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第八章 歪な群れ


 群れの頭を潰した女がこちらを見る。その深紅に掻き消えそうなエメラルドグリーンは、数日前に見たままの狂気に踊るような色合いだ。
 きっと欲望に溺れたままだった頃のエイトも、これと同じ色を湛えていたであろう。あの魅惑のオリエンスの香りが、エイトの“思考”を滞らせた。それは“彼”の思惑であり、優しさであり、愛でもあった。そうだったはずだ。そこにきっと、愛“も”あった。
 怖気がするような口元を見せつけたレイルの横を素通りし、彼――エドワードの混ぜ物へと歩み寄る。エドワードと狂犬達のリーダーの頭を萎ませたその身体は、若い色白の肌だった。愛しい彼の気配は、萎んだ頭部に肩から生えた両腕のみ。
「ジジイ……いや、エドワード……」
 愛しい彼の名前を呼んだ。決して人前では呼ばないと決めていた、秘密の関係、秘密の呼び方だ。彼はデザートローズの陸軍所属ではあったが、表の顔は『毎日趣味で後輩達の指導に現れる退役軍人』で、裏の顔は『非合法な任務をこなす刺客』である。本部の特務部隊とはまた違う。それとは敵対関係にある南部陸軍の『闇』だ。
 萎んだ頭部からは光を無くした愛しい漆黒が覗いている。そこにエイトが大好きだった、あの鋭さも温もりももう見えない。彼の身体は死んでいないが、彼自体はもうこの身体には残っていないのだろう。後ろの女二人の話を盗み聞いた限り、この空間の奥にある光――イグムスと呼ばれる何か――には、人の“機能”を奪う力があるらしい。
「……恋人、だったのか?」
 後ろからそう狂犬が問い掛けてきて、思わずエイトは唇を噛んだ。その問い掛けがあまりにも、優しく、寄り添うものだったからだ。
 彼女は知っているのだろう。愛しい者が散るということを。その手で幾多の命を奪いながら、同時に奪われてもいるのだ。
――何が狂犬だ。お前だって、奪われてるじゃねえか。
 背後に問うことなどしない。この女は激情にその身を晒されながらも、決して後輩の前で醜い姿を晒すことはしない。背筋が冷えるような殺気の中に、僅かに哀しみの気配が混じったことは、エイトにしかわからないだろう。混ぜ合わされた末に亡くした命を、わかってやれるのはエイトだけだ。
「ああ。オレに『軍人』の在り方を教えてくれた。オレの……『初めての男<ヒト>』だ」
 随分間を開けてしまったその返答に、レイルは小さく「そうかよ……ちゃんと身体、送ってやれ」と言っただけだった。その後ろでルツィアは、静かに目を伏せている。女共のそんな対応が慣れなくて、少しだけやりにくい。
 目の前の彼の身体へと目を落とす。動くことすらもままならない深刻なダメージを受けた身体は、得物も失いなんとか座った状態だ。
 雷撃によりズタズタに引き裂かれた胸部は、骨だけでなく臓器まで露出してしまっている。散々楽しんだ後なのだろう、その惨たらしいまでの傷跡に、レイルは少しばかり居心地が悪いのか咳払いなんかしている。彼との関係性を詳しく言っていなかったので、彼女は悪くないと今なら思える。薬が効いていたらぶち殺していただろうが。
 露出した臓器は全て“一人分”だった。“後付け”の両腕の関節等の機能のみ、二人分ということだろうか。どうにも要領の悪い合成結果に、エイトですら頭を抱えそうだ。
――大戦時代の魔法兵器なら、もっと『神がかった混ぜ方』をするんじゃねえのかよ。それこそ昔話の『フランケンシュタイン』なり、『魔力の融合』なりあるだろうに……
 遠い昔、この地方に人間以外の魔力の高い人型生物がいた時代、その怪物――フランケンシュタインは造られたらしい。
 自分達と敵対する魔族やエルフに対抗するために人間側が造り上げた兵器。死した同胞達の死体を繋ぎ合わせたそれは『フランケンシュタイン』と名付けられ、当時の魔法技術の賜物か命を吹き込むことすら成功していたという。
 継ぎ接ぎされた死体に命を宿した。その話は今となっては伝説上の出来事でしかない。しかしその出来事は、エイトの心を惹き付けて止まない。
 目の前で命の灯が消えようとしている混ぜ物のオリジナルであった老人からその伝説を聞いた時、エイトの頭は一つの考えに囚われた。『継ぎ接ぎを待つ“彼女”に、命を吹き込めるかもしれない』と。
 エイトには大切な女がいた。いや、いる。まだ彼女は生きているのだから。彼女はエイトの幼馴染で、卑劣な実験に巻き込まれた影響で今は脳と視神経の繋がっていない眼球のみの“身体”だ。だからまだ、継ぎ接ぎを待つ身だ。
 男としては小柄な体格のエイトだが、彼女は少しだけ自分よりも背が低かった。まるで太陽のようなその笑顔がエイトは大好きだったし、彼女と結ばれるために努力も惜しまなかった。そんな彼女を実験から救い出すために協力してもらったのがエドワードだ。
 エイトは人の縁には恵まれていると思う。
 どうやら親には恵まれていなかったようだと軍学校に入ってから気付いたが、それでも“それまで”はしっかり育ててくれた。いきなり将来の道を閉ざされた“息子”を捨て去った親だったが、それでもそれまではしっかりと育ててくれたのだ。スラム街から引き取ってくれたことには今でも感謝している。
 愛しい彼女が幼馴染だった。自分を誰よりも愛してくれていた。愛しい彼が手を差し伸べてくれた。彼が軍人だったから、今のエイトがいて、彼女が胸元で息づいているのだ。
 そう、彼女はエイトの胸元のポケットの中で、『生きて』いた。小型の持ち運び用の培養槽に浮かべた脳と眼球の断片だ。今の彼女の全てで、エイトの全てでもある。部屋に厳重に隠していた薬なんか目もくれず、エイトは彼女だけを引っ掴んでデザートローズから逃げて来たのだ。兵舎の一室である自室には、逃げる際に火を放っておいた。さすがにあの薬が見つかれば外交問題にまで発展する可能性があったからだ。
 愛しい彼の首元に爪先を食い込ませる。まるで最後の足掻きかのように、その萎んだ頭部がびくりと揺れた。中身と共に感情まで削げ落ちたのか、その瞳は虚ろなまま。非難の目すらも向けてくれない。そんな首元を切り裂く。
 やけに鮮やかな鮮血を飛ばしながら、その身体は仰向けに倒れた。人間だったことの証明のような赤色が、エイトの腕までその歪な温かさを伝えた。
「これには、エドワードは残っていない」
 混ぜ物は残り物だった。その身体には彼の身体こそ混ぜられていたが、エイトが求める彼の思考はそこにはなかった。
「……まだ残ってるとすれば、イグムスの中だな」
 全てを悟っているレイルが、予想通りそう言った。エイトには、この次に続く言葉も、安易に予想することが出来ている。彼女は全て、悟っているのだから。
「もう少し“共闘”を続ける気はねえか? お前が『求めるモノ』は、イグムスの中にあるんだろ?」
 エイトは人の縁には恵まれていると思う。
 狂犬からのその提案に、エイトは頷く。
 愛しい彼女も、愛しい彼も、イグムスによって繋ぎ合わせることが出来るかもしれない。
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