第十七章 暗夜に告げる黎明の奏で





それは、或る会場で起こった地獄への狼煙だった。




太宰は中央階段の端の席で欠伸をしながら競りを見学していた。


「(今回はどれも退屈な品ばかりだな…)」


臓器やミイラ、生身の人間、珍品だと謳われる竜の瞳や鳳凰の羽。本物か偽物かも判別つかないまま出品者の饒舌な売り文句だけで値段が吊り上がっていく。


どれも意味のある額が動いているが、所詮その品の価値は誰にも判らない。そして、太宰の目にはその何れもが無意味で何の価値のない物に映っていた。


「詰まらないなぁ…」


ぽつりと誰にも聞こえない声で呟いた太宰は頬杖をついて次々と運び込まれる品を空虚な瞳で眺めていた。






空気が一変したのは、その後の44品目だった。壇上の上、中央にあるスクリーンに次の品が映し出される。だが、スクリーンは電線が切れるような音を立てて画面が真っ黒に変わった。


会場内に響めきが広がる。


その響めきの中、目元を仮面で隠した男が舞台の端から現れ、壇上に上がった。


「皆様、静粛に。次の品で御座いますが、誠に申し訳ない事に未だ用意が整っておりません」


慣れ親しんだ台本の台詞のような声音で話し出した男は、一つ頭を下げると壇上に両手をついて顔を上げた。響めきに満ちていた会場の全員の視線がその男に向けられる。


「何故なら、次にその品を壇上に上げるのは皆様方だからです。その品は闇市市場歴代最高額である懸賞金であり、貴方方を黒社会で名を馳せるに相応しい組織へと導いてくれるでしょうう。その品が、此方でございます」


男が指を鳴らす。画面に映し出されたそれに、太宰が目を見開いた。


そこに映し出されたのは、


———————オッドアイの瞳を持った少女だった。


「この少女が誰であるか。知っている者は少ないでしょう。しかし、皆様も一度はこんな異名を聞いた事があるのでは?」


次に男が発したその名に会場の全員がごくりと喉を鳴らした。


「“闇の殺戮者”」


それは、闇を統べ、闇を支配するポートマフィアが生んだ厄災。それがどんな姿を持っているのか知る者は少ない。屈強な若男、歴戦を生き抜いた老人。その正体はあまりにも曖昧で、その存在すら都市伝説とさえ噂されていた。


それが今目の前の画面に映し出されている少女であると誰が想像できようか。


疑心暗鬼な空気が一変したのは、仮面の男が次に発した言葉だった。


「この少女に掛けられた懸賞金は、

———————千億です」


騒めきが一瞬広がって、その後に静寂。全員の喉が渇き、まるで金と云う魔物に支配された傀儡のような瞳で全員が舞台に釘付けになった。


全員の目の色が変わった事に仮面の男は笑みを深める。これから始まるのは遊戯でも何でもない。前代未聞のオークション。


その首が壇上に上がる前に、命と金が荒れ狂う。その首を刈り取ればポートマフィアを弱体化させる事ができ、名誉、権力、財力と人間の欲望が詰まった力の全てを一度に手に入れる事ができる。


“闇の殺戮者”を殺し、得られるもの。
全員の目の色が一致した瞬間だった。



仮面を被った男が両手を高らかに掲げ、声を張り上げる。



「懸賞金は千億!!


それが与えられる賞金である!!


今宵、このオークションでこれ以上の品があるだろうか!


この台にその首を乗せた者に名誉と賞金を!さあ!


その命を刈り取れ!刈り取れ!



———————“闇の殺戮者”のその首を!」



会場に喚き起こった歓声の全てが殺意の色に染まる。その会場の席に座っていた太宰は、会場の歓声に包まれながら画面に映し出された少女を底知れない瞳で眺めていた。


まるでこれから起こる修羅の行方を予兆するかのように。





***




「却説、後は優秀な部下達に任せて、我々は一足先に帰ろうルナちゃん」


幼女のドレスやら装飾品やらが入った袋を掲げて満足そうにそう云った森を無表情に見遣って、ルナは頷いた。こんな場所でもロリコンっぷりを発揮した森ではあるが、彼はポートマフィアの首領。品と金の天秤の見極めは心得ている。品自体は幼女以外に殆ど使い道はなさそうだが、動かした金はあの会場で彼に勝る者はいないだろう。



ルナは森の後ろを歩きながらふと中也の事を考えた。今回、中也も競りに参加している。幹部昇格を目指して、屹度今頃は宝石専門の会場で成果を出している事だろう。



「そう云えば、太宰君は何をしているのかねぇ」


前を歩いていた森がそう呟き、ルナの脳裏に数時間前に機内で中也と太宰がしていた会話、もとい云い争いを思い出す。


欲しい女がいれば買ってあげるだとか何だとか、相変わらず中也をからかって遊んでいた太宰。そんな彼に中也は目を吊り上げて怒っていた。あの時、太宰を怒りながら、少し青ざめた顔で此方をチラチラ見ていたのは何だったのか。何処か焦っていたように見えたその中也の行動が理解できなかった。


『(何で…あんなに慌てていたのかな…)』


ルナが森の後ろを歩きながらそんな事を考えていた時だった。森が向かっていた前方に何かが光ったのは。


瞬時にルナは前を歩いていた森の服を掴み、勢いよく自分の背後に引き寄せる。いきなりの事に体勢を崩した森が床に尻を強打して呻いたが、そんな事はお構いなしにルナは森の前に庇うように立ち、弾丸のように飛んできた武器を短刀で弾き落とした。


金属が弾ける音が鳴り、静寂。


ルナは無表情に前方を見据える。


足音も気配もなく現れたその者達は獲物である武器を手で弄びながら姿を見せた。


「おい、何が俺に任せろだ。防がれてるじゃないか」

「五月蝿い。少し油断しただけだ。次は外さない」



前方から現れたのは男二人……だけではない。


後方からも現れた武装した者達はルナと森を挟み討ちのように取り囲む。彼等の纏う雰囲気、気配、そして殺気が殺し屋のものだ。獲物を狩る肉食獣の群れのように彼等はギラついた目を光らせている。


「本当に彼の有名な暗殺者がこんな幼き童女なのか?到底信じられん」

「だが、この少女の瞳はあの噂の右目を持つオッドアイだ。間違いない」

「と云う事は、その後ろにいるのがポートマフィアの首領か。これは一石二鳥だ」


敵の殺意が一点に集まる。肌を刺すようなそれを身に感じながらルナは短刀を持つ手に力を入れた。此処で槍の雨が降ろうが、弾丸の雨が降ろうが、ルナはそれらから森を護らなければならない。それがルナの仕事であるからだ。


そして、最初に動いたのは前方にいる男だった。得物である武器を此方に投擲する。それと同時に後方の敵も動いた。ルナは前方から来た攻撃を短刀で弾き落としながら服の中から閃光弾を取り出した。


それを見て逸早く察した森は目を瞑って光を直視しないように構える。遅れて、それに気付いた敵が自身の腕で目を覆った。


その一瞬の隙で十分だ。


ルナが森から離れ、その場にいる敵の首を刈り終えるには。閃光弾も森の仕草も全てがフェイク。


血溜まりを広げながら生き絶えた敵を無表情に見遣り、ルナは振り返る。後方から更なる足音。追手だ。


『首領』

「如何やら暢気に移動している時間はないようだね」

『広津さんが帰りのヘリを用意して待機している。それに乗り込めばいい』

「嗚呼。そうしよう」


ルナは頷いて駆け出す。以前と違う殺伐とした会場内の雰囲気。何処か妙なその違和感を感じながらルナは森を連れて、マフィアのヘリが待機している場所へと向かった。







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