第八章 邂逅〜運命の一頁〜




「ようこそ、中原中也君。ポートマフィアへ」



ポートマフィア本拠点ビル最上階の執務室で森は微笑み乍らそう云った。通電遮光され、外の見えない窓の所為で部屋は薄暗い。


「お招きにあずかり光栄だぜ」


その部屋の中央で森と向かい合うようにして中也は楽しそうに笑っている。中也は拘束されていた。両手に手錠、両腕に革の拘束具、両脚に船舶牽引用の大型鎖、足首に建築工事用鉄鋼ワイヤー、拳に鋼鉄の枷。そのうえ、胴体は背後に立つ男の異能力による亜空間拘束によって取り囲まれている。


「昨日は大活躍だったそうじゃあないか。うちの部下達を相手に八面六臂だったとか。流石は《羊》の長だけはある」

「それも邪魔が入って台無しだ。残念だぜ」


ポートマフィア首領を前にして余裕の表情で答える中也。


「尤も、俺をこうやって呼び出した理由もそれ絡みだろ?あの時の黒い爆発……黒い炎の《荒覇吐》について」


その時、入口の扉が叩音も無しに開き「どーも、お邪魔します」と呑気な声で太宰が入ってきた。


「やあ太宰君、待っていたよ」


「あ!お前あん時の枯れ木小僧!」

「はいはい。今日も元気だねぇ。僕なんか見ての通りの大怪我なんだけど。その活力は成長期かな?それとも脳みそと身長にいく栄養が元気さの方にいっちゃってるおかげ?」


太宰はギプスで固定されている右腕を見せ乍らまるで呼吸するように中也をおちょくる。


「身長の話はするんじゃねぇよ!」

「判った判った。まあ確かに、他人の身体的欠点をあげつらうのは品位にかけていたね。もう二度と云わないから許してよ、ちびっこ君」

「てんめえ!」


止まらない口喧嘩に森は「はいそのへんで」と手を叩く。そして本題へと入る為に中也を拘束していた男、蘭堂に席を外して貰うように頼んだ。


「首領、それはお勧め出来ぬ事。この小僧は危険……」

「手は考えてある。それに蘭堂君、いつもより寒そうだよ。大丈夫?」

「恥を承知で申し上げると、凍えて死にそうで御座います……」


蘭堂の言葉に中也は「寒い?こんな季節に、その格好でか?」と眉を持ち上げる。何枚着ているのかと疑う防寒装備な蘭堂はそれでも冷凍庫の中に居るかのような蒼白い顔。


「下がっていいよ」


森のその言葉に蘭堂は後ろで手を組み礼をした後、自分の腕を摩り乍ら部屋を出て行った。


「こんな時期に寒い訳ねぇだろ。ビビっているだけじゃねぇか?」

「あれでもポートマフィアの準幹部にして優秀な異能力者なのだよ、彼は」

「別にどうでもいい。興味ねぇ」

「森さん、そろそろ本題に入ったら?」

「あー、そうだねぇ。中也君、我々ポートマフィアの傘下に入る気はないかい?」

「あァ?」


次の瞬間、中也を中心として床に放射状に亀裂が入った。銃撃戦にも耐える強化床材が砕け、破片が飛び散る程の威力。部屋を揺らす程の振動が響き渡る。それでも、森も太宰も眉一つ動かさず無表情の儘だ。


「まあ、そういう反応になるよねぇ。だが、君の追うものと我々の目的はある程度一致している。お互い提供できるものを確かめ合ってからでも、返答は遅くないと思うが」

「お前達がこの街に何をしたか、忘れたとは云わせねぇぞ」

「先代の暴走か…」


森は深い溜息混じり重々しく呟いた。


先代の暴走。


横浜一帯を長く暴虐と恐怖に陥れた《血の暴政》は誰の記憶にも未だ新しい惨劇だ。処刑された死者の数は千人を下らない。夜の暴帝と、その死兵。それがポートマフィアの代名詞だった。


「だが、その先代も病死した。最後は私が看取った。もし、かの暴帝が復活したなどという噂があるなら、その真相を確かめねば君達も不安じゃないかな?」

「だとしても、お前に顎で使われる理由にはならねぇよ、町医者」


鋭い瞳で森を睨む中也。それは一番信用ならない者を見る目。


「アンタに関しても良くない噂が出回ってるぜ。本当は先代は病死ではなく、アンタが殺したんじゃないかってな。たかが専属医に首領の座を譲るなんて遺言、信じられる訳ねぇからな。違うなら違うって証明してみろよ。アンタが死神の地位を欲した権力欲の権化じゃねぇって事を、今ここで証明出来んのかよ?出来ねぇだろ?」


証明はできないねぇ、と肩を竦め、そして、冷酷な瞳を中也に向けた森。


「何故なら、先代は私が殺したからだ」


部屋の温度が数度下がった。太宰は面倒臭そうに額に手を当てて溜息を吐き出している。反して、中也は目を瞠って言葉を失っていた。


「かの偉大なる先代首領の喉を手術刃で切断し、病死のように偽装した。
____それがどうかしたかね?」


淡々と冷静な声で告げた森。先程までとは別人と思えるほどの気配。それは無敗の中也でさえ気圧される程。


「…マジかよ」


中也は額に冷や汗を垂らし乍ら硬い声で呟く。そして、森は冷酷な瞳を和らげて優しい笑みを作った。


「中也君、傘下に入れと云う先程の言葉は撤回しよう。代わりに、共同調査を申し出たい。我々が調べた先代復活の噂と、君が追う《荒覇吐》は明らかに同根の事件だ。情報を分け合うだけで、互いに利ある結果をもたらすと思うのだがね?」

「……もし断ったら?」

「殺す」


森は当たり前のような口調でそう云った。


「尤も君を殺すのはマフィアでも骨が折れるだろう。だから君の仲間を、《羊》を全員殺す。どうかな?」


中也の拘束具が凄まじい音を鳴らし乍ら全て弾け飛んだ。その勢いのまま鎖や鋼鉄製の拘束具が壁や天井に減り込む。


「ぶっ殺す!」


森目掛けて飛んだ中也。
一瞬で森との距離を詰め右拳を叩きつける。



だが、その拳は直前で止まった。



微笑む森の眼の前で、振り抜かれる寸前に停止した拳。その拳の前に森が黒い通信機を掲げている。


そして、中也の首に当てられた銀色の短刀。


中也は視線だけを横に移した。


首に刃を当てているのは擂鉢街で突然乱入してきた少女。オッドアイの瞳は飾り物のように揺れ動く事はなく、森に危害を与える者に冷たい殺気を放っている。


「(此奴、いつの間に……)」


何時から居た?


先刻まで何の殺気も気配すら感じなかったのに、一瞬にしてその場に居た少女に中也の額から冷たい汗が流れた。



そして、耳に届く雑音に混じる声。


〈おい中也、助けてくれ!其処に居るんだろう?ポートマフィアに捕まっちまった。お前ならなんとか出来るだろ!いつもみてえに____〉


そこで途切れた通話に中也は拳を震わす。だが、それを動かす事は出来ない。


《羊》という組織は銃で武装していても中也以外は唯の子供。拘束する事などあまりにも容易い。


「同じ長として心中察するよ、中也君。強大な武装組織である《羊》がその実、絶対的な強さの王と、それにぶら下がり依存するだけの草食獣の群れだったとはね。組織運営に関しては、如何やら私が君に助言出来る事の方が多そうだ」


森の言葉に中也は歯を食いしばり、拳をゆっくりと下ろした。その的確な判断に満足そうに笑みを溢した森は中也の首に短刀を当てる少女に視線を向けた。


「君もそれを下ろしていいよ、ルナちゃん」


中也の首から短刀を離し、森の横に人形のように立ったルナ。そんなルナを中也は暫く見据える。


「とまあ、この通りだよ太宰君。今この部屋で一番強大な暴力を持つのは中也君だろう。だがマフィアにとって暴力とは指針の一つに過ぎない。マフィアの本質は、あらゆる手段で合理性を操作することだ」

「如何してそんな教訓を僕に教えるの?」

「さて。何故だろうね」


太宰の問いに曖昧な返事をした森。そして、二人の会話を黙って聞いていた中也は行動には移さず、代わりに口を開いた。


「情報を交換してやってもいいぜ。だが、手前等から先に話せ。判断はそれからだ」

「いいだろう」


森は頷いて、此方の目的を話す。死んだ先代が現れたという噂について。それは半月で三回、いずれの目撃情報も擂鉢街付近である事。そして、四回目は、太宰達の前に現れた黒い炎であった事。


「死者は蘇らねぇ」


鋭い視線で暫く森を睨んだ後、それだけ云った中也。


「私もそう思う。だが、そうも云っていられなくなった」


重い溜息を吐いて、森は映像端末の釦を押した。薄ぼんやりとした光を放つ映像に映し出されたのはポートマフィア内にある金庫室。その監視映像だ。首領執務室と並んで最も侵入が難しい場所の一つ。


そして、そこに現れた黒い影。黒い襤褸を纏った老爺。瞳に狂気を宿した、夜の暴帝、先代首領が其処に居た。


〈儂は蘇った。地獄の業火の中から。何故か判るか、医師?怒りじゃ。そして奴は怒りを喰らう。奴は儂を地獄より呼び戻し、更なる怒りを生み出させる腹積もりよ。強大な力を持つ神の獣、黒き炎の《荒覇吐》。奴の望み通り、儂はここで復讐を果たし、更なる怒りを振りまく。儂を殺した者よ、震えて眠れ〉


その場は燃え上がり、映像が黒く途切れる。
暫く誰も口を開かなかった。


だが、その沈黙を破ったのは「以上が監視記録に残された全内容だ」と云う森の声。



執務室を固く閉ざしていた通電遮光が動き、横浜の街を見渡せる窓硝子が現れる。森は立ち上がりその窓の前に立った。


今のところはこの映像を知るのはごく一部で、森は対策として箝口令も出している。だが、それもこの映像を他の場所で上げられたら無駄。先代の死因が病死ではなく暗殺だと先代派に確信されれば組織内の三割が森の敵に回るだろう。勝っても負けてもマフィアは壊滅的な打撃を受ける事は免れ無い。


「中也君。君は最初に太宰君と会った時、《荒覇吐》について質問したそうだね?荒覇吐とは何者だい?」


その問いに中也はポケットに手を入れ乍ら話し出した。擂鉢街と《荒覇吐》の事を。



擂鉢街とは《荒覇吐》によって出来た街である。噂では八年前、捕虜となった敵の海外の兵士が租界近くにある軍の秘密施設で拷問を受けた。その怒りと恨みが荒神である《荒覇吐》を呼び起こし、黒い炎がこの国の軍人を施設ごと吹き飛ばしたのだ。その爆発が擂鉢街が出来た原因。


中也の話を聞いて暫く顎に手を当てて考えた森は、ふむ、と呟いた後、太宰へと視線を向けた。


「太宰君、君に指令を出す。今の映像と同じ事を先代派の前でやられる前に、犯人を見つけること。いいね?」

「時間がなさそうだけど、それ僕一人でやるの?」

「一人じゃないよ。そこの中也君にも手伝って貰いなさい」

「「はあ!?」」



二人して同時に叫んだ太宰と中也。そしてゴングが鳴り響いたかのように始まった少年達の云い争い。


「厭だよ絶対!何でこんな奴と一緒にやらなくちゃならないのさ」
「何を云ってやがんだ手前!張っ倒すぞこの餓鬼が!」
「餓鬼は君も同じだ!大体僕よりチビなくせに!君はもっと牛乳を飲んだ方がいい!」
「余計なお世話だこの野郎!俺は15歳だ!これから伸びんだよ!」

「二人共黙りなさい」


止まらなくなった喧嘩を鋭い声で制したのは森。その声に流石に二人は黙った。


「中也君、自分が命令を拒める状態にない事は判っているよね?太宰君もだ」


うっ、と言葉に詰まった中也は舌打ちを溢し、逃げるように視線を森から外した。


そして、肩を飛び上がらせて驚いた。その動きは焼けた鉄板を踏ん付けた時の様。中也が驚いた理由は、視線の先にルナがいたからだ。あまりにも気配が無いので忘れていたが、先程から同じ場所に前を見据えた儘立ち続けている。流石に気味の悪さを感じた。



何処を見ているのか判らないが、瞬きすらしていないのではないかと云う程ピクリとも動かない。まるで人形のようなルナを無意識に中也はずっと見据えていた。


「彼女の事が気になるのかね?中也君」


森は中也がルナを見ている事に気付いて、微笑み乍ら中也にそう問うた。その問いにバッと森に視線を戻した中也は「は!?違ぇよ!」と焦りの色を浮かばす。にこにこ笑顔の森。それを見て、異常に反応してしまった自分自身に気付き、中也は舌打ちをした。


「よし!ルナちゃん、君も彼等と一緒に行動しなさい」


閃いたと云う様に人差し指を立てた森。その言葉に反応したのは太宰。


「……なんでルナを?」


森は太宰に視線を移し先程と変わらない笑みを浮かべる。


「偶には彼女にも経験が必要だと思ってね」

「何の経験?」

「さあ?何だろうね」


自分で云ったくせに答えない森を睨み付けた太宰は軈て諦めたように溜息を吐いた。そして、未だに動かないルナへと視線を向ける。彼女は太宰の方を見るわけでもなくただ人形のように森に視線を向けていた。


「ルナちゃん。今後、彼等と行動する時は太宰君の命令に従うように。いいね?」


森のその言葉にルナは微かに首を縦に動かした。その返答に満足そうに頷いている森を見据え、太宰は「僕等を組ませることの最適解は何?」と問い掛ける。


「理由は幾つかある。まずポートマフィアでない人間の方が聴き込みが容易だ。それに中也君が裏切らないようにするためには監視が必要だが、それは太宰君の異能無効化とルナちゃんの戦力が適任だ。そして……、ふふ、あとは秘密だ」



森は何かを見据えるように小さく微笑んだ。






*




太宰と中也が相手の道行きを邪魔し乍ら歩き去っていく様子を森は静かに見守る。


だが、彼等の後に続こうとしたルナを一人呼び止めた。ルナは振り返らずに足を止めただけだったが、構わずに続ける森。


「先刻の中也君が話した噂……。
まるで、“あの時”とそっくりだとは思わないかね?」

『………。』



沈黙。


森はルナの返答を待っている訳ではない。
そして、ルナも答える心算はなかった。



何も云わずに歩き出したルナの背中を見つめ、森はふっと苦笑を溢した。



そして、視線を再び横浜の街に戻し____、



「何か、変わるかもしれないね」



と、呟いたのだった。






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