第五章 死んで花実が咲くものか




或るビルの構内。


天井から大きな照明が吊り下がっており、広々とした部屋に所々置かれたテーブル。外の景色を見渡せるガラス張りでできた窓の前にルナは一人立っていた。他には誰もいない。唯一人、窓から見える空を眺めている。右目にコンタクトは付けていなかった。オッドアイの瞳は夕日の光により一層幻想的だ。


窓から差し込む夕焼けの光は赤橙色で、空に浮かぶ白い雲さえもその色に変えてしまう美しい色彩。


夕焼けの色は好きだ。
中也の髪と同じ色だから。


いつも夕焼けを見るたびに目を奪われたようにその美しさを見入ってしまう。そして、今も。


出来る事なら太陽が沈むその瞬間までその色を見ていたいけれど、残念ながら今日はお預けにしておく。


ルナはゆっくりと瞳を閉じて現れた気配に苦笑を零した。


『また私に会いにきたの?』

「そうだ。今度こそお前を殺しに来た」


まだ幼い声。だが、その声には心の底から膨れ上がる程の憎しみが含まれている。普通の少年からは決して溢れることのない憎悪の情。


ルナは視線をゆっくりと横にずらして少年を見据える。見窄らしい少年。痩せていて折れてしまいそうな手脚とボサボサの黒髪。だが、瞳だけは鋭くルナを睨みつけていた。


『殺しに、ねぇ。でも、ナイフもまともに使えない君には無理だと思うけど』

「……わかってる」


あり?素直…。とルナは首を傾げながら少年を見る。長い前髪に隠れ、見えなくなった少年の瞳。暫く、黙ったままの少年をジッと見ていたルナだが、少年が懐から何かを取り出したのが見えた。


「俺一人じゃお前を殺せない。だから、協力して貰ったんだ」


少年が取り出したのは端末。武器にはならないそれが何の役に立つのか。しかし、それを手にした少年は勝利を確信したようにルナに笑みを向けた。


「俺がコレを押せば、仲間がお前に攻撃を仕掛ける。そしたら、お前は無事じゃ済まない」

『それは楽しみ。でも、ソレ押さない方がいいと思うよ』

「今更命乞いしたって無駄だ!父さんと母さんの仇を取ってやる!」


少年は叫びながら端末のボタンを押した。



___ドガァァァン


その瞬間、向かいのビルからけたたましい爆発音が響いた。その後に続く、ビルの瓦礫が下に崩れ落ち、聴こえてくる悲鳴。


そして、立ち昇る黒い煙。


『あーあ、狼煙が上がっちゃった。抗争が始まるね』


ルナが呆れたようにそう云ったと同時に外から銃声が鳴り始める。ルナはチラリと窓の下を見た。マフィアの構成員と敵組織の連中が交戦している。


「な、何で、爆発するんだよ。コレ、応援の合図なんじゃ……」


青褪めた顔で窓の下を覗く少年。床にへたり込んだその小さな体は震えている。


少年はその“仲間”という奴等から爆弾の事は聞かされていなかったのだろう。聞いたのは、端末を押せば応援に駆けつけるという事だけ。少年は知らされていなかった。抗争の狼煙を自分が上げさせられた事に。


少年の瞳に映るのは爆発で燃え上がるビルと銃を撃つ男達。そして、瓦礫の下敷きになった人と恐怖に泣き叫ぶ一般人の人々。


どうしてこんな事になったのだろう。
これをやったのは、俺?
少年の頭にそんな疑問がグルグルと回り出す。


ショックの所為で動かなくなった少年を見据えていたルナは、やっぱりね、と云う言葉を心の中で零した。幼い少年には何かを犠牲にしてでも成す復讐心なんてない。


自分の所為で関係のない人を巻き込み死なせたとあれば、耐えられない程のショックを少年が受ける事は予想できた。否、確信していた。


複数の足音が聞こえてくる。扉が大きな音を立てて開かれたと同時に銃で武装した男達が入ってきて、それを一斉にルナに向ける。


「情報通りだ。此奴がポートマフィアの菊池ルナだな」

「ああ、間違いない」


先頭にいた男が背後の男に確認しているのを見ると、前の男は敵組織の奴で後ろは裏切り者か。手を組んだ事は本当らしい。正体がバレていては誤魔化すのは無理だ。


却説どうするか…、とルナが考えていれば先頭に立っていた男が床にへたり込んでいる少年に目を向け、近づいた。


「よくやった。お前のおかげでポートマフィアの連中を足止め出来ている」


そう云って少年の肩に手を置いた男。しかし、その手を少年は勢いよく払いのけキッと男を睨みあげる。


「話が違う!俺はソイツを殺す手助けを頼んだだけで他の人を巻き込むつもりはなかった!」

「手助けをしてやっているだろう?お前が爆発を起こした事でポートマフィアとの抗争は開始でき、そのおかげでポートマフィア首領の首に一番近い者を殺せる機会に恵まれた。多少の犠牲は仕方ないさ。そうだろう?」

「ち、違う…俺は……」


拳を握りしめる少年は自分がしてしまった事に怯えるように声を震わした。


奴等は少年の仲間でも何でもない。少年は唯、利用されていただけ。ポートマフィアとの抗争の道具として。奴等にとって、ポートマフィア首領専属護衛である菊池ルナを殺したいと云う者は例え幼い少年であっても使えると思ったのだろう。


「親の仇を取りたいだろ?なら、殺せ。そうすれば、お前の親も喜ぶ」


少年の手に拳銃を持たせてニヤリと笑った男は少年を無理矢理立たせてその小さな背中を押し出した。


親の仇という言葉を聞いて、少年は震える手で拳銃を握りしめ銃口をルナに向けた。震えの振動が銃にも伝わり的が定まっていない。これなら、避けなくても弾は当たらないだろう。まあ、例え少年が外したとしても後ろにいる奴等が短機関銃を撃つだろう。少年に当たるのも御構い無しに。



「俺が仇を取れば、殺せば、父さんと母さんは喜ぶ…」


瞳を固く瞑って自分は正しいのだと云い聞かせるように少年は呟いた。しかし、間接的であれ、関係のない人を殺してしまった小さな手。命を奪うとはどういう事か。それを知ってしまった少年を支配する感情は憎悪ではなく、恐怖。それが直ぐに引き金を引かない理由だ。


もう、十分だ。


『喜ばないよ』


その声に少年は瞑っていた瞳を開けてルナを見る。少年の瞳には感情の読めない表情をしたルナが映った。


『死んだ人間は喜ばない。君が私を殺しても殺さなくても。決してね』


少年は涙を零した。止めどなく溢れてくる涙がまるで雨粒のように床に落ちていく。本当は少年も判っていた。大好きな父と母はもう帰ってこない。何したって絶対に。だけど、どうしようもなかった。胸の内から込み上げてくる悲しみを抑える方法を知らなかった少年には、両親の仇に憎しみを抱くしか悲しみを紛らわす事が出来なかったのだから。


少年は持っていた拳銃をゆっくりと下ろす。
もう、少年には仇を取る事は出来なかった。


拳銃を下ろした少年を見て、後ろにいた男が舌打ちを零す。そして、バッと手を高く上げた。


それを見て瞬時に駆け出したルナが少年を脇に抱えたと同時に男達から放たれた銃弾。少年を抱えたまま転がり込むように置かれていた机の陰に隠れてルナは銃弾から逃れた。あと一歩遅かったら、ルナに当たる前に銃弾は少年の体を貫通させていただろう。


銃弾によってガラス張りの窓が音を立てながら割れていく。その様子を見ながら、どうするかと考えていたルナだが、脇に抱えていた少年が驚いた顔で此方を見ている事に気づいた。


「な、何で?何で俺を助けるんだよ」


俺はお前を殺そうとしたのに、と続けた少年。確かに自分を殺そうとしている人間を助けるのはおかしい事だ。なら何故?ルナは考えただが、脳裏に浮かんだのは答えではなく“或る男”の後ろ姿。


『さあ、何でかな…』


ルナは小さな声でそう呟いた。
感情が読み取れない表情と声。そんなルナに首を傾げた少年だが近づいてきた足音に視線をルナから離した。


ルナはしっかりと少年を脇に抱え腰から拳銃を取り出す。そして、それを上に向けて撃った。ルナが撃った銃弾がパキンっと支えを切った事で重量のある照明が男達の真上に降りかかる。大きな音を立てて落ちた照明。銃弾が途切れた瞬間にルナは隠れていた机から飛び出して別の扉からその部屋を出た。


「くそっ!!追え!逃すな!」


上へと続く回り階段を少年を脇に抱えたまま上る。いくら子供の体重とはいえ人を抱えたまま階段を上がるのは困難だが、息一つ見出す事なくどんどん上っていくルナ。


だが、男達は下から此方に銃を放った。1つの銃弾がルナの頰を擦りルナは一度足を止める。下を見れば、男がニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。


『べっ』


しかし、そんな男にルナは舌を出して挑発する。それを見た男は怒りを露わにして銃弾を撃ち放った。ルナは階段から飛び上がり鉄の柵を片手で掴んで遠心力をつけ一気に上の階に着地した。


完全に射程外に入ったルナに弾が届く事はない。男達は人間離れしたルナの動きに唖然として銃を下ろした。


「あの女、本当に人間か?」


ルナが消えていった先を見上げて男はポツリと呟いた。




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