第十四章 あの空をもう一度見れるなら





『貴女、名前は?』


ルナの一歩、否二歩後ろを窺うようについてくる今しがた部下になった女性。彼女は、ルナの問いに返事をして敬礼の姿勢をとった。


「は、はい!相馬藍花と申します!」


ルナにはっきり喋れと云われた手前、声を張り上げて話す“相馬藍花”と名乗った彼女。しかし、はっきり喋れ、とは声を大きくしろと云う意味ではなかった為、ルナは廊下に響いた彼女の高い声に眉を顰めた。


『そんな声出さなくても聞こえるよ』

「は、はい。すみません」


ルナの一文一句に吃り俯く彼女。こんなんで本当に暗殺者なのかと疑ってしまう程彼女から自信が感じられなかった。


『まあ、いいや』


今更人選を変更など面倒なだけだ。あの中からではルナのお眼鏡に叶う者などいやしないだろう。


『そう云えば、ランちゃん』

「ら、らんちゃん?」

『ランちゃんは異能力持ってる?』


突然ルナに綽名をつけられ、呼ばれなれない名に戸惑っていればこれまたルナから突然の質問。藍花はその質問に肩を強ばらせ、静かに首を横に振った。


「ありません。…あの、異能力者でなければいけませんでしたか?」

『ううん、異能がなくても問題ないよ。まあ、能力にもよるけど、根本的に異能力と暗殺術は別だもの』


異能者が重宝されれるのは確かだ。その能力の強さや利便性において優れている者ほど組織内では功績を残しやすい故、上の地位を得やすい。しかし、それは単に異能を持っているだけでは効力はない。その異能が如何に組織に利を成すかだ。武力、利便性、希代。それが高くなければ闇社会では地べたを這いつくばるだけだ。逆にそれに反するもの程奇怪であり、意味を得ず、己から権利を奪う。


組織とはそういうものだ。だからこそ、藍花は驚いた。絶対的な強さを持つ首領専属護衛だからこそ、武力を重んじると思っていたのだ。しかし、ルナは藍花の問いにあっさりと首を横に振った。それが意外だった。


『さてと、先ずは実力を見せてもらうかな』

ルナのその言葉に藍花は肩を跳ねさせて身を強ばらせる。遂にこの瞬間が来た。予想はしていたが、いきなり来られると引き締めた決意が崩れそうになる。何せ首領専属護衛の部下になろうとしている第一難関、つまり実力を見せる機会である此処で失敗したら即首だろう。


『じゃあ、はいこれ』


ルナが藍花に書類を手渡す。親指くらいの太さがあるその書類の束を受け取り、藍花が戸惑った顔でルナとその紙束に視線を彷徨わせた。


『実力を見るには実践が一番。それ、私が戻ってくる迄に頭に入れといてね。私は他の任務があるからそれ片付けたら連絡する。多分一時間くらいで帰ってくるから』


藍花はこれでもかと目を大きく見開いてルナと書類を交互に見やる。


「こ、これ全部ですか?」

『?当たり前でしょ』


当然のように首を縦に振るルナに藍花はそれ以上何も云えなくなった。分厚いそれは両手で持ってもずしりと重い。その書類にはターゲットの詳細や建物の構造等暗殺に必要な情報が書かれている。藍花とて暗殺者の端くれ。これを頭に入れなくてはならない事など判っている。しかし、それを一時間で覚えろと?目を通すのでさえ半日は掛かりそうだ。


「あ、あの下見…とかは……」

『ん?それって必要?そこに建物の構図が載ってるからそれで十分でしょ』

「……は、い」


もう頷くしかない。まるで1+1を暗算で出来ないような恥ずかしさだ。しかし、実際には藍花が並であり、ルナが異常なのだ。今の会話では藍花に共感できる者の方が多いだろう。


『まぁ一時間でも多いと思うけど、暇だったら指定の場所に行っといてね』

「え……、は、はい」


ルナは片手を振って踵を返す。その背中を見送り、藍花はその場で固まって佇んだまま恐る恐る書類の一頁目を捲った。びっしりと詰まった文字かこれまたびっしりと列を作って並んでいる。


「え……、如何しよう。覚えられない」


先程喉から出かかった言葉が藍花の口から零れた。




***



『……。』

「はぁ、はぁ、すみま、せん。私の実力が劣るばかりにお手を煩わせてしまって」


頬についた血を拭い藍花は息を乱しながらルナに頭を下げる。


あれからルナは宣言通り一時間で帰ってきた。その後、結局藍花は書類の情報を頭に入れられないまま任務は開始。結論から云えば暗殺どころではなかった。今回の暗殺ターゲットのいる建物に潜入してものの数分で藍花の侵入がバレた。武装したターゲットの護衛に追いかけ回され、挙句の果てにはルナが護衛諸共殲滅する羽目になった。


ルナは腕を組んで目の前の彼女を見据える。


『(この子本当に暗殺者?今までどうやって仕事してたんだろ)』


眉間に皺を寄せるルナを見上げ藍花は顔を青褪めさせたまま萎縮していった。藍花の脳裏に首と云う末路が過ぎった。


『はぁ、ランちゃんの実力は判った。これは一から鍛え直さなきゃ駄目だね』

「え……きたえ…首でなくて、ですか?」

『首になりたいの?』


藍花はぶんぶんと頭と両手を横に振る。またも藍花はルナが意外だと思った。任務に失敗しようものなら即座に切り捨てられると思っていたのだが、ルナにそんな様子はない。寧ろ献身的で、自分に稽古までつけてくれると云う。失いかけていた自信が期待に変わり、胸を高鳴らせた。


ルナは携帯が振動を立てたのに気づき、取り出してそれを指で操作するが、送られてきたメッセージを見て指の動きを止めた。


暫く携帯の画面を見つめるルナ。その瞳が揺れる。ルナは黙ったまま携帯を見つめていたが、小さく息を吐き出して藍花に視線を向けた。


『さあ、帰ろうか』


にこり、と笑ったルナ。その笑顔はルナの今の心境に反するものだったが、そんな事露知らずに藍花は、はい!と元気よく返事をした。しかしこの後、彼女はこのルナの笑顔が悪魔の微笑みであると知る事になるのだった。




 





***


 


『暗殺者の基本は先ず自身の殺気を消す事。プロの暗殺者は“己の殺気を殺し、殺気で相手を殺す”と云われてるくらいだからね。いい?ランちゃん』

「はい!」

『じゃあ、先ずはい。私に攻撃を当ててみて』


ルナは藍花に背を向けて両手を広げた。藍花は自身の得物である鏢を構え、戸惑いの表情を見せた。


「でも、もし当たってしまったら」

『万が一にも擦りもしないから余計な心配しなくていいよ』


藍花は鏢を持つ手に汗を掻く。その汗ばむ手で暗器を構え直し、ふぅと息を吐き出した。




––––––––––––己の殺気を消す。



ルナが先程云った言葉を脳裏で繰り返し、藍花はゆっくりと目を向けた。そして、ルナの背中目掛け刃を投擲した。藍花とてマフィアの暗殺者。愛用の得物は狂いなく真っ直ぐルナの背中に投げられる。


しかし、それは当たる事はなかった。小石を跨ぐような小さな動作でルナはいとも簡単にそれを避けてみせた。


『もう終わり?そんなんじゃ寝てても当たらないよ』

「……ま、まだまだです!」


声を張り上げ藍花は意気込みながらルナに得物を投擲し続けた。




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