第十五章 熱を乞う雪を欺く




「晴れたみたいだな」


朝日が昇った。洞窟の入口から吹き込んでくる氷礫はなく、代わりに黄金の陽光が差し込んでいた。


『服も大分乾いたみたい』


既に消えている火の近くに置いてあった自身の服に袖を通しながらルナが云った。空気はまだまだ冷たいが昨夜に比べたら大分行動しやすい。恐らくターゲットも動き出しているだろう。


「任務開始だ。地雷野郎をぶっ倒して兵器を回収すんぞ」

『おー!』


中也は外套を羽織り、愛用の帽子を被って云った。そんな中也の言葉に拳を挙げて返事をしたルナはいつになくやる気だった。


「取り敢えずまた山を登るしかねぇな」

『だね。…あ、そうだ。探索機、探索機…』


軍警の男から奪った探索機を外套のポケットから取り出したルナはそれを見て言葉を止める。無言のままその探索機を洞窟の入口の方へ向け、そして、次に入口とは反対の洞窟の奥へと向けた。


「如何かしたか?つか何だそれ」

『私と雪崩に巻き込まれた軍警の男が持ってたやつなんだけど…。この探索機昨日見た時は元軍事施設がある場所を指してたの。でも、今は他に違う反応がある。この洞窟の奥……。もしかしたらターゲットに埋め込まれてる発信機の反応かも』

「洞窟の奥…」


中也はルナの言葉を聞き、自身の顎を掴む。大戦末期に秘密裏に使われていた軍事施設。雪山の何処かにあると云ってもそれが山の頂上にあるとは限らない。否、寧ろそう思わせて隠し通路のみしか行けないとしたら。


「この洞窟随分奥が深ぇと思ったら、その軍事施設に行く為の隠し通路なのかもしれねぇな」

『だとしたら屹度隠し通路は一つじゃないよ。でも、多くもないと思う。如何する中也?このままこの洞窟の奥に行ってみる?』

「嗚呼。どうせ頼れるもんはその探索機しかねぇんだ」


中也はルナの手から探索機を取り、手を握って歩き出した。ルナはさらっと手を繋がれた事に目を瞬かせて前を歩く中也の背中を見つめる。


『…中也?』

「何だ」

『…何だって。急に手を繋ぐから…』

「勝手に離れないように決まってんだろ」


まるで迷子になりやすい子供のような扱いに苦笑したが、ルナにとってその中也の手の温かさは離れがたいものだった。雪崩に巻き込まれた時、どんな気持ちで中也が自分の事を捜してくれたのか考えると胸が締め付けられる。だからこそ、離れないようにルナもその手を握り返した。




暫く洞窟の奥へ進み、遠くの方から光が見えた。中也とルナは速足に出口に向かうと、そこには嘗て軍の施設だった廃墟があった。



ルナは探索機をその廃墟に向けて、赤い点滅を確認する。


『間違いない。ターゲットはあそこだね』

「よし、先ずは奴を拘束して兵器の場所を聞き出すぞ」


二人は顔を見合わせて頷き、積雪に佇む廃墟へと足を向けた。




***



ボロ布を纏った男は廃墟と化した建物で無反応の装置を治していた。男がいる建物は建物といっても天井はなく、壁も半分が崩壊している場所。戦時中ここは敵国に発見され、空から爆撃を落とされた。その傷ましい痕が今でもこの廃墟に残っている。


男は装置を動かす手を止めて、天を仰いだ。曾て巨大な鉄の塊が駆けた灰色の空はない。代わりにあるのは、嫌悪する程の平和な空だ。



ザクっと雪が踏まれる音が後ろから聞こえ、男は目だけで振り返った。


「漸く追いついたぜ。命が欲しけりゃ手前が隠し持ってる兵器を今すぐこっちに渡せ」


ターゲットである元軍人の男に追いついた中也は威圧感のある声で云った。中也は鋭い目つきで男を観察しながら、足元に意識を集中する。奴の異能は地雷のように地面を爆発させることができるからだ。その爆発をまともに食らえば足を吹き飛ばされるだろう。


「貴様は一体何者だ?」

「手前が知る必要はねぇよ。いいから隠し持ってる兵器を渡せ」

「貴様は善ではないな。匂いで判る」

「……。」

「貴様はこの世が偽りの平和に浸っていると思わないか?」


男の言葉に中也は眉を顰める。男が何を云おうとしているのか。大きくがっしりとした体の割にとても錆びれた声だった。中也はその男の問いには応えず、代わりに鋭い殺気を放った。


「手前に選択肢はねぇ。大人しく兵器を渡せ」

「否、渡せない。俺は生きられない。生温いこの平和の中で。この国が再び戦火の渦に呑まれる為に俺はこれを同胞達に送り届けなければ」

「なら、力づくで奪ってやるよ」


中也が動く。それに気づいた男が瞬時に体勢を低くして地面に手をついた。だがその刹那、地面についた筈の手がそこにはなかった。


白い雪に赤い血が飛び散る。男は突然視界に入った小さな影を見た。空から何かが飛び降りてきた。そして、男の右腕を切り落としたのだ。冷たいオッドアイの瞳が男を捉えた。


男が異能力を発動する前にルナはもう一つの腕を切り落とす為短刀を構え直す。痛みに呻いていた男だが、彼は元軍人。死が隣り合わせの戦場を駆けてきた猛者の一人。血が吹き出す腕をそのままに、男は残った左腕に力を込めた。筋肉が盛り上がり、鋼のように硬くなる。ルナが斬り落とそうとした腕はまるで金属が入っているかのように硬く、皮膚を削っただけだった。


斬り落とし損ねた屈強な腕がルナの小さな体を地面に叩きつける。背中に感じた痛みにルナは小さく呻く。視界に男の拳が振り上げられたのが見えた。しかし、次の瞬間には男が水平方向へと勢いよく吹き飛んだ。


「無事か?」

『大丈夫』


男を蹴り飛ばした中也が地面に伏せるルナを立たせる。ルナは雪で濡れた頬を拭い、男が吹き飛んだ方へと視線を向けた。


『流石元軍人。いい体してるよ』

「奴には厄介な異能があるしな。援護しろルナ。俺が奴の間合いに入る」


ルナは短刀を懐に仕舞い。腰から拳銃を、袖から鋭利な暗器を取り出して頷いた。中也は自身に重力をかけて水平に飛び出す。


廃墟の壁に激突していた男が勢いよく向かってくる中也に気付き立ち上がった。重力の乗った中也の蹴りが男に腹に減り込む。男は血を吐き出しながら地面を転がった。中也は舌打ちを溢す。まだ兵器の場所が特定できていない。直ぐに殺す事ができない為死なない程度に攻撃しなければならない。だが、男は元優秀な軍人だった。戦闘能力は高い。


腹に強烈な痛みを感じていたが、気絶には至らない。男は中也の足元に意識を集中させ、地面に手をつこうとした。だが、残った腕にも激痛が走る。痛みが走ったそこを見れば鋭い苦無が刺さっていた。男は視線を彷徨わせる。少し離れた処で此方に銃口を向ける女の姿が見えた。


「くそっあの女。毒かッ」


左手は動かない。血管が浮き出し、苦無が刺さった部分から青黒く変色していく。右手はもうない。男は左腕に刺さった苦無を口で抜こうとしたが、突然浮遊感に襲われた。


「終ぇだ。兵器の場所を吐け」


男の首を片手で掴んだ中也が屈強な男を易々と持ち上げる。右腕は大量出血。左は動かず。毒が腕から全身に周り始めている。


「か…はッ……あ、あれは、渡せないッ」

「手前の命をかけてまでか?そんなにまでして街の秩序を乱そうってのか!」

「嗚呼…そうさ、俺は生きられないんだッ!戦争のない世界などッ!そんな生温く虚幻に過ぎない平和などいらん!!」


男が叫んだ刹那。その場に耳鳴りのような機械音が鳴り響く。先程男が操作していた場所から空に向かって何かが放たれた。小型のそれは物凄い速さで空へと駆けて行く。


「さあ行け!同胞達の元へ!そしてこの腐った平和に浸る世界を再びあの命を燃やし尽くす地獄の戦場へと戻してくれ!!」


血を吐き出しながら男が歓喜に叫ぶ。中也は理解した。あの小型機に詰められているのが探していた兵器だ。



如何すればいい。あの兵器を飛ばしてはならない。疾く回収しなければ手遅れになる。中也は拳を握りしめた。


『(っ、射程外)』


ルナは兵器を乗せた小型機に向かって拳銃を構えた。だがそれは既に豆粒のように小さい。この距離からでは拳銃の弾は届かないだろう。


「ルナ!!こっちに撃て!!」


その叫び声にルナは振り返った。中也が手をこちらに差し出している。その意味を理解し、ルナは銃口を小型機から中也へと向けた。


そして、撃った。



放たれた弾丸は吸い込まれるように中也の手に触れ、そして、軌道を変える。


重力操作によって倍増されたスピードで空気抵抗を無視しながら弾丸が上空に向かって突き進む。


重力の乗った銃弾は空に星が駆けるように小型機を貫いた。兵器を乗せた小型機は機動力を失い部品を飛び散らせながら落下していく。



その場に静寂が漂った。


小型機が落下して行く様を見届けて中也が安堵の息を吐き出し、ルナも同じように安堵して拳銃を下ろした。


どさっと音を立てて男が雪の上に崩れ落ちる。



「……何故、だ?何故判らない。貴様等も同じではないか。貴様等は闇の住人だろ。なら、判るだろ?…この世界が生温い平和でしかないと……泥を啜り、血を浴びる戦場で過ごした者は……この平和の世では生きられないと……」


男は寂れた声で嘆く。憎しみや怒り、恐怖。そして、喪失感や悲しみ。簡単な言葉では云い表せない感情が今も尚、男を戦場に縛りつけたままだった。仲間が死に、死んだ方がマシだと思える程の痛みも知った。無知な人々が与えられた日常を過ごす中で、男は自国の為に命を捧げ続けた。誰も助けてはくれない絶望の中で男は戦場の中で生きるしかなかった。そして、そこで命を終える筈だったのだ———————。


だが、気づいた時には戦争が終わっていたのだ。人々が平和を享受し、安寧の中で過ごしているのをみると未だに戦場で踠く己の魂が慟哭する。


「戦場こそ我魂の安寧。故に俺は再びこの地に戦を呼び戻す。闇に生きる貴様等もそれを望むだろう?」


狂気に満ちた男の目が中也を見下ろす。毒が体中に周り、目から血を流して嗤う男はまるで戦争に取り憑かれた亡霊のようだった。


「手前のような戦争狂者と一緒にすんじゃねぇよ」


いつもより低い声で中也が云った。男の首がギリッと音を立てる。中也の指が男の太い首に食い込み、男が呻いた。それでも中也は手を緩める事はせず、鋭利な瞳で男を睨み上げる。


「慥かに俺達は他人の命を奪う。暴力で搾取し、時には大勢の一般人をも巻き込む抗争を巻き起こす。何の罪もねぇ命を散らす点は手前の云う戦争と変わねぇ」


低く、だが何処か静かな声で中也は云った。そんな中也の様子をルナは背後で見守る。マフィアでありながら誰よりも“正しさ”を持つ中也。それ故に背負う業が中也は他人より多すぎる。


「だがな」


だが、中也は決して弱くなかった。悲しい程に誰よりも強い心を持っている。昔も、今も。


中也は強い意志が籠った瞳で続けた。


「俺達マフィアにはマフィアなりの矜持っつーもんがある。今の首領はあらゆる手段で合理性を制御することで組織の統率を常としている。組織が組織である為にな。そうやってあの街の秩序を守ってんだ」


中也の手が容赦なく男の首を締め上げる。男は毒と酸欠で苦しみ踠きながら血走った目で中也を見下ろした。


「街の秩序を奪う奴は誰であろうと赦さねぇ。それを奪うとする奴はどんな手段を使っても俺達ポートマフィアが制裁を下すぜ」


ゴキっと男の首が折れた。呼吸が停止。四肢も麻痺し、軈て男は生き絶えた。死体となった男はどさりと音を立てて地面に落ちる。赤黒くなった血が雪を染めていく。その様子を見下ろして中也はルナの方へ振り返った。


「ターゲットは排除した。落ちた兵器を見つけて帰るぞ」

『うん』


ルナは頷き、中也の足元に転がる死体を眺める。いつの間にかまた雪が降り出していた。パラパラと降り落ちる雪が男に降りかかる様を見据え、ルナは冷えた唇で息を吐き出した。


『人々の平和の為に戦っていた軍人なのに、自らその平和を壊そうとするなんて……』


冷たい雪が舞い降りる。真っ白い雪の雫が血溜まりの中で赤く染まり、音もなく消えていった。


『戦争に心を食べられた人は本当に哀れだよね』


ルナが何を思ってそう呟いたのか中也には判らなかった。だから、いつもよりも静かで抑揚のない声を聞き、雪が降り始めた空を仰いだ中也は「そうだな」と頷く事しかできなかった。







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