第七章 快楽は毒なり薬なり



久坂がマフィアに来て、疾くも3日が経った。
あまりにも手掛かりが掴めないDOPの情報。
此処まで情報が得られないのであれば闇雲に探しても意味がない。


だが、心配はしていなかった。あの首領の事だ。どんな手を使ってでも必ず情報を掴み実行するだろう。私はその時まで唯待っていればいい。


ルナは数日振りに部屋から出て、横浜の街を駆けていた。あれから中也とも会っていない。心を抉られるような寂しさを感じ乍ら、それでも意を決して外に出た理由は一つだった。


三日前、中也の車から見つけた店。
その店に再び訪れたルナは客を知らせる鈴の音を響かせる扉を開けた。


『小父さん、頼んでた物出来てる?』


カウンターの奥にそう呼び掛けたルナの声を聞いて、慌ただしく奥から出てきた小太りの店主の男。手には頑丈そうな箱を持ってそれをカウンターに置いた。


「はいな、はいな。出来てますとも。これで如何で御座いましょ」


低姿勢の口調で箱の蓋をパカリと開けた店主。
箱の中には金色の懐中時計が光に反射して輝いていた。


ルナはそれを手にとって時計の蓋を開く。カチカチと針を進める時計ではなくその蓋の裏に視線を縫い付け、刻まれた文字にルナは目を細める。


『うん、大丈夫』

「いやいやしかしですねぇ。本来なら金属に文字を刻むには一週間以上はお待ちして頂かにゃきゃなんですがね。それを三日以内に済ませてなんて頼まれるから。いやー久し振りに焦りましたねぇ」


薄毛の頭を掻きながら店主は大口を開けて笑い話しを続ける。


「何てったってこんなお嬢さんがブラックカードなんて出してくるもんだから。こりゃ丁重に持て成さんといけねぇと思いましてね。寝る間も惜しんで作りましたよ。あーいや勘違いしなさんで下さいね。ちゃんと丹精込めて刻みましたともえぇ」


よく喋る店主だな、と思い乍らルナは懐中時計をそっと箱に戻す。蓋を開けたままジッと懐中時計を見詰めるルナを見て漸く店主は大口を閉じた。そして、先刻よりも落ち着いた声で話す。


「その言葉は恋人さんへですかね?素敵なメッセージだと思いますよえぇほんとに。恋人さんも大喜びだねこれは」

『…如何、かな。こんなのあげても喜んでくれないかも』

「まさかそんな事御座いませんて。その時計に刻まれたお嬢さんの想いはちゃあんと恋人さんにも届きますってね。いやーほんと恋人さんは幸せもんだ。なんかこんなジジイでも羨ましくなってしもうたから」


いやっお恥ずかしいねぇ、とペチペチと自分の頭を叩く店主に苦笑したルナは再度時計に視線を落とした。そして、そっと蓋を閉めて大事に懐に仕舞う。


『ありがと、小父さん』

「いえいえ。またのご来店をお待ちしておりますよえぇ」


何度も頭を下げている店主に手を振ってルナは店を後にした。拠点に向かう足が行きよりも軽くなったのは屹度気のせいではないだろう。



**



拠点に辿り着いたルナは早足に中也の執務室を目指す。仕事中でも、邪魔だと云われてもコレだけは今週中、、、には中也に届けなくてはならない。


昇降機から出て長く続く廊下を進む。中也の執務室の扉が見えてきた。久し振りに訪れるそこに嬉しさと不安が混ざりながらもルナは足を運ぶ。執務室が近づく度に手に持っている箱が嬉しそうに中で音を立てている。



あの小父さんが云った通り喜んでくれるといいなとルナが頬を緩ませた時、数米先の扉が開いた。ルナは足を止める。


書類の束を手に執務室から出てきたのは久坂だった。


緩む頰がピシリと糸を張ったように固まる。会う確率はあった。だが、それでもいいからと思った自分は誤算だったようだ。胸の中心から闇靄が呻く声が聞こえる。


久坂もルナに気付き、一度動きを止めたが、何事も無かったの様に此方に歩み寄る。ルナはその場から動かず久坂を見据えるだけ。


「ルナ様、先日は失礼な事を云ってしまい申し訳御座いません」

『…別に』


素っ気ない返事しか出ないのは久坂からの謝罪の言葉に本当に申し訳ないという意が含まれていなかいからだ。


「中也さんに何かご用ですか?」

『(中也さん!?)』


前まで中也の事、“中原幹部”と呼んでいたのにいつの間にそんな馴れ馴れしくなったのか。


『アンタには関係ないでしょ』

「いえ。中也さんは今日もご多忙です。大した用件でなければ、代わりに私が」

『私は中也に会いたいの!!』


久坂の言葉に被せてルナは叫んだ。
数秒、視線を合わせたまま二人は沈黙した。それは最早睨み合いに近い。ルナの鋭い瞳を無表情で見据えていた久坂だが、瞳を閉じて呆れを含んだ溜息を零した。


「ルナ様は子供っぽい方なのですね」

『はあ?』

「中也さんの好きな女性の傾向タイプをご存知ですか?」


髪を片耳に掛け乍らそうルナに問うた久坂は瞳を開き冷えた視線をルナに向ける。


「気品のある女性…。でも、貴女には気品さなんて欠片もないので安心しました」


ニコッと笑った久坂。
唇に引かれた紅が弧を描き気品さを引き立たせる。


これは紛れも無い挑発。そんな事判っている。だけど、胸がナイフで突き刺されたように…、否、そんなものよりも何倍も痛く心に広がる何か。


『…てる』


俯いてボソッと呟いたルナに首を傾げる久坂。ルナの箱を握る手に力が入った。


『中也の好みなんかとっくの昔から知ってる!』


そう、知っていた。


中也は大人っぽくて気品のある女性が好みだって事。
知ってる。昔からずっと……。



だから、今でも考える。


如何して中也は私を好きになってくれたんだろうって。
私の何処を好きになってくれたのだろうって。


気品さなんてない。大人っぽくもない。
寧ろ、人間味もない人形のような私を…。
如何して……、如何して好きになってくれたの?


「おい誰だァ?人の部屋の前で騒いで」


ガチャッと開いた扉。そこから顔を出した中也が不機嫌な声でそう云いながら此方を見る。そして、視界にルナを捉えれば目を見開いて言葉を止めた。


『…っ』


ルナはギュッ唇を噛んで踵を返した。


「ルナっ!」


後ろで中也が名を呼ぶ声が聞こえる。だが、それを無視してルナは全速力で走った。


「チッ、あのやろ」


大きく舌打ちを零した中也が同じく全速力でルナを追いかけた。


そんな中也に驚きの瞳を向けた久坂。遠くなって行くその背中眺めて久坂は静かにその場に佇んでいた。




*


拠点内を吹き飛ばす勢いで走る二つの影。


「待ちやがれルナ!」

『厭だ!追いかけて来ないでよ!』


黒服達が叫び声に耳を澄まして何だと振り返る頃には残像が目の端を横切るという速度での鬼ごっこ。廊下を走るだけでなく階段を飛び降りたり飛び上がったり。まさに本部を壊すのではないかと云う暴れ具合。


「何で逃げンだよ!」

『五月蝿い!今中也と話したくないの!察してよ脳筋男!』

「誰が脳筋だゴラァ!!」


恐ろしい形相で怒鳴る中也。まさに鬼に追いかけられているルナは本気で逃げるしかないと察して、懐から短刀を取り出し、それを中也の足元スレスレに投げた。


キンッと音を立てて足元の床に刺さった短刀。中也は一瞬足を止める。だが、その一瞬でもルナには十分な時間稼ぎになる。中也が短刀から目を離して前を向いた時には既にルナの姿は豆粒だった。その時、中也は自身の脳の血管がブチッと切れる音を耳元で感じた。



ルナは背後を振り返り、中也が追いかけて来てない事を確認する。こんなに全速力を出す事はどんな戦闘中でもなく、疲労さえ感じないのに。体力お化けの中也との鬼ごっこは流石に呼吸が乱れた。まだ整わない呼吸をそのままにルナは昇降機の上釦を押す。首領の執務室と繋がっている自室に戻れば中也も簡単には入ってこれないだろう。


開いた昇降機の扉に足を踏み込もうとした時、背後から聞こえてきた足音。目を見開いてバッと振り返れば、高速ジェット機並みの速さで中也が迫ってきていた。物凄い怒りの雰囲気を纏っている。これは非常に拙い。


ルナは直様乗り込み、急いで閉の釦を連打する。


『は、疾く疾く!閉まって疾く!』


ルナの言葉に答えるようにピンッと音を立てて閉じていく扉。




ルナが大きく瞳を開いたとほぼ同時____、
ルナの体は硝子張りの昇降機の壁に叩きつけられていた。


「ハァ、ハァ、やっと捕まえたぜ」


閉じられた昇降機の扉。
しかし、閉じられる直前のほんの一瞬で中也は昇降機に乗り込んだ。と云うより飛び込んだ。


両手首を掴まれて硝子の壁に縫い止められたルナは体を捩って中也を振り解こうと手に力を込める。


『離してよ!』

「離したらまた逃げンだろうが!」

『当たり前でしょ!何で追いかけて来る訳!?あの女と一緒にいればいいじゃん!』

「何でそこで久坂が出てくンだよ!?」

『大人っぽくて気品があるあの女は中也の傾向タイプでしょ!?よかったね!!胸も凄く大きいからサービスしてくれて!』

「はァ?意味判んねェよ!?手前此間から可笑しいぜ」


中也のその言葉にカッと沸騰するような怒りが湧いたルナ。


『だって!だって耐えられなかったんだもん!中也の好みにピッタリなあの女に中也を取られるんじゃないかって私っ!』


喉を劈くような叫びが昇降機という密室空間に響く。だが、その叫びが反響するより疾く中也はルナの唇に喰いついた。


驚きでルナの瞳が開かれる。
透かさず口内に入ってきた中也の舌。


『いやっ!』


ルナは頭が追い付かず中也から逃れるように顔を背けたが中也は逃してくれなかった。何度も頭を硝子にぶつけているのに止めてくれない。寧ろ激しく貪られた。舌を絡め取られて、口内全体を舐め取るように蠢く中也の舌は呼吸さえ奪い取るように荒々しかった。


『ふ、あっ、んっンッ…!』

「ん、」


体の力が抜ける。ズルズルと硝子に凭れ掛かるように私の足は私の体を支えられなくなった。だが、床に膝が付く前に中也が私の体を支える。


漸く唇を離した中也。
二人の舌に唾液の糸が厭らしく繋がる。


『はあっ、はあ、なん、で…』

「手前が…、莫迦な事云うからだろ」


息を乱すルナの体を支え乍ら中也はルナを見下ろして静かな声でそう云った。


『バカな事なんて、云ってない』

「云ってンだよ」

『云ってな、ンッ』


ルナの頭を引き寄せて再び口付けた中也。唇ごと食むように接吻を繰り返される間、ルナの頭の中は真っ白だった。


「判るだろ?」


少し唇を離して中也が呟く。
そしてまた口付けて、また離した。


「俺が手前しか見てねェって事。手前にしかこんな事しねェって事。手前が数日傍にいねェだけでこんなにも参っちまうって事」


先程とは違う優しい接吻が言葉の間に溶け込むように降り注ぐ。それは言葉で伝えると云うよりも接吻で伝えるようだった。


本当に中也は狡い。
伝わりにく過ぎる。中也はいつも言葉足らずなんだ。それに最後は私に判れなんて云う。そんなもの判る訳ないのに。


若し、こんな貪るように求められるキスに何も無いと云うのなら、それこそ中也を此処から突き落としてやる。


けど、私の勘違いじゃないのなら……。
中也の伝えたい事が今のキスと同じなら……。




ゆっくりと離れた唇。
今度はお互いの視線がしっかりと重なった。


「もう逃げんな」

『うん』


小さく頷いたルナを見て中也はふっと微笑む。


「なんか、あの時みてェだな。あの時も手前は嫉妬して俺から逃げた」

『……覚えてない』

「嘘付け」


それは中也とルナが付き合う前の話。中也は懐かしげに昔を思い出すように目を細めた。あの時も本気で逃げるルナを必死で追いかけた。何年も経って、大人になっても結局やってる事は変わらなのかもしれない。


赤く染まるルナの頬を優しく撫で顔を上げさせた中也はアメジストの瞳が儚げに揺れる様を暫く見つめた後、ゆっくりと顔を近づけた。


今度はルナも抵抗しなかった。
中也の服を握り締めて目を細める。


熱を帯びた唇が重なる。





……瞬間に昇降機の扉が開いた。
最上階に辿り着いた音と共に。



銃を持った黒服の見張りがサングラス越しに瞳をパチクリと瞬かせ乍ら開いた昇降機の中を見据える。


「……。」
『……。』

「丁度、よかった…です。首領が、お待ちですので……」


辿々しい口調のその黒服との間に何とも云ない奇妙な空気が漂った。




、、、、、。


8/19ページ
いいね!