第七章 快楽は毒なり薬なり




執務椅子に座る森の前にはにっこにっこ笑顔のルナと俯き加減に視線を逸らす中也。


「仲直り出来たみたいで良かった。だが、次からはもう少し穏便にしてくれ給え。君達が暴れると拠点が吹き飛びそうだから」

「申し訳ありません…」


頭を下げる中也の隣でルナはずっと輝かしい笑顔だ。まるで釣られた魚が水中に戻った時のような生き生きさを感じる。これはただ単純に中也不足解消を果たした故である。


『それで首領、呼び出した用件は?まさか説教する為だけに呼んだ訳じゃないでしょ?』

「確かにその通りだよ」


射通すように瞳を光らした森は執務机の背後にあるスイッチを押した。街を一望する窓硝子が通電遮光されて灰色の壁面へと変わる。薄暗くなった室内で森は指を組んで、目の前の二人を見据える。


「単刀直入に云おう。DOPを横浜に持ち込んだ犯人らしき人物を見つけた」


ルナも中也も森のその言葉に表情を消した。やっと辿り着いた犯人の糸口。一体、どんな奴か。


『如何やって犯人を見つけたの?』

「黒蜥蜴が生捕りにした捕虜がいただろう?彼が吐いたのだよ」

「奴の容態は治ったんですか?」

「喋れるくらいにはだがね。久坂君が体内に入った麻薬を解毒する薬をくれたおかげだ。まあ、DOPの解毒薬ではないが、気休めに試したいと。流石は秀才エリート研究者だ」

「久坂が…」

『チッ』


感心の表情をした中也の横で、ルナは腕を組み乍ら舌打ちを零した。先程の笑顔は何処へやらの眉間に皺を寄せる不機嫌顔である。


「その捕虜が云うには、頭目が或る男からDOPを買っていたそうだ。密輸業者とは違って、その男はDOPがどんな薬なのか知ってたが、頭目には“快楽を与える薬”とだけ伝えて麻薬の類であるとは教えなかった」

『だから、その麻薬が精神を壊すだけでなく、命を削る毒薬であるとも知らず、組織全体が自滅した…、と』


顎に手を当ててそう云ったルナに森は頷く。今迄、DOPを手にした者は誰もその薬の詳細な作用を知らなかった。ただ、“快楽を与える”と云う事だけを知らされ、それに手を伸ばした。それが体と精神を蝕む毒だとは知らずに。だからこそ、DOPの詳細を知り、それを売るその男こそ今回の犯人なのだろう。


「…その男と云うのは?」


中也の問いに森は机の上に裏返しに置かれた葉書程度の紙を一枚持ち上げた。そこに写るのは一人の男。写真からでも判る質の良い生地のしっかりとした外国製の背広を着ていて、整えられた黒髪を後ろに流している。写っているのは横顔だが、秀麗な顔立ちをしている事は判った。


「この男の名は蓬莱健介。黒社会でも有名な国際外交戦略家だ。日本人だが生まれは欧州。一年に何度かは日本に訪れていて、その度に招宴会パーティーを催している。そして、今現在彼は日本にいて今夜招宴会が行われるらしい」


ルナは厭な予感がした。口の端の筋肉が勝手に動き出しそうなのを何とか耐える。だが、それを知ってか知らずか「そこで」と森は写真を人差し指と中指で挟んでピラピラと揺らし乍ら笑みを浮かべた。


「君達二人にはその招宴会に出席して貰いたい。ルナちゃん、勿論君はポートマフィア首領である私の娘として、ね?」

『うっげぇー』


最大に顔を歪めたルナのそんな声が部屋に響いた。



**



蓬莱健介が主催の招宴会に出席する事になったルナは急遽、森にある部屋に連れてかれた。そこに居たのは紅葉。相変わらず美しい笑みを浮かべて「漸く来たか」と腰を上げた。


「それじゃあ宜しく頼むよ紅葉君」


とルナを部屋に押し込み、それだけ紅葉に告げて部屋を出て行った森。


「却説、ルナ。このドレスに着替えよ」

『姐さん、いきなり連れてこられてそんな物着ろと云われても着る人はいません』

「しかし、招宴会に行くのじゃろ?」

「潜入捜査の一環です。私は暗殺者らしく影からやりたいのに」


はぁぁ、と溜息を吐いたルナ。だが、仕方ない。今回は犯人である蓬莱健介を殺して終わり、ではないのだから。DOPの保管場所、解毒薬、そして、目的。全ての情報を手に入れなくては麻薬の拡散を完全に防ぐのは難しい。


しかし、だ。何だそのドレスは。リボンやらフリルやらの装飾がこれでもかと付いている。何処のゴスロリ風ファッションだ。


『一応、聞きますけどそれを選んだのは?』

「あのロリコンじゃ」

『頭痛がする』


自分の趣味を私に押し付けないで欲しい。まあ、このファッション自体が首領の趣味と云う訳ではないが。今頃、締まりない顔をし乍らカメラを取りに戻っている首領の姿が目に浮かぶ。云っておくが、私は幼女ではない。正真正銘の二十歳だ。つまり大人だ。


「ふふ、思い出すのう。昔はよく其方はこの様なドレスを鴎外殿に着せられとったわ」

『黒歴史ですそれ』

「厭な顔なんぞ一つもせず、云われる儘にドレスを着ていたの」

『……服なんて如何でもよかっただけ』


服以外も…ポツリと呟いたルナは俯いた。その様子のルナを見て紅葉は悲しそうに瞳を揺らした後、苦笑した。


「すまんの、しんみりさせた。話を戻そう。これが厭なら別の物を選ぶと良い。幸い此処には他にも沢山あるからのう」


紅葉は手に持っていたドレスを椅子に放って、カーテンを開く。そこには色んなドレスが飾られていた。洋服屋かよ、と顔を顰めるルナだが、実は昔からこの拠点内にはこう云った正装服が保管してある場所がある。数多くの企業を傘下に持つポートマフィアなら考えられない話でもない。


私は諦めてドレスを選ぶ事にした。ドレスは正直嫌いだ。派手って事もあるが、何より動き辛いから。だが、これも任務の為だと思えば……。


『あ…』


目に留まったドレス。
美しい青色。
まるで海のような色彩。





「それが気に入ったのかえ?」


ひょこっと肩口から顔を覗かせた紅葉に肩をビクつかせたルナ。無意識にその海のような青色のドレスを手に取っていたのに気付く。


『…うん。似てる、から』


色が…と頬を染め乍ら云ったルナ。一瞬、判らずに首を傾げた紅葉だが、ルナのその表情から何かを悟り、袖口で口元を隠しながら笑った。




*


「ほお、ルナや。よく似合っておるぞ」


自身で選んだドレスを着て、紅葉に髪を弄られたルナ。序でに軽く化粧もされた。普段絶対にこんな格好をしないルナは何だか落ち着かない。


海のような青いドレスは派手な装飾は無いが、シルクの布地に施された小さくて丸い真珠がまるで海面に輝く光の反射の様。晒される左肩とは反対の右肩には蝶を思い起こさせるリボンがついている。腰の括れまでは体の線がはっきりと見え、その下から控えめに広がる裾が静かな波のように繊細だった。


『ね、ねぇ姐さん。私、可笑しくない?よく童顔って云われるからこんな大人っぽいドレスに浮いてるんじゃ…』

「何を云うておる。とても綺麗じゃよ」

『……マフラー付けていい?』

「駄目じゃ」


即答した紅葉はルナの背中を押し乍ら扉の方へ進ませる。そして、扉に叩音した。何故、中に居るのに叩音したのか。外は廊下だ。外からするなら判る。紅葉の不審な行動に首を傾げていたルナだが、紅葉が徐に開けた扉の外へと背中を押し出された。


そして、目を見開く。
同じく目を丸くして驚いている瞳と目が合った。


「ふふ、如何じゃ?ルナが綺麗すぎて言葉も出んのか、中也」


何時もとは違うスーツを着て、赤いシャツに黒のネクタイをしている中也が其処に居た。


紅葉は言葉も出ていない二人を微笑ましげに見つめていたが、廊下の先から此方に駆けてくる人物を見据えて冷めた目を向けた。


「あれ、ルナちゃん?何だねそのドレスは!?私が見立てた可愛いドレ…うぐっ」

「さ、鴎外殿。邪魔者はサッサッと退散するとするかのう」


カメラを両手で持った森の首根っこを掴んでズルズルと引っ張っていく紅葉。ホホホホ、と高笑いし乍らポートマフィアの首領を引っ掴んで去っていく紅葉は流石と云うべきか。




二人きりになった廊下で紅葉と森を無言に見送ったルナと中也。


『えっと…、中也も正装に着替えたんだ』

「お、おう。手前の護衛人ボディーガードっつー役だが…。一応、招宴会だしな」

『そっか、私首領の娘だもんね。なんか首領の専属護衛としては複雑かも』

「……。」

『……何?』


辿々しい会話で上からジッと見られる視線に耐え兼ねたルナが照れ乍らも中也に問う。中也は中也でその問いに「あー、いや」と言葉を濁し、首の裏を掻いた。視線をルナから逸らした中也だが、チラッとルナを見た後漸く口を開く。


「そのドレス、よく似合うな…、手前に」


目を丸くして中也を見上げるルナ。
アメジストの瞳が喜びの色に揺れた。
緩む頬が筋肉を失くしたようだ。


『ありがと。中也も迚っもかっこいい』


素直に言葉が零れる。

嬉しさって不思議だ。



『あ、そうだ中也!私、中也に渡したい物があって』

「渡したい物?」


思い出したように手を叩いたルナが先程の部屋に入って自身の黒外套を持ってきた。手探りでそれを探り、何かの箱を取り出す。


『全然、大した物じゃないけど。はい』


中也はその箱を受け取って蓋を開ける。中を取り出せば、金色の金属が光に反射した。


「何だこれ?」

『時計』

「時計?」

『そう、懐中時計』


にこっと笑ったルナ。何故時計なのか。誕生日でもなければ、何かの祝日でもない筈。中也はルナと時計を交互に見る。ルナは笑顔のまま。如何やら何も云う心算はないらしい。


しかし、時計の蓋を開けようとした中也にルナは慌ててそれを止めた。


『駄目駄目!未だ開けちゃダメ!』

「あ?何でだよ。開けなきゃ時間見えねぇじゃねェか」

『私が居ない処で開けて。なんか、恥ずかしいから』

「時間見んのがか?意味判んねぇ」


眉を顰めた中也だが、ルナがそう云うならとそれを左の胸ポケットに仕舞った。そして、ふと思い出すようにルナに視線を向ける。


「若しや手前、三日前に途中で車から降りたのはコレを買う為だったのか?」

『うん、そうだよ』

「それならそうと云えば良かったじゃねェか」

『だって、折角贈り物するなら渡す迄秘密にしたいじゃん』


腕を組んでそう云ったルナに中也は確かにと思ってしまった。恐らく自分がルナの立場なら同じくそうしていただろうから。



そして、廊下の奥から黒服の男が現れる。二人はその男に視線を向けた。


「ルナ様、中原幹部。車の準備が整いました」


頭を下げた黒服の構成員。
ルナと中也は頷いた。






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