第十五章 熱を乞う雪を欺く



雪が吹き荒れる音。
それに打たれ、木々が悲鳴を上げる音。



生き物の息遣いさえ死に絶えるような凍てついた寒さは外部のものを寄せ付けず、この雪山自体が凍てついた牢獄のようだった。


木の枝にのった雪が滑り落ちる。バサバサと音を立て、そして静寂。



数秒して、何メートルも積もった雪が中から揺れた。



雪の地面から現れた巨大な白銀の獣。まるでこの銀世界の主のようなその姿は吹雪が吹き荒れる中でも美しかった。


『……もう最悪』


襟元をイヴの口に咥えられ、宙吊りになっているルナが眉を顰めて息を吸い込んだ。全身の服はびしょ濡れで、躰は氷のように冷え切っている。指先が霜焼けで赤くなり、小刻みに震えていた。


雪の中に埋もれ遮断されていた酸素を肺に取り込んだ後、ルナはイヴにありがと、と伝え下ろしてもらう。自分が落ちてきた崖上を見上げてもそこは何も見えない。結構な高さから落ちたことが判った。


『中也…大丈夫かな……』


落ちる前、一瞬見えた中也の姿。あの場所なら雪崩に巻き込まれずに済んだだろう。ならば、元軍人の男を捕らえただろうか。恐らく奴は足封じの為に姿を現したのだ。その足封じが雪崩だとしたら、此方はまんまとやられた訳だ。


『……寒い』


ルナはポツリと呟き自分の腕を摩る。手は悴み、服は濡れている。首に巻かれているマフラーさえ濡れて温もりなかった。


ルナは辺りを見渡す。見渡す限り雪が積もっているだけで人の気配はない。このまま此処にいても凍死するだけだ。


『中也と合流しないと』


ルナは自分が落ちて来た場所を見上げた後、自分が埋もれていた雪に視線を落とす。足で蹴ってみても下の方はビクともしない。雪は積もり重なる重みで岩のような硬さだ。


『この辺かな…。イヴ、お願い』


ルナに応えてイヴが自身の尻尾を振り上げた。そのまま巨大な尾で雪を掃くよう払い退ける。岩のようだった雪がいとも簡単に粉々になった。


そして、雪を掻き分けたそこから男の右手が現れる。それが力無く垂れ、ピクリとも動かなかった。ルナはそれを掴み、雪の中から引っ張り上げた。それは先程の軍警の男だった。彼はぐったりとしていて、既に息をしていない。落ちた衝撃で気絶し、雪の中で呼吸困難になって窒息死したのだろう。


ルナはその死体を無表情に見下ろし、男の懐を弄る。出てきたのは無線機ともう一つの機械。探索装置だ。青い四角と赤い丸がある。恐らくこの青い四角が男が云っていた元軍事施設がある場所だろう。そして、この赤い点滅が現在地ならば随分と下に落ちてきてしまった。


ルナはそれを濡れた服にしまい、死んだ男を見遣る。降り落ちる雪が男の体に積もり出していた。恐らくこの男は自分の死を覚悟して、ルナを道連れにでもしようとしたのだろう。ルナは男が最後に云っていた言葉を思い出す。


『秩序を乱しているのは、兵器を易々と奪われるアンタ達でしょ』


ルナは無表情にもう動かない男へそう云った。生き絶えた男の上に白い雪が積もっていくのを眺め、ルナは踵を返した。


『さてと、如何するかなぁ』


ルナは先程自分が落ちてきた崖を見上げる。イヴの力で先刻いた場所に戻れなくもないが、中也と行き違いになるのも困る。屹度、中也は崖の下に落ちたルナを助ける為に崖を下っている筈だ。


『此処で…待ってた方がいいかな…』


氷の礫が混じった強風がルナの髪を乱暴に靡かせる。飛ばされそうになったマフラーを押さえて、ルナはない筈の温もりを求めるようにそれに顔を埋めた。


『…寒い』


白と灰色の世界でただ一人。手先の感覚はなく、生きてる心地がしないその世界でルナは自分を守るようにその場で蹲った。





***




「ルナ!!何処だ!いたら返事しろ!」



中也は冷えて固まった喉を奮い立たせて叫んだ。叫ぶ度に凍った冷気が喉を焼くが、そんな事は如何でもよかった。ルナが崖下に落ちてからもう一時間が経とうとしていた。ルナの名前を何度も呼び、盛り上がった積雪があればそこを掘り返す。それを幾度と繰り返したが、掘っても掘っても雪しか見えず奥歯を噛み締めた。


「雪に埋もれて見逃したのか。それとももっと下まで落ちちまったのか?ルナ」


もし未だにルナが雪の下で生き埋めになっているとしたら、時間が経つにつれ生存の確率は低くなる一方だ。くそっと中也は焦りから積雪を無造作に殴る。粉雪が空中を舞いそのまま再び雪で覆われた地面に落ちてどれだか判らなくなった。


「—————ルナ」


拳を握りしめ、もう一度歩き始めた中也の耳が何か音を拾った。悴んだ耳を澄ませば、下の方から獣の遠吠えが聞こえる。


「……まさか、イヴ……か?」


中也の胸に希望の光が差し込んだ。急いで遠吠えが聞こえる方へと駆け降りる。イヴがいるという事はルナが生きている。屹度これはルナからの合図だ。


中也は急いで崖を降りる。
吹雪が吹き荒れる中、うっすらと見えた巨大な影。


そこにイヴはいた。そして、その足元に探していた愛しい存在がある事に気づき、中也は直様駆け寄る。


「ルナ!おい!しっかりしろ大丈夫か!?」

『…あ、中也。善かった無事だったんだね』

「それはこっちの台詞だ。お前大丈夫かよ。びしょ濡れじゃねぇか。これじゃ凍え死んじまう」

『あはは、慥かに一寸寒いなぁって』


笑ってはいるが何処か虚な目をしているルナを危険に感じて、中也は自身の着ている外套をルナの肩にかけようとした。だが、自分の外套も結構な程濡れている。ルナを探す為に雪の中を掻き分けたんだ。無理もない。


中也はそう云えばとある事を思い出す。それはルナを探している時、洞窟らしき空洞が此処から少し上にあった事を思い出す。


「あそこなら雪風を凌げるな」


中也は冷え切ったルナを抱き上げ、記憶を辿りながらその洞窟に急いで向かった。





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