第二章 脱出、船
「それで君は、家を出てからどうしたんだ?」
ヤートに思い出を話していたロックだが、一つだけ嘘をついた。いや、まだ言っていないから嘘ですらないか。
あの後、父親と母親、そしてお手伝いの女性達全てを切り殺し、家に火を着けた。兄は殺しそびれたが、今はもう後悔はしていない。
「家を出てからは猟奇殺人鬼生活さ。貴族の女ってのがウザくて……いや、怖かったのかもな。とにかくガードの固い貴族の娘を犯して爆破しまくった。生きたまま爆弾をつっこんで、導火線に火を着けるのが楽しくて仕方なかった。そんなことを続けたせいで南部の軍にマークされて、たまたま逃げ込んだのが特務部隊の南部支部だった」
あくまで軽く言ったつもりだが、ヤートは腕を組んで考え込んでいる。話し始めてもう一時間になるが、彼は終始この姿勢だった。怒り狂って軽蔑された方がまだマシだ、とロックは思う。
昔話をするのは嫌いだった。自分がどうしようもないクソ野郎だということを嫌でも実感する。でも、ヤートには知っていて欲しかった。
南部の人間が外に出ることは稀である。砂漠を隔てる城壁を一部解放しての貿易等はあることはあるが、軍の関係者でもなければ国民が国外に出ることはほとんど不可能に近かった。逆もそうで、国外からの商人以外での入国者というのも稀だった。
スラム生まれの彼がどうやって軍に入り込めたのか。そしてそれからどういった経緯で城塞都市に辿り着いたのか。リーダー程でないにしろ、彼に興味はあった。
だからこそロックは自分の昔話を聞かせ、彼の話を促した。人生ギブアンドテイクだ、と頭の中に浮かんだ言葉に自嘲する。自分こそそれを一番守れていないくせに。
「考えてるところ悪いが、あんたの話も聞きたい」
自嘲をすぐに消し、優しい笑顔に取り替える。ヤートが目線を上げ、ロックを見る。
「俺の話はつまらないぞ」
そう言いながら笑う彼から、ロックは目を離せなかった。健康的な肌に薄い唇が笑みの形を作っている。
「どうせ船旅は長いんだ。聞かせてくれよ」
ロックは内心驚きながら言った。
――おいおい、けっこうそそる唇してるじゃねーの。
ヤートも、ロックと同じくスラムの出身だった。だがヤートの両親は、共に貧乏で、乾いた土地に小さな畑を作り生計を立てていた。
砂漠に囲まれたデザートローズでも、オアシスと称されるだけはあり、畑は少なからず存在しており、その畑を豊かにするのは貧困層の仕事だった。
幼いヤートもよく畑仕事を手伝っていたものだ。学校には貧乏過ぎて通えていなかった。ヤートにとって教養を教えてくれたのは、スラムに一つだけあった剣術道場と、後に通うことになった軍学校だった。
そこの剣術道場には沢山の子供達が通っていた。その全てがスラムの子供達であり、まだ若い師範は自分の子供のように子供達全員を愛していた。ヤートもその中の一人であり、その真面目な性格から子供達のリーダーのような立場に立っていた。
ヤートが十六の誕生日を迎えた年に事件は起こった。王族を狙った大規模テロに、師範の妻が巻き込まれて命を落としたのだ。
それに激怒した師範は、自分と志を同じくする弟子達と共にテロリストへの報復を企てた。
蛇の道は蛇と言うように、テロリストのアジトはすぐに見付かった。政府への反感を語れば、相手の方から近付いてきたのだ。それだけ師範は強く、スラムでは有名な人物だった。
スラムにあるアジトへの強襲に、ヤートももちろん参加した。平和を愛する師範と共に、人を切らなければならない――恐怖がなかった訳ではないが、当時の若い自分には復讐の愚かさなどわからなかった。
結果的に、アジトへの強襲は成功した。どこから嗅ぎ付けたのかは知らないが、軍隊まで入り乱れ、ヤートが気が付いた時には軍隊に完全に包囲されていた。
スラムの人間は、自分以外誰も生き残っていなかった。ふと横を見ると、敵――テロリストのリーダーらしき男の胸に剣を突き刺したまま絶命している師範と目が合った。自分が死んだこと等気付いていないような、狂気に染まった死に顔だった。
ヤートは急に吐き気を覚えて蹲る。すぐ傍まで近寄ってきていた軍隊の人間が何やら呼び掛けているが、ヤートは何も聞き取ることが出来ないまま気を失った。
次に目が覚めると病室だった。あれからすぐに軍の病室に運ばれたヤートは、担当の医者から事の顛末を聞いて驚いた。現場の状況からヤートがテロリストではないとわかった軍部は、ヤートの剣術の才能を見込んで特別に入隊を許可したというのだ。
「ご両親の生活は保障しよう。君にとっても、もちろんご両親にとっても悪い話ではないと思うがね」
ヤートはその場で了承した。剣術道場の仲間達が亡くなった今、ヤートにとって親しい人間は両親しかいなかったからだ。
そこからは軍学校での厳しい日々が始まった。
スラム生まれの為、礼儀作法を一から勉強した。文字の読み書きもやっと出来るようになった。その代わり、剣術の授業だけは常にトップクラスにランクされていた。
ヤートは母親が作るただ辛いだけの料理が好きだった。家の畑で採れた唐辛子をふんだんに使った、家庭の味だ。
だが、ヤートが軍学校に入ってしばらく経った頃から、働き者だった両親が家に居ることが多くなった。軍部から出る支援金は、スラム育ちの両親からすればまるで天国のような豊かさだった。
昼間から酒の匂いが充満する家を嫌って、軍学校を卒業したヤートは遠距離の勤務地を希望した。遠距離といっても大陸内を予想していたヤートに、軍部は予想外の城塞都市への勤務を命じた。
この時のヤートには知る由もなかったが、この頃から既に城塞都市の科学者達は、計画の実行を企てていたようだった。彼らは城塞都市の警備が甘いことを知っていた。そこで、秘密裏に同盟を結んでいたデザートローズの軍部に頼ろうと考えたのだ。
彼らの考えでは優秀な軍人が来ることを期待していたのだろうが、軍部も馬鹿ではない。「軍学校を出た者は一人前の軍人だ」と言わんばかりに、新米のヤートを向かわせたのだ。
城塞都市の科学者達は、皆苦虫を噛んだような顔をしていたが、要請は快諾されたのだから文句は言えない。軍部としてもヤートではなく、両親の行動には目に余るものがあったようだ。
そんな逆境からのスタートだったが、気が付けばヤートは、防衛部隊の隊長にまで上り詰めた。つまりは軍人のトップに立つ存在だ。
攻め込まれることを想定した城塞都市の訓練は、『攻める戦い』ではなく『守る戦い』であり、それがヤートには合っていた。ようやく自分の天職を見出だせた気がした。
十年以上続けてきたそんな生活も、たった一度の実戦で簡単に崩れ去った訳だが。