第七章 快楽は毒なり薬なり





何度か階段を降りて辿り着いた地下室。
薄暗く金属の匂いが漂う場所は宛ら地下全体が巨大な金庫のようだった。


「この何処かにDOPが保管してあるのか?」

「恐らく。先に進みましょう」


スタスタと歩いて行く久坂の背中を見て俺はその後に続く。薄暗い地下でも久坂が着ている白衣はぼんやりと光っているようにゆらゆらと揺れた。


「前も思ったが、意外と手前は肝が座ってるよな」

「そうですか?」

「嗚呼。普通女ってのはこう云う場所が苦手なもんだろ?」

「中原幹部はこう云った場所で怖がる女性が好みですか?」


立ち止まって振り返った久坂が笑みを浮かべる。自然と俺も足を止めた。此奴はよくその手の話題を俺に振ってくる事が多い。俺の好みを知って如何するのか判らねェが。


「別にそうじゃねェよ」

「中原幹部は私の事どう思いますか?」

「はァ?」


意味の分からない問いに片眉を上がる。久坂はずっと笑顔のまま俺を見て、体を此方に向けた。


「私はいい女に見えますか?」


自身の胸に手を当てた久坂。
薄暗い場所で赤い唇が弧を描く。


久坂の笑みは世の中の男には好まれそうだが、何処か違和感を感じる時がある。その違和感の正体は恐らく目だ。笑っている口元とは違い、目は何処か違うところに微笑みかけているような気がしてならない。


「訳分かんねぇ事云ってねェで行くぞ」


その問いを振り切るように久坂の横を通り過ぎて進んだ。答えなかった俺にそれ以上久坂が話しかけてくる事はなく、地下には二つの靴音が辺りに響いた。


無意識に速足になる。脳裏には先程の監視映像に映ってたルナとあの男の姿がチラついてむしゃくしゃと苛立ちが募る。


疾くDOPを見つけて、ルナの元に行かなければ。彼奴は色仕掛けなんてものに慣れていない。限度を知らず、情報を訊き出す為に無茶をするかもしれねぇ。



____無事でいろよ、ルナ。



暗い地下の道が続く中、傍にいてやれない俺はそう願わずにはいられなかった。




**






ルナの手から落ちたグラスが柔らかい絨毯の上を転がる。


自身の手を見つめるルナを見て蓬莱は口元に卑劣な笑みを浮かべた。そして、徐にルナの両手首を掴み、寝台の上に押し倒す。二人分の重みで寝台がギシッと音を立てた。


「貴女は美しい。貴女を一目見た時私はそう思った。故に欲しくなりました。喩え、どんな手を使ってもね」


ルナの上に跨る蓬莱は熱の孕んだ瞳でルナを見下ろす。抵抗する力が弱いルナの手から蓬莱が両手を離した事で自由になったルナ。それでも、ルナは動かなかった。指の先までまるで金縛りにあったかのように動かす事が出来ない。


「動けないでしょう?先程貴女が飲んだ水には麻痺毒が入っていましてね。ですが、死にはしません。だから、安心して私に犯されて愛されて下さい」


薄気味悪い笑みを浮かべた蓬莱がルナのドレスに手を掛ける。右肩のリボンを解き腰辺りまでドレスをずり下げられれば、蓬莱の前に下着と白い胸が晒される。


『…な、んで、こんなこと』


震える唇でルナは言葉を発した。掠れた声を聞いて胸に伸ばしていた手を一度止めた蓬莱がルナの瞳を覗き込む。ルナの瞳には呆れたような顔をした蓬莱が映った。


「貴女は“快楽”と云うものが無償で手に入るとお思いですか?」

『かい、らく?』

「そう“快楽”。官能的な欲望の感情。それに一番近いものが性です。快楽を求めて人は性を欲しますが、それは常に得られるものではない」


しかし、と蓬莱はそこで言葉を止めて自身の懐からある小袋を取り出した。


そこには白い粉末。


『…DOP』

「矢張りご存知でしたか。横浜の闇を取り仕切るポートマフィアなら知らない筈はありませんよね。これは又の名を“快楽の夢”と云い、その名の通り摂取した人間に快楽を与える麻薬です。快楽を与えると云っても一時的な作用は媚薬みたいなものです。体は欲情し、それを解消するまで快楽は手に入りません」


つまり、一度性欲を満たさなければ意味ないと云う事か。樋口を襲った黒服の構成員が苦しんでいたのはまだ“快楽”を手に入れてなかったのが原因だろう。


「ですが、人間とは愚かな生き物です。一度“快楽”を得ればまた欲しくなる。DOPを摂取し、欲を満たす快楽は中毒症状のように止まらない。それを繰り返す内にDOPの毒に精神と肉体が蝕まれて、軈て死ぬ」

『あなたが、DOPを横浜に持ち込んだの?』

「麻薬商売は金が入る。財力は権力の象徴ですから。それが手に入れば何に手を染めても許されるのです」


目的は、金?



蓬莱は黙ったルナを見据えて口角を上げ、手に持っていたDOPの小袋を床に放った。その行動を不審に思うルナ。てっきり無理矢理飲ませられるかと思ったのに。


そんなルナの思考を読んだかのか床に放られたDOPに目を向けるルナの顎を掴んで無理矢理視線を合わせた蓬莱は顔を近づける。


「DOPは素晴らしい麻薬だ。だが、あの毒に魘された者の快楽に歪む顔はどれも似たようなものでね。少々飽きてしまったのです。だから、貴女には私の手で快楽を与えて差し上げます」


ルナの胸に男の手が触れた。そのまま弾力を愉しむかのように握られる。動かないルナをいい事に蓬莱の片手はドレスの裾を捲り上げて太腿をスルリと撫でた。全身に鳥肌が立つ。気色悪い手の感触に犯される最中、ルナの頭を過るのは中也の姿。


中也は優しくルナに触れる。
何時も耳元で名前を囁き乍ら愛してくれる。
ルナはいつも幸せを感じていた。



けれど、今は如何だろうか?


やろうとしている事は同じ。
だが、違う。

一体何が違うと云うのか?


答えは案外明白だ。


ルナは空虚な瞳で息を荒げ乍ら下半身を擦り付けてくる目の前の男を見遣った。




その答えは_____、此奴が中也ではないから。





ルナの脚を開かせてその間に体を沈めた蓬莱は
好きでもない男に無理矢理犯されて一体どんな顔をしているのか、と心を昂らせてルナの顔を覗き込んだ。


絶望しているだろう。


そう思った蓬莱の瞳に映ったのは、何の感情もないルナの顔。


冷たい瞳が蓬莱を見据えている。


蓬莱の喉から乾いた呼吸が出た。




その瞬間_____。



「かはっ」



ルナの白い肌とドレスに赤い血が降りかかった。








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