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おがたひゃくのすけくんとにかいどうこうへいくんのはなし

地面を見ながら歩いているとピンクの花びらがひらひらと落ちてきた。上を見るとたくさん咲いているさくらの木からたくさんの花びらがひらひら落ちてくる。おばあちゃんが、きれいだねって言ったけど俺は胸がドキドキしてお返事できなかった。幼稚園の入り口にあるさくらの木だ。いつの間にここまで歩いて来たんだろう。おばあちゃんとつないだ俺のおてては汗をかいてぬるぬるしていた。
「百ちゃん、頑張ってね。おばあちゃん、夕方にお迎えに来るからね」
俺はつないでいたおばあちゃんのおててを離して、教室の入り口で待っていてくれた先生のおててをつなぐ。
今日から初めての幼稚園だ。おばあちゃんがおててを振ったので、俺もおててを振った。おばあちゃんと離れるのはちょっとさみしい。
「初めは不安かもしれないけど、すぐにたくさんお友達ができるよ!大丈夫だからね、百之助くん!」
先生は明るく笑うと俺のおててを優しく引っぱって教室の中に入った。教室に入る前、振り返るとおばあちゃんがまだおててを振っているのが見えて、俺はもっとさみしくなった。
さみしい気持ちを忘れようと思って教室の中をきょろきょろした。おもちゃで遊んでいればさみしい気持ちはなくなるかもしれない。おもちゃのてっぽうとかあればいいのに。初めて入った教室には俺と同じ年ぐらいの子が何人かいた。ブロックや車で遊んでいる子もいれば、絵本を読んでいる子もいる。その中の教室のすみに座っている男の子が気になった。
「あっ」
思わず声が出た。その男の子はお耳が二つともなかった。それからお箸を持つ方のおてても足もない。お耳のない坊主の頭は耳の穴だけぽっかり空いている。おてては指が一本もなくて、つるんとした棒みたいだ。足はおひざから少し下がなくて、こっちも棒みたいだった。俺が驚いている様子に気づいた先生がお耳もおてても足もない男の子のことを紹介してくれる。
「二階堂浩平くんだよ。浩平くんは百之助くんのおめめと同じように、お耳とおててと足が生まれつき不自由だから優しくしてあげてね」

俺は生まれつきお箸の方のおめめが見えない。おめめはあるけど見えないおめめだ。見える方のおめめをつぶれば、見えない方のおめめを開けていても、ぼんやりと明るいか暗いかがわかるだけで、あとはなんにも見えない。見えないおめめは、いつもおかしな方を向いている。おめめに力を入れれば真ん中にくるけれど、力を抜くとまたおかしな方にいってしまう。おばあちゃんは「百ちゃんは片目が見えなくてかわいそう」と言うけれど、俺は片っぽのおめめでしかものを見たことがないから、片っぽのおめめしか見えなくて嫌だと思ったことはない。ただ、おめめにおかしな方を向かないでほしいなと思う。

こうへいくんはお茶碗の方のおててでだっこしているくまさんのぬいぐるみと楽しそうにおしゃべりしている。
「浩平くん、お友達だよ」
先生が話しかけるとこうへいくんはくまさんとのおしゃべりをやめた。
「だれなの?」
「尾形百之助くんだよ。仲良くしてね」
「ふーん」
こうへいくんが顔を上げて俺のことをちらりと見る。眉毛がない、大きな黒いおめめと俺のおめめが合った。
「あっ」
驚いてまた声が出た。
こうへいくんのおめめはおっ母のおめめとそっくりだった。俺の方を見ているのに、見ていない遠くを見ているようなおめめ。真っ黒なのにお水みたいに透き通ったおめめ。おっ母以外に初めて見たおっ母にそっくりなおめめに俺はなんだか胸がドキドキした。今日初めて幼稚園に来るときもずっとドキドキしていたけど、そのドキドキとは違う胸をぎゅっとつかまれたようなドキドキだ。
「ようへい、おがたひゃくのすけくんだって」
こうへいくんはようへいと呼んだくまさんの方を向いて、またおしゃべりを続ける。俺の方は見てくれない。俺も先生も困っていると教室で誰かの泣き声が聞こえたので、先生は泣いている子の方へ行ってしまった。
「こうへいくん、俺、片っぽのおめめが見えないんだよ」
「ふーん」
なんのお話をすればいいかわからなくて、俺は見えない方のおめめを指で指す。こうへいくんは俺の見えない方のおめめをちらりと見た。こうへいくんの黒いおめめを見ると俺はまたドキドキした。
「ようへい、ひゃくのすけくんは片っぽのおめめが見えないんだって」
こうへいくんはまたくまさんとおしゃべりを続けている。
こうへいくんに俺の方を見てほしい。その真っ黒なおめめで俺を見つめてほしい。こうへいくんは何をしゃべれば俺を見てくれるかな。
今度は大事そうにだっこしているくまさんを指差した。片っぽのおててだけでだっこできるくらいの大きさの茶色のくまさんは、中学生のお兄ちゃんがかぶっている帽子とよく似た帽子をかぶって、中学生のお兄ちゃんが着ているような金色のボタンがたくさんある服を着ている。違うのは中学生のお兄ちゃんの帽子と服は黒色だけど、くまさんの帽子と服は濃い青色だ。上着と同じ濃い青色のズボンの上から包帯みたいな白い布を巻いて、黒い靴をはいている。かわいいというより、かっこいいくまさんだなと思う。
「そのくまさん、ようへいって言うの?」
「うん!ようへいは俺の双子の兄弟なんだよ!」
こうへいくんが顔を上げる。真っ黒な二つのおめめが俺の見えるおめめと見えないおめめを見る。さっき見た真っ黒なおめめと様子が違っていた。真っ黒なままだけど、真っ黒の中に小さなお星さまがいるみたいにキラキラ光っている。このおめめもよく知っている!おっ母がお父さまの話をするときのおめめによく似ている。俺はお父さまに会ったことはないけれど、おっ母が言うには立派な人らしい。いつかおっ母と俺を迎えに来てくれるとおっ母は何度も俺にお話ししてくれた。このお星さまがいるおめめで、お父さまの話じゃなくて、俺とお話ししてくれればいいのに。
「ようへいは俺の双子の兄弟なのに、俺と一緒に生まれてこなかったの。だからこのくまはようへいの代わりなの」
双子って顔がそっくりで一緒に生まれてくる子どものことだと思うけど、一緒に生まれてこないことなんてあるのかな?よくわからない。
「ようへいはお兄ちゃん?それとも弟?」
「弟だよ」
「俺も弟がいる」
「ほんとう!?」
「会ったことないけど」
お話しが終わったらこうへいくんはまたくまさんとおしゃべりをして俺のことを見てくれなくなってしまう。そう思って俺は弟のことを話した。うそじゃない。一緒に住んでいないし、一回も会ったことないけど、俺には弟がいる。お父さまとおっ母じゃないおっ母の子どもで今はお父さまと一緒に暮らしているらしい。おっ母とおばあちゃんが夜にお話ししているのをこっそり聞いたことがある。
「俺もようへいとまだ会ったことない。会いたいねえ」
「うん」
これはうそだ。会いたいわけでも、会いたくないわけでもない。もし会ったらどうしていいかわからなくて困ってしまうだろう。こう言えばこうへいくんはもっとお話ししてくれると思ったから。
「俺とひゃくのすけくん、いっしょだねえ」
「いっしょだね」
こうへいくんが真っ黒いおめめで真っ直ぐ俺のことを見てくれる。俺の胸はたくさんドキドキした。もっとずっとこうへいくんとお話ししたい。
「こうへいくん、俺とおともだちになろうよ」
「おともだち?」
こうへいくんが首をかくんとかたむけた。
「でも、俺、ようへいがいるから」
こうへいくんはお茶碗のおててでくまさんをぎゅっと強くだっこする。こうへいくんとおともだちになりたい。こうへいくんのおめめに俺のことを見てほしい。俺じゃだめなのかな。こうへいくんになんとか「うん」と言ってほしくて、俺はこうへいくんにしゃべり続けた。
「ようへいくんは兄弟でしょ?俺とはおともだちになろうよ」
「そっか!いいよ!おともだちになろ!」
俺がお箸の方のおててを出すと、こうへいくんはおててがない方の棒みたいなおててを前に出す。俺がこうへいくんの棒のおててを握るとこうへいくんはぶんぶんと振った。
「よろしくね、こうへいくん」
「よろしくね、ひゃくのすけくん」
こうへいくんが真っ黒なおめめにたくさんのお星さまをキラキラさせて俺を見てくれるのが嬉しかった。
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