第十六章 蠱惑な蝶よ、魅惑の花よ




『はあ、一体これで何個目よ』



ガシャン、と金属の音が鳴った。
床に投げ捨てたその金属、監視カメラを見下ろしてルナは溜息を吐いた。“No.4”を倒し、薄暗い地下内を監視カメラを無効化しながら彷徨っていたルナだが、奥に進みに連れて監視カメラの数は多くなるばかりだった。


『疾く中也と合流したいけど、カメラ越しに監視してる奴を如何にかしないと』


ルナは一人呟き、壊れた監視カメラに刺さった暗器を抜き取って再び足を進めた。


『ん?』


駆けていた足を止める。ルナの視界にひらひらと蠢くもの。それは暗いその地下でもぼんやりとした光を纏いながら飛んでいた。


『—————蝶々…』


今回の事件の元凶である吸血蝶。


その蝶は暫く当てもなく宙を彷徨っていたが、ふと向きを変えて近づいてきた。ルナは踊るように舞うそれを目で追った。ひらひらと羽を動かす度に粒子を撒き散らしながらそれはルナの周り飛んでいる。


ルナは一歩蝶から離れた。しかし、蝶は再びルナに近づきルナの周りを飛ぶ。ルナは暫くその蝶を目で追った。だが、何故かその蝶は自分から離れずにいる。


『嗚呼、返り血か…』


外套や手に付いた敵の血にこの蝶は引き寄せられているのだろう。この蝶は吸血蝶。血の香りに誘われてやってくる。


ルナは辺りを見渡しながら、足を進ませる。そして、先程蝶が宙で彷徨っていた場所まで行き、目を閉じた。微かにだが、空気がピリつく。それは肌に感じる程。


ルナは目を開け、その壁に不自然な切れ目がある事に気付いた。その切れ目に短刀を突き刺し、そのまま無理矢理そこをこじ開ける。そして、視界に広がった景色に息を呑んだ。


人の大きさ程ある大きな繭。


それが壁と天井の至る所にあった。内側から怪しい赤光を放ち、その繭の中で何かが蠢いている。繭の大きさに比べてその何かは小さいが、その中にいる数は一つの繭で数千を超えているだろう。


『嘘でしょ。まさかこれ全部…吸血蝶…?』


その異様な光景にルナは冷や汗を垂らす。もしこれら全てが例の吸血蝶ならば、一体どれ程の数飼い慣らされているのか。否、もしかしたらこれは飼い慣らさせているのではなく、これから誕生するのではないか。


横浜に吸血蝶が不自然に増えた理由。
そして、この異様な数の繭玉達。


もしこの数の蝶が一斉に放たれたら、この蝶が撒き散らす毒は人体には一溜まりもない。


『如何にかしなきゃ』


だが、この数の蝶を撃滅させるには如何すればいいのか。一度放たれたら取り返しがつかない。この蝶達の無効化をしなければ街は毒の瘴気に蝕われてしまう。


ルナは考える。自分に出来ることは、殺しだ。女王を殺せばそれで全て解決するなら、ルナのやる事は既に決まっている。


ルナはあの異様な空間を後にして、奥へと続く道を走った。迷路のようなその拠点は同じような壁と天井がいくつもの道を作っている。まるで夜の森に迷い込んだかのように方向が分からなくなる。何処迄も続くその薄暗さが感覚を狂わせているようだった。



『(……気配)』


ルナは動かしていた足を止める。前方にゆらりと人影が動いた。ルナは懐から短刀を抜く。その人影はあまりにも静かに現れた。ルナが人並み外れた感覚神経を持っていなければ気付かない程、その存在は無だった。



現れたのは足元まである暗いマントを羽織った者。背格好からして男だった。その男はルナの存在に気づくとゆっくりと閉じていた目を開けた。真っ黒な瞳と目が合う。その目を見てルナは悟った。


「“No.4”を殺したのは君か?」

『……だったら?』


“No.4”というのは恐らく先程殺した長髪の男の事だろう。ルナは無表情に答えた。黒いマントを被ったその男はルナの返答を聞き、驚いた様子もなく、「そうか」と息を溢した。


『(この男…‥同業者だな)』


男のその暗い瞳を見てルナは判った。彼はルナと同じ、暗殺者だ。その隙のない佇まい、纏う雰囲気、静かな殺気。彼から感じる全てが暗殺のそれだった。それも相当な手練れ。


ルナが男を観察していた、


———————その刹那。


ルナの目の前に光の一線が走った。ルナはその場から後ろに飛び退いて回避する。


『(今の……攻撃の軌道が見えなかった)』


黒い瞳とオッドアイの瞳が交差する。沈黙の中、静かな殺気が対峙し、空気が電気のようにピリついた。


「“No.4”は強くはないが、弱くはない。俺達護衛団の中では一番諦めが悪いんだ。そんな奴が死に際にあんなみっともなく助けを求めた。一体どんな化け物かと思ったが……。成程。俺は君を知ってるぞ」


男はルナを見据える。
その姿を目に焼き付けるように。


「そのオッドアイ。呪われた右眼を持つ暗殺者。“闇の殺戮者”と呼ばれ、嘗て闇市で千億を超える懸賞金が掛けられた。だが、誰一人として殺せる者などいなかった。俺もその賞金首狩りに参加しようとしたが、結局はマフィアが懸賞金をかけた連中を闇の中に揉み消したからな。それ故に終ぞ刃を交わす機会などないと思っていたが…」


まさかな、と目の前のルナを観察する。噂とは噂でしかない。巨大な体躯を持った大男。地獄を超え歴戦を生き抜いた老人。そんな噂が蔓延り、“闇の殺戮者”の本当の姿を知る者は少ない。ただ判っているのは、“呪われた右目を持つオッドアイ”ということだけ。だが、男にはそれで十分だった。彼女のその瞳と交差した瞬間、己の本能が悟ったのだ。彼女こそが“闇の殺戮者”であると。


「嘗て闇社会を揺るがす程の懸賞金が掛けられた伝説の暗殺者。此処でその首を刈れる事こそ我が生涯の誇りなり。手合わせ願おうか」


男は黒い瞳を鋭くして、交戦的な笑みを浮かべる。ルナはその瞳を無情に見遣り、ため息を吐き出した。


『はぁ、何奴も此奴も邪魔ばっかり。潔く身を引けばいいのに。じゃないと、

———————首を刈られるのはアンタの方だよ』


ルナはオッドアイの瞳を光らせる。そして、男の間合いに入る為、その場で地を蹴って駆け出した。同時に男の方はマントを翻し、そこから幾多もの暗器を取り出す。それがルナに向かって放たれる。ルナはそれを全て見切り、短刀で弾き飛ばしながら男の間合いに飛び込んだ。


「ッ」


目にも止まらぬ疾さで銀色の刃が男の首元に届く。


だが、刃は男の首に届かず、男から距離を取ったのはルナの方だった。


「“闇の殺戮者”。やはり流石だな。今の攻撃を避けられるとは」


男が不敵に笑う。ルナは男から離れた場所で膝をつき、男を鋭く観察した。ルナの頬に赤い一線が引かれ、そこから血が流れた。


『(……まただ。また、攻撃の起動が見えなかった)』


先刻の攻撃、そして今の攻撃。全て暗器によるものだ。だが、それが肌を裂くまでそこに暗器があると認識できない・・・・・・


「俺の攻撃の仕組みを探っているな」


男はルナの方へ足を進ませながら云った。そして、マントの中から更に暗器を取り出し、ルナの方へそれを向ける。彼から発せられるその殺気はまさに暗殺者たるもの。恐らく彼は今までルナが出逢ってきた暗殺者の中でも指折りの暗殺者だ。一筋縄で倒せる相手ではない。


そして、先程間合いに飛び込んだ時に見えたマントの下の刺繍。蝶華楼の構成員の印である蝶の刺青に、その羽に刻まれた番号、No.2。



「5人の護衛団。奴等は強えぞ。特にNo.1とNo.2はな」



大砲の男が云っていた5人の護衛団の一人。そして、そのNo.2。慥かに彼は今迄出逢った蝶華楼の構成員の中でも一筋縄ではないかない相手である事がひしひしと伝わってくる。


『(攻撃が判らないのは奴の異能力かな…)』


恐らく異能の力によって男の攻撃が目では捉えられないのだ。


ルナの推測通り、感じていた違和感の正体は“No.2”“の異能力によるものだ。“攻撃を認識させない能力”。それが“No.2”の能力だ。人は目で物を見て、脳が認識して初めてそこに物があると認識出来る。彼の能力はその脳に錯覚を起こさせる。脳が錯覚を起こし攻撃を認識できなければ幾ら動体視力が良い相手でもその攻撃は避けられない。


暗殺向きの能力。強者揃いの護衛団の中で彼がNo.2である理由が頷ける程の強さだった。ルナも彼が強者であると匂いで判った。だが、No.2と云う事はそれだけ親玉である女王に近い存在と云う事。得られる情報はある。


『アンタ達の長の“女王”って奴。一体何者?吸血蝶を横浜に持ち込んだ犯人だと思ってたけど、あれは持ち込んだってレベルじゃない。あの部屋の……あの気持ち悪い繭。アレは何?』

「君……あの部屋に入ったのか?」


先程まで静かだった“No.2”の殺気が禍々しいものに変わる。男の殺気によりその場の塵が震えるように宙を踊った。


「あの部屋は女王様の神境だ。何人たりとも余所者が踏み入って良い場所じゃない。………いやしかし、変だな。あそこには繭から溢れ出した毒が充満している筈、一歩踏み入れた瞬間に毒にやられ死に至るというのに。君はこうして生きている」

『………。』

「成程。毒は効かないのか。俺の得物にも塗ってあるんだが、これも意味ないか。流石は“闇の殺戮者”だ」


“No.2”は自身の暗器を手で回しながら納得したように頷いた。


「あの繭は女王様の愛を糧に産み落とされ、美しき蝶達が誕生する」

『……愛?』


ルナは訝しげに眉を顰めて、その言葉を繰り返す。“愛”とは何か。ルナはその意味を黙考する。


蝶華楼の頭目。吸血蝶。大量にある異様な繭。五人の護衛団を従える女王。


もし、女王がこの地に吸血蝶を持ち込んだのではなく、“愛”によって産まれ、増えたのだとしたら。


———————“愛”が意味するものは。




「ターゲットを毒で弱らせ、気に入った男がいれば殺さずに強姦するのだとか」



産み落とす条件が強姦なのだとしたら。その異質な趣味とも辻褄が合う。


「今回お前達侵入者の中から選ばれるだろう。“No.5”の能力を使って、既に女王様は選抜を開始している。名誉に選ばれる男は一体誰か……。君は、あの中に愛しい者はいるか?」


その問いにルナの脳裏に中也の姿が浮かぶ。中也は無事だろうかと云う不安がルナの胸の中で駆け回ったが、それを悟られぬようにルナは地面についていた膝を離し、その場に立ち上がって『だったら何?』と低い声で問い返した。その返事を肯定と取った“No.2”は尻目を下げた。


「それは気の毒だ。女王様は他人のものを手に入れるのがお好きなんだ。もう間も無くすれば君の恋人は蝶達の誘いによって、女王様の手の中に落ちるだろう」


ザワッと殺気によって空気が悲鳴をあげた。“No.2”の殺気よりも禍々しく冷たい殺気が辺りを呑み込む。ルナは短刀を握る手に力を込めて、男を睨み付けた。


『中也に手を出したら赦さない』


圧倒的な威圧感だった。ルナから発せられるその殺気は暗殺者のそれとは違う。《闇の殺戮者》。その異名たる凄まじい殺気。


“No.2”は額に冷や汗を流しながらも歓喜した。それは己が暗殺者としての矜持。目の前の獲物は嘗て大金の懸賞金が賭けられた賞金首。これを狩れるのはまたとない機会。それと同時に“No.2”には此処で負けられない理由もある。己が主を護る事こと使命。命を投げ出す覚悟で今この場に立っている。


「悪いが我が女王の為、君を生かしておく事はできない。俺がこの場で君の息の根を止める。その方が君にとっても佳い筈だ」


“No.2”はマントから幾多もの暗器を取り出し、自身の異能力を発動させた。どんなに動体視力が優れた者でも無数に飛び交う暗器を避ける術はない。それが認識されないのなら尚更。


“No.2”は不敵な笑みを浮かべ、挑発するようにルナを見下ろした。


「自分の恋人が欲に溺れ、女王様と体を交わす姿など見たくはないだろう?」


短刀を持つルナの手に更に力が込められ、ミシッと軋んだ音を立てた。辺りの空気が殺気により歪む。それに呼応するようにルナの足元から黒い影が噴き出るように蠢き始めた。


『中也に指一本でも出してみろ。お前も、お前の女王もバラバラに切り刻んで、

——————人の形すら残らないようにしてやるから』


地獄の底から這い出たかのような怒りがルナの感情を支配して、それ以降、目の前が真っ赤に染まった。






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