『龍ちゃんさ。今の私が気に食わないんだって』


ふと、ルナが突然溢した呟きに中也は動きを止める。視線を壁の方にやってぼんやりと眺めているルナに中也は眉を顰めた。


「……それ、このタイミングで話す事か？」


中也が眉を顰めた理由はルナが突然突拍子もない話題を出したからだけじゃない。此処は中也の自室。夜、仕事を終えた二人は夜の営みの最中だ。しかも、もっと詳細に云えば、ルナの中に中也のモノを入れる寸前。中也が複雑な顔をするのも判る。


『中也が好きって何度も云ってくれるから、急に思い出して』

「意味判んねぇよ。如何いう話の流れだ」


溜息を吐いた中也は自身の昂ったモノを見下ろす。この状態の待てはあまりにも酷だ。しかし、そんな中也の心中をルナは露知らずだ。それにムカついて中也はルナの晒された躰に手を滑らせる。


「ンな事今は如何でもいいだろうが、続きするぞ」


中也はそのままルナの細い腰を掴んで、ゆっくりとルナの中に肉棒を沈めた。


『んっ…！』

「ルナ」


中也がルナの額に口付けを落とす。その優しい接吻にルナは胸を高鳴らせた。そして、ゆっくりと律動を再開させた中也の首に腕を回し、昂った熱が治まるまで中也に身を任せ続けた。




***



翌朝、ベッドの上で欠伸をしながら起き上がったルナは丁度隣で服を着ていた中也を見遣る。


『おはよ、中也』

「おう、はよ。今日の手前の予定は？」

『特にないよ。首領が書類仕事で忙しいらしいから拠点の外に出る事もないし。だから今日は龍ちゃんの記憶取り戻すの手伝ってあげようかな』

「そうか。俺も任務はねぇが昨日の書類がまだ残ってるから疾く片付けねぇとな。それが終わったら俺も芥川の様子見に行ってやるか」


中也はそう云って立ち上がり、洗面所へと向かう。そんな中也の背中を見送り微妙な顔をして腕を組んだルナだが、そそくさと服を身に纏い中也の後を追いかけた。


『いいよ、中也は。龍ちゃんの記憶は私と樋口ちゃんで何とかするから』

「そうもいかねぇだろ。首領に頼まれてんだ」


水道から水を出して顔を洗う中也を見遣りルナは一度昨日の事を云うべきか悩んだ後、隠す必要もないなと思い口を開く。


『今の龍ちゃん本当に誰振り構わず攻撃しちゃうんだよね。もし、中也にもされたら厭だからさ。まぁ念は押しといたけど。だから、ここは私達に任せて』


ぽん、と自身の胸を叩いたルナのその言葉に中也の手が止まる。顔を上げた中也の顎からポタポタと雫が垂れた。そんな中也にルナはタオルを渡す。


「…お前、また彼奴に攻撃されたのか？」

『あー、うーん、正確に云えば樋口ちゃんにだったけど。でも、大丈夫。いくら龍ちゃんでも本気じゃないと思うし（多分…）』

「なら別に問題ねぇだろ。それにたとえ芥川が手のつけられねぇ狂犬であっても、俺ァ遅れは取らねぇよ」

『ひゅ〜♪さっすが幹部様！』


受け取ったタオルで顔を拭きながら男前な発言をした中也にルナは口笛を吹かす。そんなルナの頭を小突いて中也はタオルを肩に掛けた。


「そんで？具体的にどうやって彼奴の記憶を取り戻す心算だ？」

『んー、やっぱり何かしらの衝撃が必要だと思うんだよね。本当は打撃療法が良かったんだけど樋口ちゃんに止められちゃって。こうなったら、徹底的に記憶の鍵を探す為あらゆる手で龍ちゃんを刺激してやろうかな』

「おいおい拷問じゃねぇんだからな？樋口と二人で芥川の記憶を取り戻すのはいいが、程々にしとけよ。お前調子に乗ると何やらかすか判ったもんじゃねぇからな」

『大丈夫大丈夫。痛い事はしないよ』


にこりと笑顔のルナを見て、何か怖ぇな…とボソッと呟いた中也は芥川に同情の念を送る。今の時刻を確認して中也はなるべく疾く仕事を終わらすことを決意した。








***





ルナは廊下を歩きながら芥川の記憶を取り戻す方法を探していた。幾つか候補は上がるのだが、その度に樋口が泣きながら止めてきそうなものばかりで、最善な方法が未だに見つからない。うーん、と頭を捻りながら歩いていると廊下の先に樋口の姿を見つけた。


『おーい、樋口ちゃん。おはよ』


ルナが呼び掛けると樋口はゆっくりと振り返って会釈する。


「ルナさん……。おはようございます」


弱々しい声の樋口を見てルナはぎょっとする。彼女の目は真っ赤に腫れていて、おまけに隈も出来ている。正直よく出勤したなと云う顔で樋口は無理に笑っていた。


『如何したの？樋口ちゃん。昨日もだったけど、今日は一段とひっどい顔だよ』

「すみません…お見苦しいものを……」

『もしかして、また龍ちゃんに何かされたの？』


ルナが怪訝な顔でそう問えば樋口は力無く首を横に振る。けれど、樋口がこうなるのはどう考えたって芥川絡みである事は間違いない。


いつも一生懸命で頑張り屋の樋口がこんなに憔悴しきる程悩んでいる。矢張り此処は一刻も疾く芥川の記憶を取り戻さねば、とルナは一人意気込む。此処まで来れば手段なんて選んでられないかもしれない。


『よし判った樋口ちゃん。今度こそ私に任せといて。幾つか龍ちゃんの記憶を取り戻す方法を思い付いたんだ！』


弱々しい肩に手を置いて樋口を励ますルナ。可愛い後輩がこんなに悩んでいるのに、上司である自分が力を貸してあげるなきゃどうする。うん、中也なら絶対こう云うと思う、とルナは謎のやる気を見せる。


『安心して樋口ちゃん！一刻も疾く龍ちゃんに記憶を取り戻してもらう為に私も人肌脱いじゃうからね！』

「あ、あのルナさん。その事なんですけど……」


ルナがえいえいおーと拳を掲げようと思った時、樋口がポツリと呟く。そんな樋口の顔を覗き込めば云いにくい事なのか口を開いたり閉じたりした後、意を決したようにルナに視線を向けた。


「あの手伝って頂いた手前大変恐縮なのですが…。芥川先輩に記憶を取り戻させようとするのは止めようと思います」


樋口の思ってもみなかった言葉にルナは目を見開いた。樋口はルナの目をしっかり見ながら真剣な声でそう云ったから、嘘をついている様には見えない。そんな樋口にルナは首を傾げた。


『如何して？樋口ちゃん、龍ちゃんに記憶取り戻して欲しくないの？』

「いいえ、勿論記憶が戻って欲しいと思っています。芥川先輩が私を覚えていないなんて辛いです。でも、芥川先輩は記憶がない事に不備はないと仰いました。実際、四年前迄の記憶があるのですから、ルナさんや首領、その他古株の方達の事はちゃんと判っています。だから、先輩自身が記憶を取り戻そうとする迄はこのままでも良いのではないでしょうか」


そう云った樋口の握った拳は震えている。それをチラリと見てルナはもう一度樋口に視線を向けた。


『でも、それじゃあ樋口ちゃんの事は忘れたままになっちゃうよ？』

「…はい。仕方ありません」

『仕方なくないよ。無理矢理でも記憶を取り戻させればいいじゃん。龍ちゃんは頑固だから不備がないなんて云ってるだけだし。それを間に受けてこのまま放置してたら一生記憶が戻らないかもしれないんだよ？』

「その時は、矢張り仕方ありません。私昨夜考えたんです。本人に自覚がないなら尚更他人が無理矢理記憶を取り戻させようとするのは間違ってるって。芥川先輩を困らせてまで自分の事を思い出させたいと思うのは、私の私情だと。そんな私情で芥川先輩を困らせたくはない」


樋口の言葉にルナは眉を顰める。樋口のその考えが理解できなかったからだ。震える唇が告げたその言葉は本当に樋口の本心なのだろうか。赤く腫れた目は涙を流した証拠だ。一晩どれだけ泣いて沢山の事を考えたのか。そして、それが樋口の出した答えなら尚更ルナは納得が出来なかった。


『私情だっていいじゃない。何がいけないの？』

「…すみません。もう決めた事ですから。私はここからもう一度やり直してみます。部下として先輩の助けとなれるように」


樋口は無理に笑った。その微笑みは本当に弱々しくて消えてしまいそうな程、悲しげな表情だった。泣き出してしまいそうな笑みを隠すように樋口は最後に一度ルナに頭を下げた後、早足にその場を去る。


ルナはその場に立ち尽くして、駆けていく樋口の背を見送る。


『……判んないよ』


無意識に溢れた声は小さい。ルナは俯いて首に巻かれているマフラーを握りしめた。


『何で間違いなの？記憶が戻って欲しいって思うのは当たり前のことじゃないの？大切な人なら尚更』



もし私が樋口ちゃんの立場なら……、もし中也が記憶を失くして、私の事を忘れてしまったら…。
屹度、耐えられないだろう。



重ねてきた時間も思い出もなかった事にされたら、それはどんなに辛くて悲しい事だろうか。だからどう考えたって、ルナが樋口の立場ならどんな手を使ってでも記憶を取り戻そうとするだろう。だからこそ、ルナは樋口の心が理解できなかった。



ルナの中に疑問だけが残る。



でも、泣きそうになりながらも拳を握り締めてそう云った樋口の想いを無駄にする事は出来ない。これは樋口と芥川の問題だと、樋口が決めた事ならそれを優先してあげるべきなのだろうとルナは自分にそう云い聞かせて未だに残る胸の蟠りに蓋をした。