第五章 死んで花実が咲くものか



人虎君と共に去って行った少年。


私は屋上から水平線の先を眺め乍ら最後に見た少年の瞳を思い出していた。


私の中に残ったのはやっぱり一つの疑問。
あんなに強い憎しみを孕んでいた瞳が何故、最後には消えてしまったのだろう。


私が少年を助けたから?
それとも殺さなかったから?
大切な人を殺した者への憎しみは消えないんじゃないの?


仇を殺しても殺し足りないくらいに。
憎しみとはそういうものだと思っていたのに。


結局は判らず終いだ。


ルナは溜息を零しながら踵を返した。だが、扉に向かおうとした足を止める。そこに中也が立っていたからだ。ルナは嬉しそうに『中也』と名を呼び笑顔を向けた。


そんなルナとは対照的にピリピリと空気を震わせながらルナを睨みつける中也。そして、その表情のまま中也は口を開く。


「奴等の中に情報屋がいた。其奴は親の仇を取る為に手前を殺そうとしている餓鬼の情報を奴等に送り、あの餓鬼と奴等を引き合わせた。そして抗争の最中、手前がいる場所さえも突き止めて奴等に報せた」


中也のその言葉にルナから笑みが消えた。
中也はルナの表情を見据え続ける。


「ポートマフィアの構成員、そして幹部の俺さえも知り得ない情報。それは、奴等が全てその情報屋から教えられたものだった。そんな事が出来る奴はどう考えても一人しかいねぇ」


そこまで云って中也は一度瞳を閉じた後、再び鋭い瞳をルナに向ける。


「情報屋は手前だな、ルナ」


中也の言葉にルナは目を細めて愉しそうに笑みを深めた。


「手前は奴等にあの餓鬼の情報を送り、奴等と餓鬼を接触させ、抗争が始まると同時に手前を殺しに来させた。態々自分がいる場所を奴等に教えてな。違うか?」


潮の香りを乗せた風に靡く髪を片手で押さえたルナは口元に笑みを浮かべたまま瞳を閉じた。


『正解だよ、中也』


落ち着いた声で肯定したルナに中也は眉を顰める。数秒ルナを見据えたままだった中也は徐にルナに近づきルナの頰から垂れる血を乱暴に拭った。


『いたっ』


痛がったルナを無視して歩き出した中也。


そんな中也の背中を見つめ、ルナは頬を指で掻きながら『流石に怒らせすぎたかなぁ』と呟いた。





***


___ガツンッ……。


鈍い音が一室に響いた。


森は昼食を取っていた手を止めて音のした方に視線を向ける。視線の先には机に頭を打ち付けた儘突っ伏しているルナ。思いっきりぶつけたであろう額を心配し乍ら森は「大丈夫かい?」と声を掛けた。


しかし、ルナは額を机に付けたまま無言。そんなルナが纏う雰囲気は重く、ズゥゥン…という効果音が付きそうな程に落ち込んでいる。


「君が落ち込む理由は、矢張り中也君かね?」


“中也”と云う名前にピクッと反応したルナ。その小さな変化を見て森は図星かと苦笑を零す。そして、変わらぬ状態のまま漸くボソボソとルナは口を開く。


『…中也が口聞いてくれない』


私が中也と最後に会話したのがビルの屋上での事。その時から中也の機嫌が良くない事は感じ取ってはいたが、昨夜は抗争の片付けで忙しかった為会話する時間がなかったのだと思っていたのに。なのに……。



*

___時間は遡り今朝。


ルナは中也の部屋に訪れた。いつもは叩音などしないが中也が機嫌が悪かった事を思い出し、取り敢えず叩音する。


しかし、応答はない。『中也、開けるよ…』と声を掛けながら扉を開けば其処に中也はいなかった。まさか徹夜で仕事してるのかな?と思い中也の執務室を目指したルナ。だが、其処にも中也はいない。置き手紙もメールもなし。


まさか、避けられてる……?


と、厭な考えが過ったルナは直様その考えを取り払う。でないと、ショックで倒れそうだったからだ。


ルナは拠点内を探し回る。まるで幼子が母親を探すように不安な表情を浮かべ乍ら。


一階から順に漏れなく探した。


そして、遂に見つけた中也の姿。芥川と何やら話している様子。ルナは尻尾が生えたのではないかという程嬉しそうな表情を零して早足で駆け寄った。


だが、駆け寄る前にパチっと合った目と目。


「ンじゃ、後は頼むぞ芥川」


ぷいっと逸らされた顔。

ルナは『あ…』と声を漏らし乍ら手を伸ばしたが、中也は何も云わずに行ってしまった。伸ばした手は行き場を失う。


手を伸ばしたまま凍った様に動かなくなったルナ。口も半開きにしたままの姿はまるで石像。


「…大丈夫ですか?」


芥川は困惑しながらもルナにそう声を掛けたが、ルナが反応する事はなかった。



*


そして、時間は経過して今に至る。



「そう云えば、例の少年は本当に野放しでいいのかい?」


意気消沈しきっているルナに森は思い出すようにそう問うた。机から額を離さない儘その問いに頷いたルナ。


『もう復讐してくる事もないし大丈夫でしょ。結局あの後あの子は遠い親戚の元に引き取られたらしいし。部下の調べじゃ、泣きながら嬉しそうに笑ってたって。屹度その人達と此の先幸せに暮らすよ』

「そうか」


森は笑みを浮かべてそれ以上少年については云わなかった。ルナが大丈夫と云うなら何の問題もないと判断したからだ。


だが、ルナの中で今大事なのは中也に避けられている事だ。もはやルナの頭には中也の事しかない。このままでは本当に中也不足で死んでしまうとルナは呻る。


中也を怒らせた理由に心当たりはある。抗争を利用して自分勝手な行動をしたからだ。敵組織に私の命を狙う少年の存在を教え、抗争ごと奴等を利用する為に私の居場所も伝えた。全ては私の独断実行。


その独断実行が時に仲間にも危害を加える事もあるのだから尚更中也は怒るだろう。確かに私には非がある。だけど……。


『でも避けられるのは辛い!あんまりよ』


うわぁぁん、と到頭泣き出したルナ。こんな雰囲気の中流石に食事を続ける事も出来ずに森は食卓にナイフを置いた。


「まあまあそんなに落ち込まないで。時間が経てば仲直り出来るさ」

『へぇー、なら首領はエリスに一日中無視されても耐えられんだ?』

「それはあまりにも辛い…」

『そら見ろ』


想像しただけで顔を伏せて落ち込んでいる森に冷めた目向けた後、ルナは大きな溜息を吐いた。


『でもさ、勝手な行動したけど抗争は無事終わったんだしそんなに怒る事もないのに…』


森は顔を上げてルナを見た。だが、その後指を組んで微笑み、そして口を開く。


「中也君が怒ってる理由は他にあると思うよ」


ルナは漸く顔を上げて眉を顰めた。森が云った言葉の意味が理解出来ずに首を傾げ乍ら。


「抑、怒ってる訳ではないのかもしれない」

『どう云う意味?』


瞳を閉じ、笑みを浮かべた儘の森は「さてね」と曖昧な返事をする。その返しにルナは眉を上げ、また首領の悪い癖が出たなと溜息を吐いた。そして、徐に立ち上がり扉に向かう。


「何処に行くのかね?」

『シュークリーム買ってくる序でに散歩』


ルナは不機嫌な声でそう云った後、拠点の外へと出かけて行った。


『本当に、こう云う時だけ鈍いのも考えものだ』


一人残った部屋の中、そんな森の呟きが誰に聞かれるでもなく響いて、軈て消えた。













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