第八章 歪な群れ
自分が資料を読んだ限り、戦闘スタイルが近接であろう男――エイトとレイルが前に出たので、ルツィアは二人を目の前の対象に集中させるために、敵の後衛に向けて矢を放った。
元の身体の主こそ後方支援担当の愛しい男の頭をぶら下げた一体は、今は長剣と鞭を装備している。そのため狙ったのはお手本とすべきルークの頭を持った一体だ。しかし、案の定その正確な射撃に撃ち落された。
「くっ……!」
すぐに次の矢を装填して放つ。ルークの混ぜ物はその矢を避けると、歪な動きで走り込んで来た。
ルツィアは瞬間的に弓による遠距離戦を中断。そのまま弓を投げ捨て装填途中だった矢を直接持ち接近戦に備える。
ルークの混ぜ物が素手である前面の腕でルツィアに殴り掛かる。後方の腕はその関節の造りのせいか、えらく次弾の装填に時間が掛かっている。これまで拳銃を主装備とした人間を取り込んでいなかったのかもしれない。
フェンリルの戦闘スタイルはもちろんのこと、デザートローズで交戦したとされるこの四人の情報も、ルツィアはクリスから貰っていた。今から思えばあのリーダーは、この事態まで予想していてルツィアに情報を寄越したのだろう。
共に特務部隊に配属されたサクも頭には入れようとしていたが、あまり座学関係は得意ではなさそうだった。熱意はあったので努力自体は嫌いではなさそうだったが、あまり要領が良いタイプではないのかもしれない。
ルークの混ぜ物の元となった二人は、二人共近接戦闘がまだ苦手な方ではある。男の骨格ではあるが、それでも遠距離戦が続くよりは勝率が上がるだろう。
ルツィアの手に持つ矢は、ナオの素手の拳よりも、ルークの拳銃を鈍器のように振るう手よりも長く、そして鋭利である。
まるでナイフを振るうように、ルツィアは矢を振るう。振るうと言っても矢とは本来、対象を刺し貫く凶器である。その運動と同じ動きにこそ、真の威力を発揮する。
ルツィアは矢を、的確に相手の動きを奪うように突き出す。相手が人型をとっている限り、その機動力を奪うために足を狙うのが定石。ずぷりと矢がまがい物の太ももに突き刺さる。いやに人体と変わらないその感触に、この対象が文字通りの余り物であることを再確認する。
背に回していた矢筒から次の矢を取り出し、そのままの勢いで肩、続いてもう一本で首に致命傷を与える。更に追撃。
身体に刺さる矢の数が六本になったところで、ようやくそのまがい物は地面に倒れた。やはり余り物らしく、人体と急所を同じくし、そして命を絶つことが出来た。
思わず息を吐いたルツィアの視界に、見慣れた長剣が飛び込んで来た。
慌てて身を捻って避ける。ほとんど転がるようにして距離を取り、その途中に落としていた自身の弓も手に引っ掴む。立ち上がると同時に弓を構えると、切り掛かって来たロックの混ぜ物は、いやに歪な口を開いて声を発した。
「……っ」
その声というにはあまりに意味をなさないモノに、ルツィアは思わず目を逸らしてしまいたくなった。
それは獣の鳴き声のようでもあり、人の悲鳴のようでもあり、そして地獄からの呼び声のようにも聞こえた。声を発する器官も言葉を紡ぐ器官も奪われた頭部から零れたそれに、何の意味もあるはずがなく。
萎んだ口元からは愛も欲望も零れない。萎んだ頭部には悪意も嘘も巡らない。あるのはただの、抜け殻だけ。
――その身体……見てくれだけは同じなのに、悪意がなければ強くなれないとでも言うの?
自然に力が入ってしまう手元とは逆に、視界がじわりと歪んでしまう。ひやりと冷えた脳裏の表面から湧き出るように、目に涙が溢れてくる。哀しみでも恐怖でもない、この感情は……何?
動きが止まってしまったルツィアに向かって、えらく撓る鞭が襲い掛かる。棘のついたその先端が、生物のような動きをしながら地面をのたうち突き進む。
「てめえ、何やってんだ!?」
鞭の中間を爪で引き裂き、エイトがルツィアを庇うように立ち塞がる。
「ここにはてめえを殺そうとしてる相手しかいねえんだぞ!? 泣く暇があるなら逃げちまえ! こんなまがい物が、てめえの求める相手なのかよ!?」
その真っ直ぐな怒声が、寧ろルツィアの脳には心地良く感じられた。まるで感情にそのまま殴られたような真っ直ぐな言葉。その口にした文字以上の意味もなく、また、それ以下の意味もない。
――そうよ。これは敵! 悪意の浄化された、あの人の抜け殻っ!
引き裂かれた鞭の先端が、ルツィアの足元で跳ねる。それをぐちりと軍用ブーツの踵で踏み潰す。レイルと同じく強化金属で守られた足裏に、この程度の棘は傷をつけることすら敵わない。レイルの履いているブーツはこれに更にカスタムを施した特注品だが、強度等の違いはほとんどない。
なかなかにゴツい印象を与えるブーツなので、特務部隊の女性はショートパンツやスカートを好む者が多い。ルツィアは今回特務部隊に配属される際、恋人の目を気にして不必要な誤解は与えないようにロングパンツを用意していたのだが、脚部をあらゆるものから守る意味でもそれは良かったのかもしれない。
「そんなことっ、ないわ!!」
決意の声を矢に乗せて、ルツィアはまがい物に向かって力いっぱい放つ。矢はエイトの頬すれすれを掠めて、狙い違わず愛しい彼のまがい物の左肩に突き刺さる。
「なんだよ、イイ腕じゃねえか」
エイトが振り向きもせずにそう言った。その口元は見えないが、何故だか薄く笑っているように思える。避けも振り返りもしない彼の態度は――当然だ。
ルツィアはフェンリルだけでなく、その交戦相手の資料も読み込んだ。それはもう綿密に。四人の特徴は暗唱出来るまでに記憶に定着させた。愛しい彼の記述だって、もちろん全て暗記しているが。
エイトはレイルの動きについていけるだけのスピードを持つだけでなく、その反応速度も常人の域を超えている。神経を過敏にしている要因こそ危険すら孕む薬物の影響だが、彼の反応速度があれば例え背後から飛翔する矢であっても難なく避けることが出来るだろう。
戦場に蠢く悪意や殺気だけでなく、彼の神経は自身に迫る攻撃が纏う空気の流れすらも感知している。
しかし、それをエイトはしなかった。自身の頬すれすれを掠めた矢によって、彼の褐色の肌から薄く血が滲む。しかし、それをわかっていても尚、エイトはその矢を避けなかった。
信頼されている。
ルツィアはエイトの行動をそう解釈した。彼は後ろで涙と――“嫌悪”を拭い去った女が放つ一撃が、必ず己の目前の敵の肩を穿つと確信していた。その背はまるで……
――彼は対フェンリルのために集められた人材。それはつまり、狂犬となろうとした人間……狂犬にはなれなかった“人間”……
正真正銘の狂犬は、その目を爛々と輝かせながら部隊のリーダーであるまがい物と交戦中だ。事前に言っていた通り注意は引いたが、それに敵が釣られなかっただけ。ただそれだけの結果なのに、それはまるで計算通りのようで。
――レイルはきっと、わかっていた。エイトが私を守るって。だって、二人は……一度刃を交えているから。
目の前に立つ男の背中は、愛しい彼とは真逆。終始獣の気配を漂わせるのは、そのギラついた肉食獣のような瞳のせいか。身長こそ男としては小柄――どうやらルツィアと変わらないくらいだ――だが、佇まいからは粗暴な空気が滲み出ている。愛しい彼が洗練された仮面を被った獣だとしたら、エイトは常日頃から獣の気配を隠さない。
鍛え上げられた褐色の肌が、破れた軍服から露出している。あれはデザートローズの陸軍の制服だ。腕の部分が破れて半袖のようになっていて、そこから伸びる逞しい腕に目を奪われる。年齢はあまりルツィアと変わらないのだろう。若い筋肉の束という感じがする。
その姿に目を奪われた理由は、きっとその背に頼りたかったから。狂犬達は守ってはくれる。だが、あの者達は『人ではない』のだ。ルツィアを守ってはくれるだろうが、真の意味で『人を助ける』ことが出来るのは、『助けたい』と思っている『人間』だけだ。
――貴方は誰かを、守ろうとしているの?
その背に問い掛けるのは今ではない。
エイトの前のまがい物が、傷ついた左肩等意にも介さず後方の左腕を振り上げる。その腕に装備されているのは見慣れた長剣。遠近の装備を逆さにしているところもまた、イグムスの思考がまだ不完全ということだろうか。
「オレはこの“相手”とは戦ったことがねえ。てめえが逃げねえ女なんだったら、そこから援護くらいは出来るだろ!?」
狂犬達とは違った色合いを浮かべる笑みを向けて、狂“人”はルツィアにそう言った。