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第八章 歪な群れ


 痛みも哀しみも喪失感も、全てを吹き飛ばすような衝撃を感じた。
 雷のようなその衝撃は、正真正銘、迸る雷撃の気配を纏っていた。
 内部から焼き切られた神経が泣き叫ぶようにその表皮から血を吐き出す。痛みも哀しみも喪失感も、嚙み砕くようにして飲みこんだ。薬と一緒に飲みこんだ。
 この仄かに紅茶の香りが感じられる錠剤は、愛しい彼からの最後の贈り物だ。贈り物は最後。もう、これで最後。
「クソ……クソ……っ」
 夢にまで見て憧れた軍人という職種だった。裕福な生活が約束された理想の国であった。なによりもそこには愛おしい彼がいた。そして――
「絶対に、オレが助けてやるからな……」
 浄化された悪意と共に降り注ぐ火の粉に背を向けるようにして、己に最後に残った『心』とも言うべき存在を胸に抱いて、逃げた。逃げるつもりだった。
 だって、ここにはもう、この国にはもう彼がいないから。
 生きる場所がないのなら、自分はこの『心』を抱いてどこにでも行けば良いのだ。ここには彼がいたから憧れて、彼がいないこの国等、ただの『棘』でしかないのだから。
 逃げるつもりだった。その『空』を見上げるまでは。
 砂嵐に遮られる視界の中、その空は、美しかった。この地方では珍しい流星群が煌めき、その光に希望を見出した。
 逃げることは止めた。
 その光の行き着く先に、悪意に囚われた彼がいる気がする。幻想の中にいる“自分”には、彼を渡したくなんてない。
「オレが、助ける……」
 最早自分が“誰”を助けたいのかもわからぬまま、引き摺る足でそこに向かう。光が落ちたその場所に。青の壁が露出する、人の手が加えられた洞窟に。







 扉を開けた瞬間に、思わずニヤついてしまう程の殺意をぶつけられた。左に見慣れた狂犬共の瞳を宿し、そして右には交戦した際と同じ軍人の瞳を宿している。
 彼等は、フェンリルとデザートローズで戦った四人の合成体だ。
 歪に萎んだ頭部には、吸収されたであろう二人分の外面だけを垂らし、その下には残り物の身体を持て余している。
 背後で、ルツィアが息を呑む気配があった。
――そりゃそうだ。愛しいと思えた相手の、こんな姿、見たくねえよな。
 レイルの目の前に四体は立っていた。尊敬して止まないリーダーの身体には、同じく部隊のリーダーを務めていたであろう老人の――エドワードの身体が相応しい。部隊のリーダーを務めるその身体は、リーダーらしく仲間達の前に立っている。
 老化による劣化はほとんど見られないその身体は、しかし現役であるリーダーの身体には一歩及ばない。まがい物の漆黒はリーダーの身体を比較的人間らしく包んでいる。違うことと言えば、その肩の後ろから、マシンガンを持った両腕が突き出ていることだろうか。
 幾度かの『繋ぎ合わせた結果を研究した科学者』の頭で思考したのか、人間の身体には足は二本で充分だと悟ったらしい。得物を持つ手を増やしているのを見るに、まだイグムスは未熟だとレイルは思った。
 そのリーダーのやや後ろに、自身とエイトを混ぜたモノの姿がある。これはもうほとんど獣と言って良い姿勢だ。武器は爪で浅黒い肌が目立つ。萎んだ頭部から零れる唸り声は、獣のそれ。狂犬ではない。
 そして更に後ろに控えるのが後方支援の二体だ。ルークとナオの混ぜ物が銃を構え――どうやら悪意が浄化されているためにガラス玉は使えないようだ――、ロックとローズの混ぜ物は……これは目のやり場に困るな。歩くフェロモンのような男女を混ぜたせいで、グロテスクなナイスバディの身体が棘のついた鞭と長剣を四本の腕で持っている。
「あ、あれ……ロックなの? それに、レイルも……」
 まるであれが自分達の欲望に姿を与えたものだと言われたようで、思わずレイルは笑ってしまった。言葉を濁すルツィアに敢えてニッと笑い掛けてやると、彼女も少し落ち着いてくれたようだ。この場にロックの野郎がいないことが惜しい。あいつもこれを見れば大笑いするに決まっている。
「お前はデザートローズでの交戦相手の資料も、どうせ読んでるんだろ? 私らに対抗した人選だからこそ、混ぜるな危険ってやつだ。言っとくが連携にだけは本当に気をつけろ? 私のことは良いから、自分の身だけを心配しとけ」
 背後で扉が閉まる音がする。
 目の前の四体が四本の腕で“それぞれの”得物を構える。
 肩の後ろから伸びたルークの手が構えるその銃口は、レイルと――エイトを向いていた。
 デザートローズにて交戦した、欲望に忠実なイカれたジャンキーがそこにいた。
 最後に見た姿よりは少しばかり治癒したのだろうか、それでも傷ついた姿のままのエイトが、ルツィアをすり抜けレイルの横に並ぶ。その手には乾いた血のついた爪を装備したままだ。
「てめえ、まだ死んでなかったのかよ?」
「オレですらお前の気配はずっと感じてた。お前だってオレの存在、この洞窟に入った時にはわかってただろうが」
「まあな。今は味方、ってことで良いのか?」
「不本意ながらな……オレは、ジジイに用がある」
 そうかよ、と返そうとした瞬間、背後から「貴方は、デザートローズの?」というルツィアの問い掛けが聞こえた。
「説明は後だ。優等生のお前なら、こいつの戦闘能力も予習してるだろ? 私よりもこいつの援護をしてやれ」
「必要ねえぞクソアマ! てめえのコピーをまず殺してやる!!」
「それはあんたのコピーでもあるんだがな」
「うるせぇ! ぶっ殺す!!」
 激昂したエイトの叫び声に反応し、獣のような自分達の混ぜ物がそのオリジナルへと爪を振り下ろす。やはり想像通り、凄まじいスピードだ。手足には迸る雷撃により小さな傷がいくつも走っている。
 しかしその高速の攻撃を、エイトは同じく装備している爪で弾き返した。弾かれながらもまがい物は、崩れた体勢から強引に蹴りを繰り出す。しかしそれも見切ったエイトは、その足を片手で掴むとそのまま地面に叩き付ける。
――相変わらず身体能力だけで無茶苦茶しやがる。腕力や集中力は薬の力もあるが、見切りの目は本物だな。
 ぐしゃりと関節が破壊された音がして、ようやくルツィアが構えた弓から矢を放つ。
 寸分違わず放たれたその矢は、ルークの混ぜ物の銃弾に防がれる。敵のリーダーに動きはない。立ち姿はリーダーのそれ。しかし……
――その頭にリーダーの考えが残っているならまだしも、空っぽの頭で見守るには……
「少しばかり戦況が悪いんじゃねえか?」
 突然飛び込んで来たレイルの剣を、リーダーの混ぜ物はその手の刀で受け止めようとして、雷撃の直撃を食らった。
 そのコピーは悪意を浄化されている。それは即ち、その持ち物も浄化されているということ。悪意によって切れ味を保つクリスの愛刀は、レイルの斬撃によって一撃で砕け散った。
「爺さん、どうやらあんたに未練がある男がいるみたいだぜ。死んだ後も想われていて、良かったな」
 雷撃によってざっくりと開いた胸部に更に追撃を与えつつ、レイルは横目で後輩の様子を確認する。
 知識も理論も伴わない合成によって、この部隊の戦闘能力はオリジナルよりも下がっている。悪意こそが動力源である得物を封じられた三人に、増えた関節のせいで命中精度の落ちた銃。そして何より、群れを率いる頭が“無い”。
 見てくれだけの頭すらない『群れの頭』が突っ立っていただけでは、オリジナルには敵わない。
 しかしそれでも、混ぜる前は殺しのプロだ。並の兵士の比ではない。
――さあ、期待の新人はどうする?
 目の前でマシンガンが乱れ撃ちされるのを飛び上がって避ける。目の端ではルツィアを確認し、彼女に相対しているのがあの性欲のバケモノのようになっている一体だったので笑いそうになった。
――思考を奪われて本能だけで狙っているのだとしたら、お前……本当に狂ってるな。
 ニヤつく口元を隠すことなく、レイルも自身の狂った願望を剣に乗せて目の前の身体を貫いた。
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