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第八章 歪な群れ


 深夜近くになり、クリスはようやく拠点まで戻ることを許された。
 本部からの召集はここのところ連日の日課と化しつつあり、これまた本部からの命令である新人の教育を朝に回してようやくこの時間に解放されるという、なんとも不条理な生活を送っていた。
 召集先では常にフェンリルについての書類の作成作業に追われる。デザートローズでの作戦の後始末用の書類であり、より真実味を出す為にリーダーである自分が駆り出されているのだ。
 役職、能力的に適任ではあった。元よりフェンリルには黙って机にかじりついていられるような人間は少ない。
 淡い月明かりを眺めながら歩く帰り道は、クリスの心を自然と落ち着かせた。喧騒が止んだ静寂の中を歩くと、世界には善も悪もないような感覚に浸れる。
 だがそれは現実逃避でしかなく、世界には間違いなく悪だけが渦巻いている。それでもそう思わせる美しい暗闇は、自分にも人間らしさが残っている何よりもの証拠であり、血塗られた世界だけが全てだった自分の成長度合いがわかって素直に嬉しい。
 クリスは腰に差した刀に手を掛けた。
 拠点にしている家屋の屋根に、美しい赤髪が靡いていた。
「お帰り、リーダー」
 小さく囁くような声でそう言ったレイルは、いつもとは纏う空気が変わっていた。魅惑的な女の空気に、クリスも小さく笑って答える。
「少し待ってろ」
 器用に窓枠等に手や足を掛け素早く屋根に上がる。二階分くらいの高さはフェンリルには無意味だ。
 横で両足を緩く抱えるようにして座るレイルなら、助走をつければ飛び乗れるだろう。
「どうした?」
 クリスはそう問い掛けながらレイルの横に座る。月明かりに照らされながら見る屋上からの景色は、それなりに美しい。
 目元にかかった髪の毛を直すために伸ばした片手を、そのままレイルの肩に回す。特に抵抗はないので、そのまま話を促す。
「リーダーったら欲求不満かよ?」
「お前が誘ったからだ。それにこのシチュエーションは、下心というよりはロマンチックなだけだ」
「どっちも行き着く先は一緒だろ?」
「女が言うな」
 レイルは小さく笑うと、すぐに真顔に戻ってクリスに向き直った。自然にごく至近距離で見詰め合う形になる。
「……邪魔な女がいる」
「恋敵?」
「リーダーのくせにふざけんなよ? 私が私情で殺すのは敵だけだ。あのクソアマは調和を乱す。絶対任務に支障が出るぜ」
「……ロックには何と言うんだ?」
 クリスは頭を抱えそうになりながら言葉を絞り出した。
 ルツィアのことはクリスも危険視はしていた。幾度の訓練の中でも彼女の考えは何も変わっていなかった。
 レイルの意見もわかる。だが、それとこれとは話が別だ。
 特務部隊に配属された時点で退職は有り得ないが、それでもどうにか最善の形には済ませてやりたいと思う。レイルは頭に血が上ったら迷わずルツィアを殺すだろう。時間稼ぎが必要だ。
「もう言った」
「……ロックにか?」
 クリスは軽く眩暈を覚えながら聞き返した。それは完全なる計画であり、決して知られてはならない謀のはずで。
 クリスは自分の横で穏やかな笑みを湛える彼女の瞳を覗き込み、その真意を見抜こうと目を細める。レイルの瞳には月明かりすら届かない、暗い淀みが広がっている。
「ああ。私らは仲間に隠し事はしない。どうせ殺すなら綺麗に殺してやらないとな」
「……ロックは何か言ったか?」
「『お前がそう動くなら、僕にも考えがある』ってよ」
「……そうか」
 クリスはフェンリルの仲間達の考えをほとんど把握している。
 思考回路、行動理念、作戦遂行までの行動パターン……それら全てを念頭に置いて、クリスは眉間に寄った皺に手をやりながら言った。
「本部から輸送作戦への参加が要請されている。そこにお前とルツィアで行ってこい。現地での判断は……」
 クリスはそこまで言ってから、自分の表情が醜く歪んでいることに唐突に気付いた。優しい月明かりは薄い雲に覆われている。
「レイル、お前に任せる」
 目の前の美しい笑顔は、自分自身を映しているようだった。









 恋人二人の為に宛がわれた寝室には、可愛らしい小物が散らかったダブルベッドがあるだけだった。
 どうせ数日後にはおさらばするのだ。沢山の家具は必要ない。
 扉を静かに閉めたはずなのに、先にベッドに横たわっていた彼女はこちらの気配に気付いたようだ。薄暗い照明の中でも、彼女の魅力は充分に発揮されている。
「お帰りー。ロック」
 バスローブのみを身につけたルツィアが、優しく微笑みながらロックを迎えた。ロックはそれに笑顔を返しながら、黒のジャケットを脱ぎ深緑色のネクタイを外す。
 シャツとスラックス姿になってから、ロックはすとんとベッドに腰掛けた。その背中にルツィアが絡まりついてくる。
 背中に当たる胸の膨らみよりも、シャツに滴る半乾きの髪の毛の方が気になった。
「遅かったね? 今日も訓練頑張ったんだよ?」
「ルツィアは偉いな。今夜もとびきりヤらしいご褒美だ」
 甘い甘い台詞に、ロックは思考は別のところに飛ばしながら答える。
 言葉だけでなく、いつもと変わりない手つきで彼女のバスローブを脱がし、敏感な部分を攻め立てていく。自分の下でよがるルツィアを見ながら、ロックは先程レイルと交わしたやり取りを繰り返し思い出していた。
 話があるとレイルに呼び出された。時刻は今から三十分前。
 つい先程の出来事で、終わってすぐこの部屋に引っ込んだ。
 彼女がルツィアのことを快く思っていないことはわかっていた。ロックは他人――一際女に対しては、敏感に空気の変化を感じとることが出来ると自負している。
 レイルは任務に支障が出た場合、自分がルツィアを殺すと警告してきた。任務に支障なんていつも出ている。
 仲間を大切に出来ないルツィアも問題だが、焦るレイルには別の理由が確かに存在している。その理由は考えるまでもないのでこの際言及はしない。
 とにかく彼女は“手を下す”と警告してきた。
 これが問題だ。リーダーに相談しようかとも考えたが、やはり自分の問題は自分で解決するしかない。
「……っん」
 小さく痙攣する彼女を抱き締め、ロックは思考の海から戻る。
「ルツィア……話がある」
「なーに? 出してからじゃなくて良いの?」
 しがみつくようにして上目遣いにそう問い掛けるルツィアは、砂糖菓子のように甘い雰囲気を漂わせている。普段とのギャップに思わず笑みが零れた。
 堅い敬語なんかより、今の彼女の方がよっぽど好みだ。愛情ではなく、親切心からそう伝えているのだが、頑固な彼女が仲間の前での態度を改める気配は微塵もない。
 自分にだけ媚びる女は嫌いではないが、集団生活なのだからそこのところのメリハリはしっかりして欲しいと思っていた。
「多分、だけど……近いうちに任務が入ると思う。そこでレイルと一緒になったら……」
 嫌悪の塊の女の名前が出て、ルツィアの表情が強張る。
 もう親切心からの忠告なんてしない。ロックがこれからするのは、死人を出さない為の忠告だけだ。
「アイツのことをしっかりと観察しろ。隙を見せずに、よく見てろ」
 ロックの言葉にルツィアは目を大きく見開きながら頷いた。その表情を見てロックは、自分が“本当に”伝えたかったことは伝わらなかったことを理解した。
 小さく舌打ちをしながら、欲望を彼女の中に吐き出す。
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