第十六章 蠱惑な蝶よ、魅惑の花よ





芥川と敦が中也と太宰を連れて拠点の外へ出れたのは間一髪だった。


背後から迫った爆風に追われ、飛び込むように拠点の外に放り出された四人。


爆発が起こったのはあの地下から外に出る迄の五分後。あと数秒遅れていたらあの爆風に巻き込まれていたかもしれない。しかし、急死に一生を得た事に安堵する間もなく、中也は再び炎が燃え上がる建物に入ろうとしていた。そんな中也を太宰が止める。


「止めた方がいい。そんな体でこの炎の中に戻っても焼け死ぬだけだ」

「五月蝿えッ離しやがれ!ルナがまだ中にいるんだぞ!」


爆発が起こってから既に十数分の時が過ぎている。敦と芥川は疲労で地面に膝をついたまま、燃え盛る拠点とその前で云い争う中也と太宰を見据えた。


「ルナなら一人でも脱出できる筈さ」


そう云って肩を掴む太宰の手を勢いよく振り払って鋭い瞳で睨み付けた中也はそのまま太宰の胸倉を掴み上げた。


「手前最初からルナに命令してやがったな!この作戦を考えたのは手前だろ!」


首が締まる程の力に太宰が顔を歪めて、中也の腕を掴む。それでも中也の手はビクともせず微かな空気を吸い込んで太宰が口を開いた。


「慥かにこれは私の作戦プランの一つだったよ。異能でもない、刃も銃も効かない不死身の女王。そして、幾万の吸血蝶。それら全てを倒すには、この作戦が最適解だった。ルナもそれが判って実行したんだ」

「手前の最適解は全ての吸血蝶が死ぬまでルナを火に焼かせ続ける事かよ!何がルナも判ってるだ!手前が命令したんだろうが!彼奴が拒まないと知って手前はッ」

「ルナが死なないと判断しての作戦だ」


中也の拳が振り上がった。止まることなく拳が太宰の頬を殴り、その威力に太宰の体は後方に飛び、地面に倒れた。中也は怒りのまま殴り飛ばした太宰に近づき、口から血を流している太宰の胸倉を掴み上げて再び拳を振り上げる。


「ちょ、一寸!」


敦と芥川が慌てて立ち上がる。敦は二人を静止する為に二人の間に立った。芥川は再び太宰に殴り掛かろうとする中也を背後から抑えたが、その力は止める事は出来ない。



「手前はまた彼奴をッ」

「中也さん!それ以上は」


太宰の胸倉を乱暴に掴み上げる中也には誰の声も届かない。怒り。その感情が中也を支配して、拳を振り下ろすのを止める事はできなかった。


握り締める拳が痛い。その痛みが強すぎて、殴っているのは本当に太宰なのか判らない。今一番殴ってやりたい相手は太宰ではないのにその拳は止まらなかった。


本当に殴り飛ばしたいのは、自分だ。



右腕に巻かれていた緑のマフラーが緩み、地面に落ちた。


「……ルナ」


それを見て、中也は彼女の名を呟いた。この間にもルナは炎の中でその身を焼かれ続けている。


我に返った中也は太宰の胸倉を離し、制止しようとした芥川の手も振り払った。そして、燃え盛る拠点の方へと駆け出す。毒が回った体は重い。だが、それでもルナを助け出さなくては。



だが、中也は拠点に向かう足を止めた。



燃え盛る炎が揺らめく。



黒煙と赤い炎の合間にゆらゆらと揺れる影を見た。



『……ッ……ち………や……』



その声は殆ど音になっていなかった。


中也は目を見開く。火を纏い煙を立たせながら此方によろよろと歩いてくるのは紛れもなくルナだった。


だが、その姿はあまりにも痛ましい。衣服は焦げ落ち、殆ど残っていない。皮膚は火傷で爛れ、流れ出す血すらも焼き焦げている。


「——————ルナ」


中也はその場でルナに手を伸ばす。無事であった中也の姿を虚な瞳で捉えたルナは一度安心したように微笑み、その場で躰を蹌踉めかせた。


中也が慌てて駆け寄り、地面に倒れる前にルナをその腕に抱き止める。その躰は高熱で熱した金属のように熱かった。肉と血の燃える臭いとルナの小さな口から発せられるか細い呼吸音が中也の胸を抉った。


後ろから芥川と敦が駆け寄ってくるのを感じた中也はルナを優しく抱き上げて立ち上がった。


「芥川、後処理は任せる」


通り際にそう云って中也は速足に駆け出す。行く手には頬を腫れさせた太宰がいた。無表情に中也の腕の中にいるルナに目をやったが何も云う事はなかった。



中也は足を止めない。太宰に一切目を付けることもなくその横を通り過ぎる。



「手前はいつか俺が絶対ェ殺してやる」



太宰の横を通る瞬間、中也は怒りの困った声でそう呟いた。だが、それはあまりに静かな怒りだった。胸の奥にあるこの怒りを無理にでも抑え込まないと、それは今にも火山のように噴火してしまうだろう。


その中也の怒りをルナは薄れる意識の中で感じていた。



躰が燃えて熱い筈なのに、心は酷く寒い。



まるで心が氷の中へ閉じ込められたかのように、ルナは中也の腕の中で意識を手放し、それから何も感じなくなった。










18/22ページ
いいね!