフェンリルとデザートローズの陸軍の混ぜ物でした。数としては四体、つまり人数としては八人のうち、私はエイトさんにも助けられながら二体を討ちました。訓練通りには動いたつもりですが、周りまで見る余裕はありませんでした」
「……」
「こいつはちゃんと動いてたぜ。どっかのマゾ女がお前の頭をぶら下げた一体を切り刻むのに夢中で、オレが助けに入らせてもらった。初めて連携するオレの動きにも、こいつはよく合わせてくれたよ」
報告に口を挟まないレイルに苛立ったのか、代わりにデザートローズの男――エイトがそう補足した。
リーダーであるクリスへの報告中に、仲間達が口を挟むことはしない。戦場にて狂気の笑みを浮かべるその顔が、群れの頭の前では命令を待つ犬となるのだ。静かに命令を待つ、狂犬達の目がぎらつく。
「俺はルツィアに聞いている。お前には次に聞いてやる」
「……っ」
視線だけでこちらの空気が伝わったのか、エイトは思いのほか大人しくなった。血と砂で汚れた身形以上に、その肉食獣のような赤い瞳が粗暴な空気を纏っている。薄汚れたハイエナのような印象を受ける男だったが、どうやら話はわかる人間のようだ。ぎらつく瞳からあまり学力はなさそうだが、頭自体は回るのだろう。
「……私は……人の死体を見たことがないということはありません。病気や事故ではなく、殺された人間を見ています。頭では“それ”と同じだと思っていました。でも……」
クリスは顔には出さないが、内心驚いていた。ルツィアがレイルに心を開いたことはわかっていたが、まさか己の罪まで口にするようになるとは。
彼女が言う死体とは、東部の特務部隊の男のことだろう。数学教師として学校に潜入していた彼は、首を切断された姿で発見された。その現場に、彼女はいたのだ。
言葉に詰まって肩を震わせるルツィアに代わり、レイルが口を開く。
「何言ってんだ。今回だって“それ”と同じだっただろうが。お前は……命を奪ってから悔やんでたじゃねえか」
「悔やんでた、ね……」
そのレイルの言葉にロックがタバコの煙と共にそう呟いた。こいつは何度注意しても喫煙だけは我慢出来ないようだ。任務中の禁煙の場合は問題なく行えるというのに。
「わかった。次に、お前だ。エイトくん、だったかな」
「エイトで良い。オレはまだデザートローズの陸軍所属にはなってるが、もうあそこには未練はねえ」
「何が目的だ?」
「オレにはイグムスの能力が必要だ。その為なら敵だったお前等にも、協力してやる。オレを……いや、“彼女”を助けてくれ」
えらく真っ直ぐな瞳でエイトはそう言いながら頭を下げた。本当に、思いの他大人しい。これを罠と考えるべきか、それとも……
「……オレだってただ戦力だけを提供しようって訳じゃねえ。南部で過去に起こった『合成獣事件』の“被害者”を見せてやる。お前ら特務部隊があの時回収し損ねた“サンプル”だ」
エイトが胸元のポケットから取り出したモノは、持ち運び用の小さな培養槽の中に浮かんだ醜い肉片だった。