第七章 蒼海の王
特大レベルの魔法弾が着弾したのを確認し、リチャードは小さく息をついた。
周辺には既に人が住んで居なかったのが幸いし、集会場のような大規模な施設の全てを爆風の圏内に入れることが出来た。かなり離れた位置から発射したが、周囲の数キロ圏内は爆風に地面が揺れた。
これならばいくらフェンリルが相手でも、戦闘不能になっているはずだ。
「……炎が止み次第突入する。瓦礫のみだ。すぐに鎮火するだろう」
「はっ!!」
リチャードは指示を飛ばしながら、魔力を探る。
狂犬の手首につけた楔は、すでに解除されている。残存魔力が少ないことと、発動してから時間が経ち過ぎているせいだ。だが先程まで確かにあの場所から自分の魔力を感じていた。間違いはないはずだ。
リチャードは鋭く建物を睨みつけた。
魔力ではなく、あの冷たい狂った殺気を見つけようとするが、月明かりに照らされた夜のスラムには、そもそも人の気配すらなく、赤く燃えあがる建物からは声一つ上がらない。
「……」
リチャードの脳裏に最悪の可能性が過ぎった。
相変わらず建物からは声一つ上がらない。煙による窒息ならば妥当だ。弾が直撃して即死したのなら尚更。
しかし……彼らがそれくらいでくたばるのだろうか?
嫌な想像ばかりが膨らみ、リチャードは車の後部座席に座り直した。小刻みに揺れてしまう足を隠すこともなく、車内の窓から建物を見詰める。
何かが、起こっている。
この国にとって、絶対に良くない何かが。
漆黒の闇に色付く朱を、二人組の人影が見詰めていた。
一人は男で、そのまだ若い顔立ちには、興奮とも緊張ともつかぬ表情を浮かべている。
短い銀髪が好青年といった印象を強くしており、新品の黒いジャケットのせいで少し頼りない空気が漂っていた。
もう一人は女で、男と同じくまだ若い。
甘くカールしたセミロングの茶髪に、女性らしい整った顔立ち。すらりとしたスタイルで、一般的な美人の部類に入る。
彼女もまた、まだ硬さの残るジャケットを羽織っている。
二人の目の前で赤い火柱が激しくなった。
燃えているのはスラムの集会場で、放火――この場合は爆撃と言った方が正しい――の犯人は空軍だ。
男は耳につけていたピアスに片手を当てる。それはピアス型の無線機で、そこからは先程からずっと雑音しか聞こえてこなかった。
「先輩達……大丈夫かな?」
男が心配そうに呟いた。
彼らは今、燃え上がる集会場を取り囲むように展開を開始している空軍からは死角になる民家の裏に隠れている。スラムの状況を調べ、逐一南部支部とフェンリルに連絡するのが彼らの任務だった。
「フェンリルがこんな簡単に死ぬ訳ないじゃない!」
女がことさらに明るく、自身に言い聞かせるように言った。その海を思わせるような碧色の瞳には、一粒の雫が光っていた。
「……死なないで、ロック」
そう祈るように呟いた。
炎の勢いが弱くなり、人体に与える危険性が低くなったところで、リチャードは部下数人を率いて集会場内に突入した。
まだ火の手が残る室内は、むせ返るような煙と肉が焼ける独特の臭いで満ちていた。それを部下達が水や風を魔力で生み出し鎮火、吹き飛ばしていく。炎に炙られ、不安定な足場が頼りない悲鳴を上げる。
広い空間に差し掛かったところで、リチャード達は何体もの死体を見付けた。
人間だったものが十数体。それに大型の生物の亡きがらが一つ。
そのほとんどが黒く焼け焦げており、性別を判別するのも難しい状態だった。
リチャードの心に警鐘が鳴り響く。
顔まで爛れたその死体達には、逃げようとした形跡がない。人間というのは本能的に安全な場所へ逃げようとするものだ。少しでも煙の無い場所へと、這ってでも進もうとする。
だが、彼らにそんな形跡はなかった。まるで、そんな力は最初から無かったかのように。
「リチャード様! これを見て下さい!!」
少し奥、煙の向こうから部下の呼び声が聞こえた。
リチャードはその方向に向かって口元を押さえながら歩いた。煙が目に染みる。
まだ完全に鎮火していない、ところどころに火が残っている空間に、それらは寄り添うように横になっていた。手前に乱雑に転がっていた死体達とは違う、顔の判別までしっかり出来る死体が四体。眠るようにして死んでいた。
固く閉じられた瞳の下、口から少量の泡を零した痕がある。
「まさか、フェンリル? ……追い詰められての自害でしょうか?」
これを最初に発見した部下が困惑した目でこちらを見、すぐに尋常ではない空気を悟って息を呑んだ。
「……死者をここまで愚弄するとはな」
リチャードの口から、本人も思ってもみなかった低く冷たい声が零れた。
普段の余裕ある美しいリチャードの声に聞き慣れていた部下達は、姿勢を正し、全員がリチャードの発言を待っている。
「こいつらはフェンリルじゃない。逃げられた」
リチャードは吐き捨てるようにそう言うと、完全なる鎮火を部下に命じた。
わざわざ死体を残した彼らが、この国に長居するとは思えない。ここまで鎮火するのに二時間待った。
奇襲の為に少人数で来たのが、完全に裏目に出てしまった。彼らはもう城門の警備すらかい潜って国外に出ているだろう。
「逃げられた……」
リチャードはもう一度、噛み締めるように言ってから舌打ちした。
「俺が直々に出るべきだった」