第七章 蒼海の王
ここは元は集会場のような物件だったらしく、広い殺風景なスペースの奥にはホワイトボードらしきものが倒れている。奥には小部屋が何部屋かあり、そこにはもうロックとヤートが向かっている。捕虜がここにいないということは、消去法で考えても奥しかないので、ここの敵は二人で相手しておくのが妥当だった。
たくさんの人の気配はするのに、クリスとルークは動けないでいた。相手はスラムのならず者だと、適当に強襲した。真っ正面から、入口から殴り込んだ。そこまでは良かった。相手はほとんど素人で、魔力の消耗により頭は重いが、それでも自分達の敵ではなかった。
敵の本隊はここで今後のことを話し合っていたようで、それらと戦闘になるのは、ロック達を奥に行かせる為には仕方のないことだ。だが、彼らは民間人からしたらとんでもない隠し玉を投入してきた。慌てて後ろに引いた敵達を守るように、家の床をぶちやぶってそれは現れた。
それは軍用の生物兵器だった。砂漠に生息する巨大昆虫をベースに、改造され飼い馴らされている。
クリスはいきなり現れたそれを睨みつけた。巨大な蜻蛉のような昆虫で、自分達よりも一回り大きい。クリスの深紅の瞳が、気持ちの悪い複眼に写り込んでいる。大きく透明な四枚の羽には、不気味な機械が取り付けてあり、空中を移動するだけの機動性は失っているようだ。その代わり、攻撃力と耐久性が増しているのだろう。
「リーダー、どうすんだよ?」
ルークが溜め息混じりに指示を仰ぐ。
「音速の防御障壁なんて、俺には突き抜けられないぞ?」
彼の言葉にクリスも頷く。あの昆虫の羽根に取り付けられているのは音波の増強装置だ。羽根を羽ばたかせる時の音波で空気を震わせ、それを障壁として利用する。凶悪なモンスターが多く生息している南部らしい兵器で、クリスも実物を見たのは初めてだった。
「こいつを倒さない限り、全滅プレイはさせてもらえないらしい」
「虫に守ってもらうなんて情けない連中だよな!」
「……とにかく、やるしかないようだ!」
クリスとルークが武器を構えると同時に、蜻蛉の羽根が細かく振動を始めた。耳障りな羽音を響かせながら、振動による障壁を形成する。よく見れば蜻蛉の周り――飼い主達を守るようにして空気が細かく揺れている。
「完全に防御用の兵器だな」
「いや、そうでもないらしい」
クリスは空気の揺れに注目した。最初は蜻蛉の周りの小さな範囲だったその揺れは、時間と共にどんどん範囲を広げている。広まるにつれて耳障りな騒音は大きくなり、範囲に入った床がバリバリとめくれ上がり切り刻まれていく。あの中に入るなど、ミンチ志望の人間としか思えない。
「一種の真空刃だな!」
「おいおい! こんなのどうすんだよ!?」
二人で叫び合いながら後退する。そろそろ背中が壁に当たるだろう。羽音が煩いので、クリスは怒鳴るようにしてルークに指示を飛ばす。
「ルーク!! 俺は今は札を持っていない! 火炎魔法はまだ得意だが、お前の氷結魔法程の威力はない!」
「威張るな! それで!?」
「俺の威力に合わせて氷結魔法を頼む!!」
「……了解っ!!」
一瞬考えるような顔をしたルークの表情が明るくなった。こちらの意図を察したらしく、銃を構えたまま詠唱に入った。クリスも神経を集中させる。
北部の魔法はほとんどが札を使って簡略化している。魔法の詠唱を、文字を描くことによって成立させているのだ。なので実際に詠唱しての魔法の発動は、クリスには久しぶりのことだった。頭が割れるように痛む。更に耳障りな羽音が集中を阻害しようとしてくるが、今まで死線をくぐり抜けて来た二人には、まるで無意味だった。
目を瞑って立ち止まった二人に、無慈悲に音波が追いつく。迫り来る空気の刃が、クリスの前髪を数本切り落とした。その瞬間、クリスは瞳を見開くと、音波に向かって片手を突き出した。ルークも同じように片手を目の前――音波を作り出している根源に突き出す。
空気の刃が傷付けるよりも一瞬早く、二人の手から青と赤の光が放たれた。クリスの火炎魔法と、ルークの氷結魔法が圧縮された魔力の塊として放たれたのだ。二つの光は絡み合うように対象である蜻蛉の前に到達すると、激しい爆発を起こした。
室内、しかも魔力の残り少ないクリスと一対一のバランスを取るように調整されたルークの魔法。炎が氷を溶かし水分すらも燃やし尽くす。
それは本当に小さな爆発だった。爆音の割には爆風や熱は少なかったが、爆心に両者共に近いので、一瞬の隙は生じた。
爆音に掻き消され、羽音はもう聞こえない。
「今だ! ルーク!!」
更に炎を自身の前に走らせ爆風の向きを変えたクリスが、ルークを振り返りながら叫んだ。銃の照準をつける為に無防備になっていたルークを守るように立つその姿は、リーダーのそれに相応しい。
「任せろ! 動かねえ敵なんて難易度が低すぎるんだよ!!」
ルークは両手に構えた銃を左右共に二度連射した。目の前にほとばしる炎に舐められることもなく、音波の刃に切り刻まれることもなく、四発の弾丸は蜻蛉の四枚の羽根にそれぞれ命中していた。全ての羽根の根本の一番細い部分をえぐった弾丸は、羽根もろとも、後ろにいた四人の人間の眉間に突き刺さっていた。
「焦るなよ……カーニバルの踊り子じゃないんだ」
「まだ倍以上いるんだから、四人くらい良いだろ?」
どさりと倒れる敵を見ながら、クリスは舌を出して笑うルークの頭を軽く小突いた。そんな余裕な二人の様子に、痛みにもがいている蜻蛉の向こうにどよめきがおきる。
「蜻蛉さん、虫の息だな!」
ルークがつまらないことを言いながら更に笑うと、敵のリーダーらしき男が前に出た。
まだ若い、精悍な顔立ち――嫌いではない。男がああいう顔をするのは、死を覚悟した時だということをクリスは今までの経験上知っている。
「……オレ達は軍隊には屈しない! お前達のような腐りきった奴らの好きにはさせないと誓った!! なのに……なのにっ!! どうしてだ!? どうして高い代償を支払って得た生物兵器が役に立たない!? あの真空刃ならば、例え光将でも絶対討ち取れたはずだ!!」
一気にまくし立てるような勢いで叫んだ男に、クリスは冷たい視線を向けた。戦場に“絶対の勝利”はなく、弱い者から死んでいく。それこそが“絶対”であり、何かに頼った弱き者に、自分達が負けることはない。
「あの真空刃は、ようするに音。つまりは空気の振動だ。攻撃の要が音ならば、こちらに届く前にその音を掻き消してしまえば良い」
溜め息をつきながらクリスは言った。魔法の使い過ぎで頭が痛い。
本当はもっと飯を食べて寝ていたかったが、レイルの為なのだから仕方ない。彼女が望まぬ相手に犯されるのは自分が許さない。それは彼女の希望に応えてやれない自分に出来る精一杯の罪滅ぼしだ。
「リーダーの火炎魔法と俺の氷結魔法で爆発起こして真空刃を掻き消して、後は動きが止まってようが動いてようが、そいつの羽根を俺が撃っておしまい」
ルークがニコニコしながら補足する。手に持った銃の銃口はリーダーらしき男に照準されている。