第八章 歪な群れ
イグムスの脈動とは、内部に宿した炎の循環による魔力の暴発である。
その内なる炎で溶着でもするかのように、イグムスは物質を繋ぎ合わせるのだ。
最初に発見された際、イグムスは護衛のために同行していた兵士の武器と身体を繋いでしまった。魔力反応の元であるイグムスに対して、一人の兵士が手に持った剣で接触したせいだった。
その兵士の言葉では、接触面からまるで炎に舐められるようにして熱が伝わり、気が付いたら手のひらに金属が“混じり合っていた”というのだ。
兵士はすぐさま本部に送られて検査を受けた。その結果わかったことは、繋がれた部分は壊死等も起こらず、元からそうであったかのように、その身体は機能した。件の兵士もその後、自身の右手が剣にはなってしまったが、日常生活に戻ることが出来たらしい。
摩訶不思議なこの特性を本部が研究しないわけがなく、その後の研究の結果、イグムスの脈動とは内部に溜まる一方の魔力を発散させるためであり、安置している洞窟内を閉め切ってしまえば問題はないということ。そして繋ぎ合わせる能力は、物質の種類を問わないということだった。
一部の科学者の間では『フランケンシュタインの再来だ』と喜ばれたらしいが、それでもこのイグムスにまだまだ未知なる部分が多いのも事実である。
実験は極めて慎重に、そして限定的に行われている最中なのだ。
「フランケンシュタイン、ね……」
脈動の地響きで小さく揺れる室内にて、ルツィアは机の上にあった研究資料に目を通していた。
本部の極秘資料にはなるようだが、クリスからの許可も出ていたので、すんなりと観覧を許可された。
「優等生ちゃんはどこでも勉強熱心だな」
仮眠室の隣のこの部屋は、小さな研究施設として機能しているようだった。壁面を埋め尽くす計器類には、イグムスの脈動と思われる計測結果が示されている。
地図と資料が転がっている机に向かうルツィアの横で、レイルはそのまま机に腰を掛けている。
「茶化さないで。ここには初めて見る資料ばかりあるから、一通り目を通しておきたいの」
普通に話した方が良いと言われたから、だけでは決してないのだが、ルツィアはあれからレイルに対しての態度を改めた。
決して、決して彼女に『その方が可愛い』と言われたからではない。これから任務を共にする『仲間』として、その方が効率的だと判断したからだ。
「うへー、脈動はまだ二十分は続くぞ? その間ずっと資料と睨めっこするつもりかよ」
よくやるぜ、と机にそのまま寝転んだレイルに思わず笑ってしまいながら、その流れ落ちるような深紅に目を細める。
――“仕事”のセンスはピカイチだけど、勉学は嫌い。でも……苦手、じゃないんでしょ?
資料のファイルを読みながら、ルツィアは彼女の視線を感じていた。
彼女はきっと、ここの資料に書かれていることは全て頭に入れている。壁を埋め尽くす研究結果も、幾度かの実験の結果も全て。
彼女が見ていたのは、資料ではなくルツィア自身だった。
資料に目を通す際の、ほんの些細な驚きや思案すら、そのエメラルドグリーンが取りこぼすことはなく。
イグムスについての資料は、とても丁寧に纏められていた。人を見た目で判断するのは良くないことだとはわかっているが、入り口で案内を受けたあの軍人の男が一人でこれを纏めたとは思えない。
レイルへの対応を見ても、彼は本部の兵士だ。元からここにいたわけではない。ここに駐在することになったのは、イグムスの暴走のせいであろう。
つまりこの資料を纏めた人間達は、おそらく……
「……ここにいた科学者達はどこに?」
資料からは敢えて目を上げずに、ルツィアは寝転んだままの彼女に問い掛ける。その頭が上がることはなかったが、ひやりと纏う空気が変わった。
――本当に、心臓に悪い威圧感っ。私より全然小さいのに……
「回りくどいこと言いやがる。私達はもう、そんな気を遣う仲じゃねえだろ? ハッキリ言ったらどうだ?」
悪い笑みを貼り付けたその顔が上げられて、それが挑発だとルツィアは受け取る。彼女が“言わせたい”ことは、その問いへの返答ではない。
「……科学者は、イグムスに取り込まれたの?」
「……もうそこまで読んだのか? いや、“そこまで”は書いてねえな」
ニヤつく口元を隠すこともせず、彼女はそう言って机に座り直しこちらに目を向けた。座っている彼女の方が視線が高いため、自然と見下されるような角度になる。そのエメラルドグリーンの色合いが、細められたまま歪む。
彼女は“全て”理解している。ここにある資料の中身然り、イグムスの性質然り、そして……ルツィアの考え然り。
「……ここにある資料は、とても丁寧に纏められていました。それはもう“不自然な程に”丁寧に。まるで元から『イグムスの特性とは物質を繋ぎ合わせる』ことであり、それが全てだとでも言いたいように」
「さすがは優等生ちゃんだな。ここの資料全て使って丁寧にプレゼンしてやったとしても、ルークのバカだとわかんねえのに、目を通しただけでそこまで考えが行き付くとはな」
「これでも、学生時代は優秀だったから。東部の有名校だったの、貴女も……知ってるんでしょ?」
「さあ? どうだろうな?」
ヘラヘラと笑う彼女のことを思わず睨んでしまったが、自身の経歴が“後ろ暗い”ことはルツィア自身が自覚している。他の面々には誇らしく話すことすら出来るのに、フェンリルの前ではダメなのだ。
室内の空気は冷えたまま、洞窟内の壁を利用した部分の青みがその冷たさをより濃厚にさせるようだ。
答える気のない彼女に溜め息をついてから、ルツィアは逸れてしまった話を戻した。
「イグムスの特性は……己に物質を取り込んでから繋ぎ合わせる、そうですよね?」
「イグムスの脈動に巻き込まれた物質は……仮にここでは人間A、Bの二人としようか。Aは科学者で、それなりの知識を持っている。対してBは軍の兵士で、頭は悪いが屈強な肉体を持っている。この場合、どうなると思う?」
「……科学者の知識と兵士の戦術理論をイグムスが奪い取った後に、己を守る盾とするためにその身体の“良い部品”を繋ぎ合わせて吐き出す、ですか?」
ルツィアが読んだ資料には、犠牲者の身体が無残に繋ぎ合わせられている記述があった。それに、写真も。
その写真には歪に繋ぎ合わせられた二人の男の一つの身体が映っていて、その“違和感”にルツィアは気付いたのだ。
その一つの身体には、二人分の部品がなかった。足りないのだ。妙に萎んだ頭部に、“本数”の足りない手足、そしてそれを補うかのように突き出た武器。
「正解だぜ。イグムスは知識を欲している。正確には『人の脳』をだ。科学者共から言わせれば、あれは古の大戦時代の代物で、本当に欲しているのは『神の知識』らしいがな」
「あくまで取り込みたいのは人の知識……つまり魔力も?」
「ああ。あのイグムス自体は炎の魔力を纏っちゃいるが、その中では“一定周期”で様々な“魔力”が渦巻いている」
周期とはそれ即ち脈動であり、魔力とはつまり、犠牲者ということか。
――知識を求めるということは……学習している? あの炎の中には意思があるということ?
「大戦時代の産物なら、有り得る話ね……」
今よりはるか昔のこと、この大陸の元となったその地には、人間の他にもたくさんの高度な知的生命体が存在していたらしい。
現在では物語の中だけで語られるエルフや魔族といった者達が、世界の覇権を掛けて争っていたらしいのだ。歴史の授業でも少し習う程度の伝説としての意味合いが強い時代の話だが、どうやらそれは実在していたらしいというのが専門家達の意見であった。
時たま出土する当時の魔道具が、今の魔法技術では説明がつかないためだ。遥かに高度な魔術によって、それらは造られ運用されていた。
たまたま出土した魔道具に不用意に触れたために、その人間諸共都市が吹き飛んだこともある。
「ビビっちゃったか? ルツィアちゃん」
レイルがわざとルツィアの名を呼んだ。初めてまともに呼ばれたその声は、酷く耳障りな嘲笑を含んでいる。細められたままのエメラルドグリーン。わかっている。彼女はわざとそう言って、わざとその『名』を口にしたのだ。
ルツィアの『名<コードネーム>』の由来は、この大戦時代のエルフの名前だと聞いている。
豊穣の聖女の名だ。まだまだ拙い癒しの魔力にちなんだにしては大袈裟過ぎるその名に、ルツィアはほんの少しの劣等感のようなものを抱いていた。
「っ……そんな――」
そんなことはないと言うつもりだった。しかしルツィアの慌てて開かれた口に、レイルの細指がすっと添えられ遮られる。
「――お前は私の後ろにいとけ。私が守ってやるからよ」
劣等感すらも見通しているその瞳に守られて、ルツィアは頭に移されたその手の感触に目を閉じた。