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名前は灰となりて

ふらふらとした足取りで山を登る一人の男。
ボロボロに汚れた白衣は風に靡くと、力なく受け入れ揺らめいた。人気のない山道を歩き、たどり着いた先には深い深い闇が続く大穴がある場所へたどり着いた。

「…。」

一歩、一歩と足を前に動かし闇へ近づく。ゴオゴオと穴から噴き出る風が自分を拒むかのように全身に体当たりしてくる。しかし、今更街に戻ったからといってなんだ。自分には元から居場所なんてなかったではないか。
今更躊躇う理由などない。
心に過ぎるは死への恐怖だろうか。闇への畏怖だろうか。
どちらでも構わない。過去の痛みに比べれば小さく、どうってことない存在だ。

「もう神に祈らなくていい」

一歩

「もう家に引き籠もらなくていい」

一歩

「もう誰も僕の事を化け物だと呼ばない」

風が強くなる。心臓が忙しなくなっていく。手に汗がじっとりと濡らしていき、肺が苦しくなる。死への歩みがこれ程困難なものとは。
しかし、歩みを止めない。止めてはいけない。
決意を胸に僕は、俺は、闇へ落ちた。

一瞬だけ見えた地上の空はひどく綺麗で、輝いていて、最期に見るものが星空だなんて、ほんと馬鹿らしいな。



そこから先の記憶はない。

「そう…貴方は自分が穴に落ちる前の記憶がないのね。」
「はい……自分の意思で落ちてきたのは分かるんですが、何があったのかはさっぱり…。」

穴に落ちて倒れてからの俺はどうやら記憶を失ってしまったようで遺跡を見にきたトリエルと名乗った女性に匿ってもらい今こうして共にバタースコッチパイを食べている。
暖かい部屋に、いい香りのする紅茶とパイで迎えられ困惑はしたが、彼女から溢れる善意に押され受け入れてしまった。
彼女が自分のことに興味を示してくれたので出来る限り、覚えている事を話したがどこから来たのか、なぜ落ちてしまったのか、落ちてくる前はどんな事をしていたのか。何もかもあやふやな状態となっていた。
話し終えた俺はフォークでパイを切り取り差し、口に運ぶ。ふわりと変わるバターの香りが自分の中にある子供心を刺激した。

「それでは貴方は地上の帰る場所が分からないのね。」
「そうですね、多分思い出したとしても帰りたいとは思わないでしょう。残っている記憶ではあまり…地上に良い印象はなかったようなので。」

僅かに残っている人間へのマイナス感情までは落ちなかったようで錆のように自分の心を蝕んでいるのを感じる。余程の事があったのだろう。
知りたい反面、恐怖反面。ここまでこびりついた感情だ、思い出して心が保っていられるのかは自信がない。
寂しそうな顔をするトリエルを見て俺には理解できなかった。
別に自分のことではないのにどうしてそんな表情するのか。
首を傾げながらも白砂糖をスプーン一杯分入れた紅茶を流し込む。様々な花の香りがするそれは彼女の嗜好だろうか。
カップの中にあった液体を飲み干し一息つく。トリエルからお代わりを聞かれたが断った。今はただ自分の事を探すのと、自分が何故この世界に来たがっていた理由を知りたいからだ。
あんなに距離がある穴に自らの意思で落ちてきたんだ。この世界には自分が求めていた何かがあるに違いない。

「ここから出てしまうのね。」
「ごめんなさい。俺、自分の事探したいから。」
「…ええ、わかりました。この先階段を降りてまっすぐ行くと扉があります。ですが、外のモンスターたちは貴方のような人間を殺すために狙ってくる者もいます。会ったらすぐ逃げるのですよ。」
「ありがとうございますトリエルさん。」

一礼して、階段を降りて扉の前に立つ。
ここから先はトリエルが助けてくれない。人間がいない、モンスターたちの世界。一体どんな景色が広がっているのか。
扉を潜り歩みを進めると頬に冷たい何かが触れた。

「…?」

それは水のような液体となり直ぐに消えた。辺りを見渡すとそこは白の世界だった。
木の上に積もる白いふかふかのもの。地面にもそれはあって、踏むと自分の靴の形になって残った。昔書物で見た寒い地域でしか降らない「雪」という物だろうか。
この地下世界で雪が降っているのか、しかも瞬間的な物ではなさそうだ。いったいどういう原理で起きているのか…。

サクサクと足音を立てながら雪道を歩いていく。人気を全く感じず本当にモンスターでもいるのか疑問に感じ緊張が緩くなっていく。もしモンスターに会ったら話をしてみようか、トリエルのように人間に対して友好的な奴もいそうだし。そしてこの地下世界の事を色々聞いてみようか。…まあ、話が通じる相手に当たれば良いんだけどな。

何も考えずに進んでいくと背後に何か生き物の気配を感じた。
殺意とか嫌なものは感じない。もしかしたらトリエルと同じ、友好的なやつかもしれない。
後ろを振り向くとそこには自分より半分ほどの身長をした骨がいた。それもただの骨ではない。スケルトンだ。更にそいつは青のパーカーにゆったりとしたズボン、こんな寒いのに靴ではなくスリッパを履いている。
骨だから寒さを感じないのか?じわじわと溢れてくる疑問があるが、そんなことお構いなしに骨の男?は話し出した。

「アンタ、人間か?」
「えっと…そうだけど。」
「ほぉ…それは珍しいな。ここは寒いだろ、この先にスノーフルという街がある。そこなら温かいコーヒーやケチャップが飲めるぜ。」

コーヒーはわかるが何故その選択肢の中にケチャップが入ってくるのだろう。あれは調味料であってそのまま摂取するものではないはずだが…。
だが好都合だ。こうも二連続で人間に対して友好的なモンスターに会えるとはラッキーだ。

「それは良い話だが…君は人間の敵か?味方か?」
「へへっ、それはアンタ次第だ。それでスノーフル行くかい?良ければ案内するぜ。」
「好都合だ。是非とも案内して欲しい。ここに落ちてきたばかりでね、この世界のことはさっぱりなんだ。」

ああ、良かった。いいスケルトンじゃないか。本当にラッキーだな俺は。
警戒心なんて持たずに素直にスケルトンに着いて行くと突然目の前には知らない部屋が広がっていた。
部屋の中にある謎の竜巻、ど真ん中にランニングマシンに脱ぎ捨てられた靴下たち。
今、俺、外にいたんだよな?
咄嗟に背後にあった扉のノブに手をかけたが鍵がかかっているのか素直に開いてはくれなかった。

「おっと。出る場所を間違えたみたいだ」
「なんで、俺、あれ?」
「オイラ近道が得意でさ。こうしてやってみたんだがまさかまさかのオイラの部屋に繋がってしまうとはな。ははっ」

連れてきた本人はあっけらかんとしており、この状況に対して全く焦ってる様子はない。俺とは対極的な反応だ。つまり、本人は意図的にやったのか、それかこういうのが日常茶飯事で起きてしまうのか。
悩んでいても仕方ない、突破口は一つ。

「それで、スノーフル?という街には着いたのか?」
「ああ、着いてるぜ」
「それは良かった。ならこの部屋から出してくれ」
「あー……それはダメだ」
「何故?」

その時一瞬スケルトンの目が青く光ると俺は部屋の奥にあるベッドに叩きつけられた。何も触れられず、突然身体が浮いた。本当に突然の出来事で受身も何も取れずなすがままにされた。
叩きつけられたと思えばくしゃくしゃに丸まってたはずのシーツが俺を覆い被せ視界を遮ってきた。
もう意味が分からない。頭が状況と理解のたいして全く噛み合わない。このスケルトンまさか悪いやつだったとか。俺まんまとハマってしまったのか。心臓が破裂しそうなほど速く打っている中突然部屋の扉が勢いよく開く音が聞こえた。

「サンズ!こんな所にいたのか!」
「ああ、どうしたんだそんなに慌てて」
「どうしたもない!またパズル作るのサボっていただろ!」
「へへっ。今いい感じのが出そうなんだって肋骨あたりまで出てきているんだ。今までで1番良さそうなのが出てきそうさ…肋骨の10番目あたりまで来てるぜ」
「全然出来てないじゃないか!ちゃんと作らないとニンゲン捕まえられないんだからな!」

ニェッヘッヘッという不思議な笑い声をしたなにかはあのスケルトンに言うだけ言って部屋から出て行ったみたいだ。遠くから「あと靴下はちゃんと洗濯してよね!」っていうのも聞こえた。ああ…常習犯なのか……。

しかし、人間を捕まえると言ったかあいつ。やっぱこのスケルトンも共犯か!トリエルの言ったとおりだ…悪いやつもいるんだな……。
思考をぐるぐる回していると突然視界に光が入る。俺をベッドに叩きつけたスケルトンがシーツを捲ったみたいだ。

「悪いな、突然吹っ飛ばして。綺麗に布団に吹っ飛んだな。」
「…。」
「おっと、ジョークは嫌いか?」
「そうじゃなくて……お前は…人間を、俺を捕まえるのか?」
「ああ…いや?オイラはそんなことしないぜ。さっき来たパピルスはそう言ってたがな。安心しろ、痛ぶるようなことはしないさ。」

ヘラヘラ笑うスケルトンに対してまだ若干疑念が残ったままだが人間を捕まえると躍起になってる奴から隠してくれたからやはり……いいやつなのか?
考えが上手くまとまらない。
でもこの地下世界に来て外に出て二番目に会ったモンスターだ、出来ればちゃんと友好的な関係を築きたい。…向こうがどう思うか知らないけど。

「そうか……あ、そういえばお前の名前聞いてない。」
「サンズだ。アンタは?」
「俺は、俺……は……」

あれ?そういえば名前はなんだったかな。
落ちてくる直前の記憶はあるのに、肝心な名前を思い出せない。言葉詰まり、戸惑ってる俺にサンズは変わらずヘラヘラ笑っていた。

「思い出せない、っていうやつか。」
「ああ…ここに落ちてから記憶が無いみたいなんだ。」
「それは随分、不便な話だな。」
「名前が無いんじゃ呼びにくいよな。」
「…一応仮の名前で良いんじゃないか?nameless(名の無い者)とか。」
「そのままだな…まあ、それで良いか。実際そうだし。」

自由に動く身体を起こしてベッドから降りる。勢いよくベッドに叩きつけられたはずなのに不思議と身体は痛くなかった。どういう原理で飛ばしたんだか。この世界には魔法でもあるのだろうか。
立ち上がった俺を確認するとサンズは部屋の扉の前に行き、開きっぱなしの入口を通っていく。その先は先程の白の世界ではなくただの廊下だった。

「温かいコーヒーでも飲みに行こうぜ。いい場所があるんだ。」
「……今度は近道無しにしてくれよ。」
「へへっ」

今度はちゃんと階段から降りて家を出て、白の街、雪の街スノーフルをちゃんと見れた。
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