第六章 救済の標べ




五大幹部である太宰治が任務を放棄した。


そんな報せがポートマフィア内に広まる。そして、太宰はそのまま失踪。彼は完全に行方を眩まし誰一人として彼の姿を見たものはいなかった。


太宰失踪から数日が経ち、組織内では歴代最年少幹部である彼の組織への裏切りが瞬く間に広まっていた。





首領は本気で太宰を見つけ出すつもりなんてなかったと思う。それは私に太宰捜索の命令を出さなかったのが何よりの証拠だ。


首領は太宰を懼ていた。


そして、それを私は知っていた。心の何処かでこうなる事が判っていたような気がする。


しかし、首領は次の幹部を決定する為の五大幹部会は開かず、太宰の席は空白のままにするらしい。


「詰まらなくなるねぇ……」


と、呟いた首領はまるで玩具が取り上げられた子供のような表情だった。


異能開業許可証を手に入れたポートマフィアは此れから先も更に勢力を伸ばすだろう。喩え、太宰が居なくとも。



私は自分の部屋で外を眺めていた。
この部屋は首領が私とイヴの為にくれた私の自室だ。イヴが立ち上がれるくらいの大きさはある。走り回れはしないが。


隣に寝転がるイヴの毛並みを撫でながら私は考えていた。


太宰は最後に「人を救う仕事がしたい」と云った。今迄の太宰を知っている私には正直その仕事が彼に向いているとは思えない。でも、屹度彼はその仕事をするのだろう。向いていなくとも、友が示してくれたその道を。


もう太宰はポートマフィアには戻って来ない。


『中也、どう思うかなぁ…』


太宰と中也はお互い毛嫌いをしているが、相棒同士。双黒と懼れられ、称えられどんな任務も二人で乗り越えてきた。


その相棒が組織を裏切った。
それ知ったら中也はどう思うのだろう。


悲しむ、かな?

中也が悲しむのは、厭だな。


だけど、中也は明日帰って来る。慰めの言葉なんて私に出来るか判らないけど、考えておこう。



「ルナちゃん、ルナちゃん。ちょっとおいで」


その時、急に扉が開いて首領が顔を覗かし、此方に手招きをした。にこりと笑顔で。


私はイヴから手を離し首領の許へと行く。扉を開ければ直ぐに首領の執務室があるのは私の部屋と繋がっているからだ。


中に入れば首領は既に執務机の椅子に座っておりニコニコ笑顔。そのあまりにも気持ち悪い笑顔に冷めた視線を送った私だが、首領の前に立つその人物を見て目を見開いた。


『ちゅ、や』

「よぉ、ルナ。久し振りだな」


其処には、中也がいた。
此方を見てしたり顔でニヤリと笑ってる。


私は首領を睨みつけた。


『帰ってくるのは明日って云った…。首領、騙したの?』

「いや違うよ!私もそう聞いていたのだけれど中也君が予定より疾く任務を終わらせてくれたらしくてね!」


だから私の所為ではないよ!と云い張る首領は何をそんなに焦っているのか。私に嫌われるとでも思っているのだろうか。面倒くさい。


だけど、今は……。


ルナは走り寄った。
そして、中也に抱き付く。


ポスッと音を立てて中也の胸に飛び込んだルナは口元に笑みを浮かべ乍ら、ぐりぐりと額を擦り寄せた。


「如何した?いきなり…」


猫のように甘えるルナに戸惑う中也だが、ルナが物凄く喜んでいる事に気付けば、ふっと笑みを零してルナを抱き締め返す。


久し振りに抱き締めた小さな体。
鼻を擽る香り。

数ヶ月ぶりに会えた喜びを噛みしめるように中也は抱き締める腕に力を込めた。


……しかし、


「ん"、ん"ん」


直様、ハッと我に返る。視線を横に移せば、口元に拳を当てて咳払いをする森の姿。


首領の前である事を思い出した中也は慌ててルナの背中から手を離したが、ルナは中也にへばり付いたまま動かない。


「おっ、おいルナ、離れろ」

『ん〜っ!』


厭厭と腕の力を込めるルナにめきっと背骨が曲がる気がした中也は森をチラチラ見ながらルナを引き剥がす為に肩を押し返す。が、ビクともしない。どんな馬鹿力なのか。


「中也君…、」

「は、はい」


鋭い声で名を呼んだ森に中也は恐る恐る返事をした。重い溜息を吐きながら口を開いた森に何を云われるか冷や汗を垂らした中也。


「羨まし過ぎるよ。ルナちゃん私にはそんな風に甘えた事ないのに!」


あ、そっちか…。と、安堵して良いのか、良くないのか判断しかねる。


一向に離れそうにないルナを如何するかと中也が迷っていた時、森は先程と打って変わって真剣な声で中也の名を呼んだ。そして、続けて云う。


「任務から帰ったばかりで悪いが、実は重大な報告があるのだよ」


森のその言葉に逸早く反応したのはルナ。ぴくっと微かに跳ねた体を感じて中也は首を傾げた。


そんなルナに一瞬視線を寄越した森だが、瞳を閉じ、開く。そして冷静な、だが重い声で云った。



「太宰君が組織を裏切った」





執務室に静けさが広がった。


だが、その静寂を破るように森は中也が留守にしていた間に起こった抗争のあらましを伝える。森が話している間、ルナは一度も口を挟まなかった。だが、代わりに中也の腹に回している腕の力が無意識に強くなっていた。


「相棒の君としては色々思う事があると思うけれど今話した事は全て事実だ。太宰君は任務の途中で行方を眩ましその後は誰も彼の姿を見たものはいない」

「本当に、太宰が…」

『……中也』


やっぱりお互い喧嘩ばかりしていても、相棒がいなくなれば悲しいのだろうか。


ルナはギュッと目を固く瞑って中也が次に云う言葉に備えた。







「___クッ、くくッ」


だが、そんな嗤い声が聞こえた気がしたルナは瞳を開けて中也を見上げた。


その瞬間、高らかな声が上がった。


「ザマァみやがれ糞太宰!!!これで手前の悪質な厭がらせともおさらばだ!とっとと幹部になって手前を一番に処刑してやるぜぇ!ハッハハハ!」

『………。』

「……思った反応と違うねぇ」



まるで小学生が運動会の徒競走で一番を勝ち取ったような笑顔である。その中也の顔と嗤い声に、ぽかんと口を開けて茫然とするルナ。


「まぁ、そう云う事で、中也君。君も長期任務で疲れているだろう?今日はもう家に帰って休みなさい」


森は中也にそう云ってからルナの方を見て、「ルナちゃんは如何する?」と問う。その問いにルナは未だに茫然とし乍らも『…中也の家行く』と答えた。



・・・・・。



*




「はっはァ!今日は宴だぜルナ!家に保管してあるペトリュスの89年もので祝酒だ!」

『いいの?ずっと大事にしてた酒なんじゃ…』

「今日飲まねぇで何時飲むってンだよ!今夜は俺の人生で最ッ高に目出度ェ日だぜ!!」


首領の執務室を後にした私達は拠点の外を目指して廊下を歩いている。前を歩く中也はご覧の通りご機嫌で、……何か拍子抜けだ。


そんなスキップをしだしそうな程ご機嫌な中也と共に本部を出て、中也の車が停まってある駐車場まで向かう。


主人を待っている黒光りの高級車。


中也はご機嫌にその扉に鍵を挿して回す。





____突如、爆発した。


二千瓩を超える車体が両断され、炎を上げて破片が飛び散る。


「なっ、なっ」


機嫌が良かった顔から一変して冷や汗を垂らす中也。浮かれすぎて何時もの危機察知能力が薄れていたのだ。


爆発の直前、ルナがイヴを呼んで車から中也を離さなければ、流石の中也も危なかった。


襟元を咥えられぶらぶらと宙吊りの状態のまま中也は燃える車を茫然と眺める。


「襲撃か…?」

『(いや違うと思う…)』


中也の襟根っこを咥えているイヴはゆっくり中也を下ろした。「悪りィな。完全に油断してたぜ」と落ちそうになっている帽子を直し乍らそう云った中也は矢張り気づいてなさそう。


これは絶対太宰の仕業、と思ったが中也には云わないでおこう。





中也は愛車が爆破した事に落ち込んでいたが、家に帰る頃には先程の機嫌を取り戻していた。早速お酒のおつまみを作り出し鼻歌なんか歌っている程には浮かれている。


机に中也特製おつまみを並べ、ワインセラーから葡萄酒を取り出した中也は埃一つ付いていない酒杯グラスに酒を注ぎ、一つを私に渡した。


「ンじゃっ!乾杯しようぜルナ!」

『…いいけど。話したい事が』

「ンなもん後だ後」

『直ぐ潰れる癖に』

「そんな簡単に酔わねェよ。おら、グラス上げろ」

『嘘つき』



どうせ中也はその一杯で酔ってしまう。お酒が弱いくせに好きだから困ったものだ。そして、無理矢理上げさせられた酒杯に中也が自身の酒杯を合わせて乾杯。部屋に透き通った硝子の音が響いた。




「んで?」

『…え?』

「手前は何でそんな辛気臭ぇ面してやがる」


酒杯をゆっくり回しながら此方を見ずに云った中也。


『そんな顔してる?私……』

「嗚呼、首領の部屋からずっとな」


中也は一口飲んで酒杯を机に置き、ルナを見た。海のように深い青がジッとルナを見詰めている。ルナはその瞳を見て中也と同じように酒杯を机に置く。


中也はずっと気付いていた。
私の事を気にしていてくれた。


ルナは一呼吸を置いた後、重い口を開いた。


『太宰がポートマフィアを裏切ったのは…、私の所為って云ったら、中也は如何する?』

「はァ?何だそれ」

『私が織田作之助を、太宰の友人を殺したの』


私は俯いた。



仲間想いの中也の事だ。

組織の仲間を殺した私を軽蔑するかもしれない。

私を嫌いになるかもしれない。

私から離れていってしまうかもしれない。



『軽蔑、した?酷い女だと思った?
……太宰がいなくなって、寂しい?』


訊きたい事を震える声で問うた。答えを聞きたいのに、聞きたくないとも思う。二つの葛藤が私の中でぐるぐると渦を巻いている。


心が叫ぶ。

嫌いにならないで。
私の傍から離れないで。


叫びたい。

私は口を開いた。だが、最初の言葉を作った唇が動きを止める。代わりに、両頬が形を変えた。


『ひゅーら、ひはひ』

「手前、気色悪りィ事云ってんじゃねェぞ」


中也は額に青筋を浮かべ乍ら、ぐいぐいとルナの両頬を掴み左右に引っ張る。そして、伸びるのではないかと云う程引っ張った後、離した。


「あの青鯖が居なくなって寂しい訳ねェだろ。寧ろ清々してるぜ。これであンの陰気臭え面を拝まなくて済む」


腕を組んで椅子に凭れ掛かった中也をルナは赤い頰を摩り乍ら見た。本当に清々しい笑顔だ。まるで10年分の重荷を解放したみたいな。


「それと、」

一変した、中也の表情。
笑みを消して、真剣な顔で手に持った酒杯を見据えていた。


「手前は首領の命に従っただけだ。若し俺が手前の立場でも同じだったろうよ。首領が判断したなら、誰であろうと殺す。それが仲間だろうと、太宰の友人だろうとな。だから、手前を軽蔑しねェし、酷い女だとも思わねェ」


酒杯から外された中也の瞳が真っ直ぐに私に向けられる。


「喩え、手前が誰を殺そうと俺は手前の傍から離れたりしねェよ。心配すんな」


優しい微笑みに、言葉に、痼りのように心に住まうものが晴らされていく。


私は温かくなる心を噛み締める。


不安になっていた自分が莫迦みたいで、情けない自分が恥ずかしい。だけど、嬉しい。


沢山の感情が溢れて胸がいっぱいだ。
だから、瞳を閉じて一つ一つ取り零さないように大事に仕舞っていく。




中也、ありがと。


それを云う為に瞳を開いて中也を見た。


「くかーっ」

『……寝てるし』


顔を赤くしながら机に突っ伏して寝てしまっている中也。矢張り思った通りたったの一杯で酔ってしまったらしい。タイミングが悪いとはこの事。救いようがない。非常に困る。



私は深く溜息を吐いた後、中也の隣まで行きその寝顔を覗き込んだ。普段は見られない子供のような寝顔。ツンツンと頰を突いてみたが中々起きない彼に呆れを通り越して、くすくすと笑ってしまった。


『中也、ずっと私の傍にいてね』


眠っている彼には聞こえないだろう。
だけれど、それでいい。



私は寝室から毛布を一枚持ってきて眠っている彼の背中にそっと掛けた。


そして、私も中也の隣まで椅子を持ってきて、中也と同じ机に突っ伏した格好で眠りに入った。大好きな彼の寝顔を眺め乍ら。







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