第五章 死んで花実が咲くものか



中也の部屋に入ったルナは大人しくソファに腰掛けてジッと何かを堪えていた。


床に視線を落としながらずっと耐えていたルナだが、もう我慢の限界は近い。体がプルプルと震えて今にも爆発しそうだ。そして、その時は早かった。寝室に向かった中也の後を追いかけてルナはその扉開き、そして、中也に突っ込んだ。


その勢いのまま倒れた二人。幸い倒れたのがベッドの上でよかった。でなければ、頭を打ち付けていたのはルナの下敷きになった中也だったのだから。


『もう無理!中也!怒ってるなら怒ってるって面と向かって云って!そうやってずっと口聞かないつもり!?だったら一発殴られた方がマシよ!』


喉を痛めるのではないかと思う程ルナは中也の腹の上に馬乗りになった儘叫んだ。まるでルナが中也を押し倒したような格好になった状態。しかも、中也は外套を脱ぎ、着替え途中のワイシャツ姿。


そんな中也を睨みつけるルナの顔は怒りの色に染まっている。そして、久し振りに目が合った二人だが、その表情には何方も喜びの色はなかった。中也はルナの勢いに呆れるように溜息を吐いた後、目線を逸らして漸く口を開く。


「別に怒ってねぇ」

『嘘!怒ってる!でなきゃあんな避け方しないでしょ!?』

「…怒ってねぇ」

『怒ってる癖に!』

「怒ってねぇつッてンだろ!」


今度は中也が怒鳴った。その怒鳴り声にルナはビクッと肩を揺らして唇を噛む。瞳には段々と涙が溜まり出した。


『なら、避けないで、無視しないで。
……私を嫌いにならないで』


ルナから止め処なく溢れてくる涙。零れる涙は雨のようにポツポツと中也の顔に降り注ぐ。


その涙に目を見開いた中也。ルナに泣かれるのは得意じゃない中也はその涙を見ると胸がチクリと痛くなるのを感じた。だから、中也はゆっくりと手を伸ばしてその雨に触れる。


まるでその涙に魔法が掛かっていたかのように中也の口は素直に開いた。


「怒ってる訳じゃねぇ。唯、手前が手前の命を利用した事にムカついたンだよ」

『え…?』


目を見開いてルナは中也を見る。
そこにはムスッとした顔の中也。


「手前は何時も一人で解決しようとすンだろ。確かに手前は強いから手助けなんぞ必要としてねぇかもしれねぇ。今回も相手は唯の餓鬼だったしな…」


中也は一度視線をルナの頰に向けた後、その頰に手を添えて涙が溜まる目元を親指で優しくなぞった。


「だが、例え餓鬼でも手前が命を狙われてンなら、
___傍で手前を守ってやりたかっただけだ」


中也の言葉に顔をきょとんとさせたルナ。頭を整理して中也が云いたい意味を考えた。


つまり、中也は怒ってたと云うより、私が命を狙われていた事に心配してて、だけどそんな中也の心配を余所に私が中也にも相談せずに勝手に自分の命を売る真似をした事が気に入らなかった、と。


そっか…、中也は私を心配してくれてたのにそんな中也の気持ちも考えずに私は一人で行動したから。中也を不安にさせてしまったんだね。


でも違うんだよ、中也。
私はずっと考えていたの。
ずっと中也の事だけを。


『ごめん、中也。でも、如何しても知りたかったの。
そうしたら……』


そうしたら、もっと近付けると思ったの。


“憎しみ”や“恨み”。

そして、太宰が云った“後悔”。


それらの感情の正体を知れば、人が持つ感情を私も感じる事が出来るのだと。


『中也の傍にいられる“人間”になれると思ったの』


感情を持たない“人形”なんかじゃない。


『全ての感情の正体を知れば、私が中也を好きだって思うこの感情も本物だって…、私の中に初めからあった私だけの感情だって、証明できる』


胸元の服を握り締めてルナは震える声で云った。


暗く誰もいない空間。


ずっとそんな場所にいるようだった。何も感じず何も思わない。私は本当に人形のようだったから。そんな私が持った感情が本当に自分のものなのか判らなかった。だから……。




中也に向けられているルナの瞳。それは何処か違う場所を見ているように中也には見えた。そして、其処から引き戻すようにルナに顔を近づけた中也。


ルナは視界を覆った中也の顔を見て目を見開く。
そして、唇が触れる。





ゴツンッ……。


否、触れなかった。


鈍い音と共に額に走った痛み。ルナはジンジンと響く額に両手を当て乍ら『いっったァァァ!』 と叫んだ。


中也がルナの額に目掛けて頭突きをかましたのだ。


何故、今頭突きされたのか中也の行動の訳を問いたいがルナは取り敢えず今は頭が痛かった。これはたん瘤できたぞ、とルナは呻る。


『何するの!?中也!…んっ!』


ルナの口を塞ぐように頭を引き寄せて、口付けた中也。今度こそ触れた唇。長いようで短い時間。その時の合間に温かい熱が帯びてゆく。



そして、ゆっくりと唇が離れると中也はルナの頰をするりと撫でた。



「莫迦か手前は。手前ン中にある気持ちは本物に決まってンだろ。証明する迄もねェよ。自分の面を鏡で見てこい。そうすりゃ俺の事が好きだって、一目瞭然だ」



林檎のように真っ赤に染まったルナの顔。
目を泳がせて接吻された唇を恥ずかしそうに隠している。


『ば、莫迦は中也だよ。莫迦莫迦。心配してただけで、私を避けるなんて子供すぎ。だから身長が伸びないのよ』

「身長は関係ねェだろうがッ!」


くわっと叫んだ中也。そんな中也を見て、ふふっと口元を緩めたルナは中也の手に自身の手を重ねた。


『…き』

「あ?何だよ」

『中也、大好き』


涙を滲ませながらのはにかんだ笑顔。


まるでルナの周りに花が咲いたようなその笑顔に中也は心臓を射抜かれたような衝撃が走った。


そして、衝動的に体を起こして反対側にルナを押し倒す。きょとんと目を丸くするルナを見下ろした中也は「云っとくがな」とルナに云い聞かせながら、こつんッと額を合わせた。


「例え手前に感情が無くても、俺は手前の傍を離れたりなんざしねェ。だから、変な心配すンな」


優しい声と温かく胸に落ちる言葉。
中也の云う通り、悩んでいた私が莫迦みたい。
中也は何時もありのままの私を受け入れてくれてるのに。


『うん、ありがと』


偽りなんかじゃない。私の本当の気持ち。
心の底から叫んでいるの。
中也が好き、大好きだって。






「だが、俺ァまだ許してねェぞルナ」


……ん?

そんな時、いきなり聞こえた中也の声。瞳を開ければ私の視界にはニヤリと不敵な笑みを浮かべた中也が映る。先刻までの優しい笑みは何処へ?


「自分勝手な行動をした手前にはお仕置きが必要だからなァ」

『あれあれ中也さん!?怒ってないんじゃないの?』

「嗚呼、怒ってねェ」

『じゃあ何でお仕置き!?』

「五月蝿ぇ。二度とあんなマネしねェように教え込んでやる。“体に”な」


ぺろり、と自身の唇を舌舐めずりした中也。
その瞳はまるで飢えた狼のよう。


ルナは身の危険を察知したが、抵抗する前に中也の貪るような口付けに囚われて逃げられなくなった。






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