第十四章 あの空をもう一度見れるなら




次の日、一部の構成員達が招集命令より本部に集められた。


皺のない黒スーツ。手を後ろで組み、ピシリと背筋を伸ばして立っていた。誰の表情にも緊張感が見える。しかし、彼等の中には自身が勝ち取った功績に誇りを持ってこの場に立っている者もいる。


ずらりと整列する構成員達の前、一人の黒服の男が書類を手に厳格な面持ちで立つ。


「これより、お前達に配属先を伝える。これは我らがポートマフィア、その崇高なる組織、崇高なる首領から与えられし光栄。皆、心して全てをポートマフィアに捧げよ」


云い慣れた詩の文句のように男が厳格な声を上げる。それを聞いた構成員達は更に背筋を引き締め揃った声で返事をした。


「では、配属先を伝える。組織の武闘派黒蜥蜴への配属は––––––––––––」


書類に書かれている名を読み上げようとした男は、突然開いた扉に喉まで出きっていた言葉を止めた。


大事な召集に真逆遅刻者でも現れたのかと眉間に皺を寄せたが、扉から入ってきた人物を見た瞬間、サングラス越しの目をこれでもかと開いた。


『嗚呼、どうぞ続けて。後ろで見てるから』

「な、何か御用があって此方に来られたのでは?でしたら、貴方様にお時間を頂く訳にはいきません。どうぞ此方へ」

『あそう?じゃ』


先程まで厳格な態度だった上司が急に腰を折り、吃りながら頭を下げ続ける。それも少女のような見た目の女相手に。


その場の全員が騒つく。隣と顔を見合わせ首を傾げる者。彼女を怪訝な瞳で見る者。上司の態度を察し身を固くする者。彼女を見る目は様々だった。


ルナが段の上に立つ。古参の男がルナの立つスペースを空け端に寄り、騒つく構成員達に声を張り上げた。


「静かに。首領専属護衛様からお話があるそうだ」


それを聞いて全員が目を見開いた。


首領専属護衛。


それが誰であるか、どんな姿をしているのか。それを知る者はマフィア内でも一部の人間。都市伝説とされているその正体を今何の前触れもなく見えた事にその場にいた構成員達は言葉を失うしかなかった。


ルナはその反応を特に気にした様子もなく、一度構成員達を見渡す。配られる視線に全員が背筋を伸ばした。


たった一人の少女。しかし、その纏う雰囲気はこの場にいるどの構成員達とも違う。彼女はポートマフィアが黒社会での地位を勝ち取った矛であり、その崇高なるポートマフィア首領、森鴎外を護る最強の盾。


しかし、かの有名な専属護衛が女性であり、しかもこんなにも若いとは想像すら出来なかっただろう。構成員達には隠せきれない驚きと困惑が表情に出ていた。


『この中にいる暗殺を専門としている者。腕に自信がある人は手を挙げて』


シーン、と辺りが静まり返る。ルナは首を傾げて辺りを見渡す。森が云うにはこの中にも暗殺者が何人かいると聞いていたのだけれど、誰も手を挙げる様子はない。ルナは眉間に皺を寄せた。


『何、いないの?』


実際この中に暗殺を専門としている者は数人いた。だがしかし、ポートマフィア随一の天才暗殺者と謳われるルナを前にして、手を挙げる勇気を持った者など彼等の中にはいないのだ。そんな事を知る由もないルナは溜息を吐いて、腰に手を当てた。構成員達の中に額から冷や汗を流しながら手を挙げるか迷う者が何人かいた。


『何だ、いないのか。じゃあ、私の直属の部下になる話はこれで終わりね』


直属の部下、その言葉に何人かの目付きが変わった。


「あ、あの!首領専属護衛様!!」


台から降りようとしたルナに最前列にいた黒服の男が勇気を振り絞って声を上げた。ルナの足が止まり、男に視線が行く。


『何?』

「あ、あの直属の部下と云うのは。貴方様の部下になれるという事でしょうか?」

『そうだけど。何貴方志望者?』


男はその問いに固唾を呑み込んだ。否、彼だけでない。この場の全員が同じ事をしただろう。首領専属護衛の直属の部下。それに選ばれた者はなんと名誉な事だろう。


しかし、彼等には直ぐに足を踏み出せない理由がある。それは目の前の彼女の組織内での噂だ。何処までが真実で何処までが虚言かは判らないが、彼女の噂はお世辞にも善いものとは云えない。〝菊池ルナは気まぐれで仲間を殺してしまう。〟そんな黒い噂の所為で彼等がその名誉な立場にあと一歩手を伸ばせない訳だ。


否しかし、この闇社会で生きる為に力を追い求める事こそマフィアとなった己の行く道。


先程勇気を振り絞ってルナに話しかけた男が決意した面持ちで顔を上げた。そして、手を上げようと腕に力を込めた。


『あ、云い忘れてたけど出来れば女の子で』


右肩のスーツがずり落ちた。男は狐に頬を掴まれたかのような表情でずり落ちたスーツを直す。中途半端に挙げていた手を下す事も出来ずに、変なタイミングでルナと目が合った。


『え、貴方女の子なの?』

「い、いえ。男です」


吃りながら構成員が答えた。


「あの、男ではいけませんか?」

『アンタ私に興味ある?』

「……はい?」


ルナの謎の質問に男が阿保みたいに口を開ける。


『私の事如何思う?』


これは如何答えるのが正解なのだろうか。最前列の男だけでなく、この場の全員がその答えを必死に探した。


男はルナの瞳を見詰める。そこでハッと我に返り困惑している頭を必死に冷ます。


そうだ。恐らくこれは試験なのだ。首領専属護衛の直属の部下になる為の。立候補だけでその名誉なる立場になれる筈がない。彼女の突拍子もない問いこそが、その地位を勝ち取る為の試練。


男は真っ直ぐルナを見詰めた。


首領専属護衛。都市伝説とされているマフィアの黒。その天賦の才能こそマフィアの利。彼女を知る者は少ない。彼女の姿さえ、年齢さえ、性別さえ、知らない者は多い。今、この瞬間見えた事こそが光栄なる奇跡。


想像していたよりも若く、小柄だったが、その姿はまさに神々しかった。


水浅葱色の髪。毛先は白銀。その髪の一本一本が夜空に流れる天の川のように輝いている。アメジストの瞳は宝石のようで、肌は雪のように白い。幼い顔立ちをしているが、それは恐ろしく端正だ。


男はその姿を目に焼き付けた。そして、ゆっくり芯の篭った声で云った。


「貴方様は、

––––––––––––大変、お美しいです」


『じゃ、ダメ』


あまりにもバッサリと切り捨てられた。不採用。その判を額にデカデカと押されたかのように男は力なく後ろに倒れた。


『(男なら中也が嫉妬しちゃうし、妥協でも私に興味ない人の方が中也は安心だもんね。こんな事で中也を悲しませたくないし)』


ルナの心中など知る由もない構成員達は完全に立候補する自信を失った。仮に先刻の男の逆を答えたとして、かの偉大なる首領専属護衛様相手に「貴方に興味ありません」などと答えたら自身の首が飛びかねない。


ルナは下を向いて視線を合わせようとしない構成員達を適当に眺めた。そして、一つ溜息を零して今度こそ台を降りる。初めから自分の部下になりたいなどと云う者が現れるとは思えなかった。別に期待はしていなかったし、ルナも対して気にはしていない。寧ろ面倒事が減ると思うと好都合だ。立候補者がいなかったのでこの話はなしで、と首領に伝えよう。


「……あ、あの!」


肩の荷が降りて軽くなったルナの足取りはその声によって止められる。


ルナは声のした方へと振り返った。ルナの視界に入ったのはガタイの良い男達に挟まれて立っている細身の女性。自信なさげに小さく手を挙げて、窺うようにルナを見詰めている。


『何?』

「その、えっと…」

『はっきり喋ってくれる?』


肩をビクッと揺らして背筋を伸ばした彼女が喉を仰け反らせて声を張り上げた。


「は、はい!あ、あ、あの。私も暗殺者なのです。ですから、その…、私、立候補したいのです!菊池ルナ様のぶきゃに…ッ!」



思い切り噛んだ彼女は自身の口を押さえて顔を真っ赤にさせる。そんな彼女を周りの構成員達は冷汗を浮かべながら横目で見ていた。


顔を赤くした後、次に青褪めた状態で固まっている彼女を見据え、ルナは音にならない息を吐き出した。それは、呆れるというよりもある種の決意にも似たものだった。


『いいよ。じゃあ、今から貴女が私の部下ね』


二つ返事で了承したルナに彼女が驚きに満ちた顔を上げる。しかし、ルナは既に扉に向かっていた。まだ今の状況に追いつけていない彼女はその場で固まったまま動けなかった。


扉に手を掛けたルナが眉を寄せて、振り返る。


『ねぇ、何してるの?疾くおいで』

「は、はい!申し訳ございません」


足を縺れさせながら駆け足にルナの後を追った彼女。突然の思わぬ来訪者に、突然の出来事。この状況に全くついていけず残された構成員達は暫くその場で静まり返っていた。







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