第七章 蒼海の王
『……オ……』
少年は自分の名前を呼ぶ声を聞いた。
最初は何を言っているかわからなかったが、意識がはっきりしてくるとそれが自分の名前だったことに気付いた。
つまらない、楽しい夢を見た。楽しいのは、知り合いが出てきたから。つまらないのは、自分の出番がもうないから。
地面に膝を抱えるようにして眠っていたままの姿勢で、少年は薄く目を開く。
ゆっくりと声がした方に顔を上げると、目の前に漆黒の髪の美女が立っていた。穏やかな笑みを浮かべる彼女は、髪と同じく漆黒のドレスを完璧に着こなしている。
彼女の後ろで歓声が上がった。
白髪の老人と金髪の青年がチェス盤に向かっている。まるでバーテンダーのような出で立ちの老人は、しきりに渋い唸りを上げている。どうやら劣勢のようだ。
そんな彼に対して、青年の方は無表情に静観を決め込んでいた。色白の肌は、見る者に時が止まったような錯覚を与える。
『爺さん、もう詰んでるぜ?』
燃えるような赤髪を揺らしながら、小柄な女性がニヤニヤしながら彼らの近くに腰を下ろす。灰色のキラキラと輝く地面が、彼女の動きに合わせてふわりと粒子を散らせた。
彼女以外にも、そこの周りに座っている人間がいた。さっきの歓声はその人間達が発したようだ。
『やっぱりリーダーは何でも強いよな』
『僕らも勝ったことないからな』
黒髪の体格の良い青年と、褐色の肌に白く光る笑みを湛えた茶髪の青年が絶賛している。
『おめえら調子に乗るなよな!?』
もう一人、別の茶髪の男が声を荒げた。獣を連想させる瞳は、不安定に揺れている。
『ここにはクスリはないぜ? クソ野郎』
赤髪の女性がニヤニヤ笑ったままそう言うと、茶髪の男は雄叫びを上げて彼女に襲いかかる。が、いつの間にか立ち上がっていた黒髪の男に手痛いカウンターを食らって豪快に倒れた。
また、光の粒子が飛び散る。
ここは光の中。
楽しい、幸せなこの場所は、光――幾多に砕け散った光の結晶の中にある。粉々に砕けた数多の光は、全てをリンクさせながら少年の精神と記憶を保った。
『もう交ざらなくて良いの?』
目の前の女性が優しい口調で言った。それを二つの意味で受け取った少年は、にっこりと笑って答えた。
『見ているだけで楽しいよ。でも……』
少年が言葉を続けようとした時、その空間を激しい地鳴りが襲った。
激しく揺れる視界の中、目の前の彼らは何も変わらずに“平和な日常”を演じ続けている。
これは少年の夢で、今目の前で楽しく生きているのは“彼ら”のコピーでしかない。この、光の空間の中でしか動けないコピー。
少年もまた、地鳴りの中で言葉を続けた。
『……どうしてボクは生き残ったのかな?』
小さく震え出した身体を、自分の腕で抱き締める。目の前の女性は、自分を抱き締めてくれたりはしない。
『……きっと、理由も……意味もあるんだよね?』
そう、小さく呟いた。
空軍の会議室は騒然としていた。
皆が皆、自身に割り当てられた情報の処理に奔走するなか、緊急の召集をかけた張本人であるリチャードは険しい表情を隠せない。
「奴らの逃走ルートは?」
国王であるストラールが、奥の席についたまま冷静な声で聞いてきた。
「……完全に見失いました」
そう苦々しく答えるしかないリチャードに、ストラールは特に何も言わずに腕を組んだ。
形の良い眉が寄る。思案顔まで美しい王に、リチャードは目を伏せるしか出来ない。
「……証人は本当に君だけか?」
やがて、絞り出すように発せられた言葉に、リチャードは小さく頷いた。だが、国王の貫くような視線を感じてゆっくりと目を上げる。
真実全てを貫いてしまうような、強い視線に捕まった。
人殺しの目とはまた違う。異質な芯の強さを宿した瞳に、知らず知らずのうちにリチャードの手が汗ばむ。喉が酷く渇いたように感じるのは、緊張の証だ。
――緊張? 俺は今、何に緊張している?
「思い出せ。小さな可能性も排除はするな」
国王の、まるで暗示のような言葉に、今まで記憶の奥底――いや、記憶にすら残らぬような出来事が浮かんだ。
「……」
壁の一点を見つめたまま固まったリチャードに、ストラールは満足そうに笑った。
「他にも誰かいたのだろう? その人間に証言させろ」