第十四章 あの空をもう一度見れるなら





首領を無事に執務室に送り届けた後、早々に首領執務室を離れルナは拠点の廊下を歩いていた。


買い物の後は毎度決まって幼女の試着会が行われる。中年オヤジがだらしない顔で幼女に買った服を着せ替えていくあの気色悪い空間に一秒たりともいたくはない。


つまりその間ルナに暇が出来た訳だが、生憎と中也は仕事中で拠点内にはいない。出張から帰って来たばかりだと云うのに中也も忙しそうだ。


となれば暇な時にする事は大体いつもシュークリームを食べる事。藍花の訓練という暇潰しが頭に浮かんだが、ルナにとってはシュークリームの方が優先だ。


「あ、師匠!」


ルナ専用の冷蔵庫が保管してある場所に向かう途中、藍花に逢った。藍花はルナの前まで駆け寄ってきて目の前で止まり、敬礼の姿勢をとった。


「シュークリーム無事冷蔵庫までお届けしました。流石師匠です!どんな積荷を運ぶ時も油断せず、ですね。あれが敵察知の訓練だったなんて私最初気づけませんでした」

『敵察知の訓練?何の事?』

「え?」

『え?』

「……。」


藍花が何か勘違いしてそうな事は却説おき、ルナは彼女をジッと観察する。


「な、何か?」


ルナが微動だにせずに見てくるものだから藍花は戸惑う。まさか口許におにぎりの海苔滓でも付いているだろうか、と藍花は自身の口を袖で拭う。


『ランちゃん…、私がいない間何してた?』

「へ……。師匠が首領の元へ行った後はシュークリームを冷蔵庫に運んで、ずっと自主練をしていましたが…」


ルナはふーん…と頷き、歩き出した。藍花は訳が判らず首を傾げたが、如何やら口に海苔はついていないようだ。暫し自身の口許に気を取られていば、どんどん歩いていくルナに置いていかれそうになり、慌ててルナの後についていく。


「あ、あの何方に…」

『暇ができたからおやつタイム。シュークリーム取りに行くの』

「あ、でしたら私お茶を淹れますよ」

『そ?じゃあお願い』


断られなかった!と藍花は嬉しそうに目を輝かせて、はい、と返事をした。そんな藍花を尻目にルナはそれ以上何も云わずに冷蔵庫がある部屋へと向かった。






専用の冷蔵庫に辿り着いたルナはそこからシュークリームの入った箱を10箱くらい取り出した後、それをティールームへ運んだ。給湯室で藍花がお茶を用意して、シュークリームを食べ始めているルナの前に置く。既に4箱が空になっていた。


「師匠は、シュークリームがお好きなのですか?」

『うん、だーいすき』

「……な、何だか師匠ご機嫌ですね…」


周りに花を飛ばしながらシュークリームを頬張るルナを見て藍花は不思議に思った。あんだけ意気消沈していたのがまるで嘘のようだ。そこで藍花は昼間に聞いた会話を思い出した。


「あ!若しかして“チュウヤ”という方に逢えたのですか?」


何個目かになるシュークリームに伸ばされた手が止まる。そして、ゆっくりとルナの瞳が藍花に向いた。


『中也の事知ってるの?』

「え、いえ。先程遊撃部隊の方と話されていた時に名前を聞いて…」


がらりと変わったルナの雰囲気に何か拙い事を云ってしまっただろうかと藍花は冷汗を掻く。口を噤んだ藍花から視線を離し、ルナは伸ばしかけていた手でシュークリームを一つ取った。


『中也は私の恋人だよ。ずっと出張中だったから逢えてなかったけど、先刻帰ってきたの』

「こ、恋人…ですか?」

『何?』

「い、いえ!師匠に恋人がいらっしゃるなんて初めて知ったので」


頬を指で掻きながら俯く藍花にルナは『ランちゃんは?』と訊き返した。藍花は最初その質問の意味が判らず首を傾げたが、ルナが『好きな人いないの?』と続けて問いかけて漸く自分が問われている質問の意味を理解した。所謂、これは恋話というもの。まさかそれを上司であるルナとするとは思っておらず慣れない質問に藍花は頬を赤くし、両手を左右に振った。


「い、いえいえ!いません!私には」

『そうなの?』

「生まれてこの方、好きな人すら出来た事なく…」

『ふーん』


訊いた本人にも関わらずルナは興味なさそうに藍花が淹れたお茶を啜った。藍花はそんなルナに苦笑しながら、視線をそっと窓の外に向ける。




窓の外には、夕暮れの空を烏が2羽飛んでいる。



沈み行く優しい陽の光に目を細めて藍花は小さな唇を動かした。


「でも、こんな私にも…大切な人ならいますよ」

『へー誰?』

「私の兄です」


嗚呼家族か…とルナはありきたりな答えに納得し、お茶を喉に通した。


「……もう死んでしまいましたが」


無理に藍花が笑う。ルナはチラリと横目で藍花を見やる。藍花は窓の外に視線を向けており、光に照らされたその横顔は哀愁を漂わせていた。


そう云えば今更だが藍花に彼女の過去を詳しく訊いた事はなかった。書類上の情報ではポートマフィア加入が約一年前。家族構成は父母兄。既に両親は他界し、唯一の肉親である実兄も半年前に病で死んでいる。藍花には他に血縁者もおらず天涯孤独。しかし、裏社会では対して珍しい事でもない。寧ろ黒社会で生きるなら血縁関係など切った方が家族の為だ。


ルナは飲み終わったカップを机の上に置き立ち上がった。


『ご馳走様。お茶美味しかったよ』

「本当ですか!?」


先程の表情は何処へやら目を輝かせる藍花にルナは素直に頷く。


『でもお茶淹れられるよりも、先ずは殺気を消せるようになって欲しいな』

「うっ…しょ、精進します」


ルナの言葉に胸を衝かれた藍花は肩を落とす。そんな彼女に振り返り、ルナはにこり、と微笑んだ。


『暇ができたから夜まで訓練に付き合ってあげるよ』


藍花はカップを片付けていた手を止めて、「お願いします」と頭を下げた。






***




「あ、いたた。う、腕が」


自身の腕を摩りながらルナの後について歩く藍花。結局今回の鍛錬でも藍花の武器はルナには擦りもせず。100を超える回数鏢を投擲しまくり藍花の腕は疲労で悲鳴を上げている。殺気を消すという目標はまだまだ遠そうだ。


『あ!』


前を歩いていたルナが急に足を止める。藍花は危うくルナにぶつかりそうになったが、自分より小さなルナに突っ込むのを阻止する為爪先に力を込め、何とか直前で止まった。


『中也!』


嬉しそうに弾んだ声が廊下に響く。藍花はルナが駆けて行った先にいる人物を見やった。黒帽子を被った青年。壁に寄りかかってルナを待っていた。


『今日の仕事は終わったの?』

「嗚呼。手前は?」

『私も終わった』


ルナと親しく話す青年。その姿に藍花は目を瞬かせる。特徴的な黒帽子。昼間、曲がり角でぶつかった人だ。しかし今慥かにルナは彼の事を“チュウヤ”と呼んだ。


「(……師匠の恋人…だったんだ)」


離れた場所で立ち止まり、二人を眺める藍花。そのまま暫く二人の会話が終わるのを待っていたが、数分もしない内に二人の視線が藍花に向いた。


藍花は目が合った中也に会釈する。青い瞳が観察するようジッと此方を見据え、その瞳に無意識に胸が鳴ったが、彼は何かを思い出したかのように「嗚呼」と首を縦に振った。


「手前、昼間に廊下でぶつかった奴か」

『え、中也、ランちゃんと逢ってたの?』

「嗚呼。大量のシュークリーム運んでたから若しやと思ったが、やっぱお前の部下だったんだな」

「あ、あの時はありがとうございました」


深く頭を下げる藍花に中也は「気にすんなよ」と片手を上げる。


「まあ、此奴の部下は大変だろうが頑張れよ。俺は中原中也だ。これから此奴の事よろしく頼むぜ」

『一寸中也、面倒見てるのは私の方なんだけど』


中也の釈然としない言葉に自身に指を差して頬を膨らませるルナ。藍花はそんなルナに何て云ったらいいか判らず苦笑する。


「私は相馬藍花と申します。中原さんですね、よろしくお願い………ぇ、中原?」


藍花はそこで漸くある事に気付いた。


“中原中也”。その名前に聞き覚えがある。中原と云ったら……。


「え……若しかして、ご、ご五大幹部の…」


思わず指を差してしまった。今目の前にいるのはあのポートマフィア五大幹部の中原中也。名前こそ知っていたが、実際に逢ったのは初めてだ。


「…おい、手前の部下大丈夫か?固まってんぞ」

『あー大丈夫大丈夫。この子いつもこんな感じだから』


つい此間まで下級構成員だった藍花。天と地のような地位の差があったのに、今目の前にいるのは首領専属護衛と五大幹部。ルナの直属の部下という爆発的な昇進を果たした藍花だが、些か彼女には刺激が強すぎる毎日のようだ。



暫くして正気を取り戻した藍花は敬礼したまま去っていくルナと中也を見送る。


下げていた頭を上げて藍花はゆっくりと視線をルナに向けた。見たこともない上司の表情。中也の隣を歩くルナは可愛らしい笑顔で微笑んでいる。かの有名な残虐で無慈悲な暗殺者には到底見えなかった。


そして、それは中也も同じ。圧倒的な実力を持つ五大幹部の一人。その戦闘力は強者揃いの五大幹部の中でも群を抜いていると聞いている。好戦的だが厳格な性格。そんな噂を耳にして怖いイメージがあったのだが……。



「…なんて、優しい目」



ルナを見つめるその青い瞳は何処までも穏やかだった。




遠くからでもそれがよく判る。藍花は無意識に自身の胸元の服を握り締め、二人の姿が見えなくなるまでその横顔を眺める。



そして、藍花はその穏やかな温かさを目に焼き付けた後、ゆっくりと反対方向へと踵を返し、その場から姿を消した。








***






無数の黒煙が立ち込める。
それはまるで雲を喰らい尽くす邪龍のように空に漂っていた。




足元に転がる死体。


死因は様々。爆発で体が吹き飛んだもの。後頭部に弾丸が撃ち込まれたもの。喉や心の臓を刃で貫かれているもの。



見慣れた惨状。
抗争という名の死神が通り過ぎただけの光景。



それが大規模であろうと小規模であろうと少なからず命は散り、血塗られた肉塊が残る。



黒煙と土煙が舞う中、もう動かない肉塊を芥川は見下ろした。


「芥川先輩、これは一体……」


芥川の一歩後ろに立っていた樋口が床に転がる死体を一瞥し、芥川に視線を向けた。


芥川は数秒その死体を眺めた後、ゆっくりと踵を返す。


「敵組織同士の抗争に巻き込まれたか。標的が死んでいるならば任務は終わりだ。報告書には僕等が手を下す前に死亡していたと書け。それにこの死体の惨状もな」

「はい」


樋口は去っていく芥川に頭を下げる。そして、もう一度絶命している男の死体に目を向ける。そして、その側に転がる幾つもの死体達にも。


抗争の中で絶命した者の惨状は死因と同様様々だ。爆発で体がバラバラになった死体。額に穴の空いた死体。どれも見慣れた死体だ。



けれど、此処に転がる異質な死体達。


樋口は辺りに転がる死体を見渡し、冷汗を垂らした。



「この死体達、何故どれも……



––––––––––––目がないのだろう」



煙と血の匂いを混ぜた生温い風が樋口の横を通り過ぎた。










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