第十三章 Hidden pieces of Heart




予め用意しておいた部屋に芥川を招き入れる。部屋には机が一つと、椅子が三つ。その机の上には無花果のケーキと皿の上に積み重なったシュークリームがティーセットと共に置かれていた。


『先に座ってて龍ちゃん。直ぐお茶を入れるからね』


ルナに促されるまま芥川は椅子に腰掛ける。大人しく席に着いた芥川を見届けて、ルナはテーブルから少し離れた場所で芥川に見えないように背中を向けながらカップにお茶を注ぐ。 


三個のカップからは香りが漂い湯気が立つ。ルナはそれを見据えた後、チラリと芥川を盗み見た。


芥川は特に怪しんでいる様子もなく静かに目を閉じて待っている。


『(よし…)』


懐から取り出した例の薬品を三つあるカップの内一つに注いだ。とぽとぽと音を立てて注いだそれはお茶の色と同化して消えていく。ルナはニヤリと口角を上げた。


『(これで準備万端。先刻連絡入れといたからもうそろそろ樋口ちゃんも来る筈)』


時計で時間を確認した後、ルナはカップを持って何食わぬ顔で芥川に振り返った。


『はい、これ龍ちゃんの。お菓子も遠慮なく食べてね』

「ありがとうございます。……他にも誰か来るのですか?」


ルナが机に置いたカップは三つ。その数と今此処にいる人数に疑問を持った芥川がルナに問う。ルナはにこっと笑って頷いた。


『うん、あと1人。もうすぐ来ると思うよ』


ルナがそう云った直後、ルナの携帯が音を立てて鳴った。こんな時に誰だ?と思いながら携帯に表示された名前を見てみれば、それはお茶会に招待したもう一人の人物だった。ルナは芥川に『一寸ごめんね』と云い残して席を外す。部屋を出て扉の前でコソコソと通話に出た。


『如何したの?樋口ちゃん』

〈「あ、ルナさん。すみません、仕事の書類を首領に提出してから其方に向かいますので、もう少し時間がかかりそうです」〉

『え?あ、そう?でももうお茶入れちゃって冷めちゃうし、首領への提出なら後で代わりに私がしとくよ』

〈「いえ、大丈夫です。急ぎの書類ですし。私は後で頂きますので、ルナさんはお先に召し上がってて下さい。では、また後程」〉

『えー。あ、切れちゃった』


ツーツーとなる携帯を見遣りルナは溜息を吐いた。こんな時にいつもタイミングが悪い首領に舌打ちが出てしまうが、樋口がまだ来れないなら待つしかない。仕方なく部屋に戻る事にした。


『ごめんね、龍ちゃん。もう一人の子がまだ来れないみたいで、お茶飲むのはもう少し待って、て

…………………あ、』


素っ頓狂な声を出した時には時すでに遅し。ルナの目に映ったのは、お茶を飲んでいる芥川だった。そして、そのままぱちりと目が合い。ルナはサァァと顔を青褪める。


『ありゃましまった如何しよう』



ルナの脳内に数刻前の梶井の言葉が過ぎった。


その惚れ薬の効果は––––––––––––。


【薬が喉を通って数秒後、一番初めに目に映した異性に惚れる】


芥川は惚れ薬入りの茶を飲んだ。そして、その数秒後、一番初めにバッチリと目があった。それは如何云う事かと云うと、つまり……。



芥川はふらりと立ち上がる。



そんな彼を見据え冷や汗を垂らして後退ったルナは、こりゃまずい、と呟いた。



『あ、はは…えっと一寸待ってね!あ、そうそう私何か用事思い出した!うん!』


冷や汗を垂らしながら早口でそう云ったルナは回れ右をして扉に向かう。


『うっかり、うっかり…ッ!』


扉に伸ばしたルナの手が止まる。後ろから伸びてきた手がルナより先に扉に触れた。背後に立つ気配。ルナは首だけ振り返って背後をチラ見する。


「ルナさん」


いつもより温度のある声が頭上から聞こえた。


「ルナさん、僕を置いて何処に行かれるおつもりか」

『え……何処ってほら、ほら、あれだよ』

「中也さんの処ですか?」

『中也?そりゃ中也の処に行きたいけど』


今は唯この場から去りたい、と思っていたルナは急に出てきた問いに曖昧な返事を返す。だが、その返事を聞いた芥川の瞳が鈍く光った。


『わっ!』


急に肩を引き寄せられ蹌踉る。懐に入っていた例の小瓶が床に落ち、丁度それが足と床の間で転がった。


受け身を取ればよかったものの、驚きと焦りでそれどころではなかった。灰色の瞳がルナを見下ろしている。背中に感じる床の冷たさと、いつもとは違う表情の芥川が天井を背景に映し出されているの見慣れない光景だ。


『あー、えっと龍ちゃん?退いてくれる?』

「貴女は…」


ルナの言葉を無視して芥川が続ける。


「貴女は矢張り、変わられた」


静かなその問いにルナは一度開いた口を噤む。


何故、芥川はこうもその問いをするのだろうか。記憶がないからだろうか。それ程に四年前の芥川にとって今のルナは別人に見えるのだろうか。だから、記憶と違うルナにも、そしてそれを受け入れている周りの環境にも混乱しているのかもしれない。


「僕はただ貴女に望んだだけだ。些細な望みだ。だのに、貴女は僕を認めぬ。貴女にとって僕は、汚泥に沈む石ころに過ぎぬのだろう。貴女は変わっていく。僕の知らぬところで…僕を置いて……」


『一寸待って龍ちゃん。何の話をしているの?何か変だよ。って、ごめん。私が薬飲ませちゃったんだった。謝るから一回退こ?』


この体勢から抜け出すのは簡単だが、いくらルナでも自分で薬をもってしまった手前、その被害者である芥川を蹴り飛ばす事も出来ず、何とか説得を試みる。


しかし、芥川にはルナの声など聴こえていない。寧ろルナの手首を掴む手の力が強くなる。


「僕は…ッ!」


堰を切ったかのように芥川を支配していた黒い感情が姿を表す。それは芥川の心中を暴れ回り、まるで渦のようだった。


数日前、その姿を見た時から、ルナにある確かな変化を目の当たりにしてから、芥川にあった真っ黒な感情。


疑惑と焦燥、不安と恐れ。


そして、不明確な悲しみ。


綯い交ぜになった感情が本当に示すものを覆い隠していた。だが、体の内側に入った突然の熱にずっと押し込めていたものが、芥川の中で姿を現した気がした。



出てくるべきじゃなかった。隠しておくべきもの。それは嘗て自分が奥底に仕舞い込もうとした、否、仕舞い込んだ筈の、



––––––––––“一つの感情”。



「僕は、あの時からずっと貴女を……っ」



無意識に動く唇が震えた。オッドアイの瞳が大きく見開かれる。まるで縋るようにルナの細い手首を掴む芥川の力が強くなった。



「––––––––––––貴女の事を、」






その瞬間、音を立てて部屋の扉が開いた。





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